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『怪物』

意を決して『怪物』を観てきた。予定まで残された日は、自分にとって覚悟を決める時間だった。SNSをみる限り、絶賛されている一方で、当事者にとってはトラウマを想起させる描写があるとのこと。けど観にいかなくちゃいけない気がした。誰かと一緒に行けたのはよかった。ひとりだとダメだったと思う。

以下、短いけれどネタバレや感想を含みます。









まず、トラウマを思い出すシーンがあることは間違いなかった。
小学校でのからかい、大人たちの口からの「〜な男は」「普通」「結婚して子供を」「病気」「治す」etc……
クィアが感じてきた(いる)違和感とか、日常会話でのモヤモヤらの解像度が高くて、感心した。息が詰まったり、荒くなったり。うまく呼吸ができなかった。苦しみながら、すごいなあって思った。
特に、CT検査のシーンが個人的には耐えられなかった。つらくてボロボロ泣きながら観るような時間があった。
いや、良かったよ。良かったというよりは、スゴかった。観てよかったと思う。


しかしながら、クィア当事者としては「おや?」と感じるシーンもあって、それは後に予告編を見たからもあるのだろうが、


・自分の気持ちやもがきは楽器を吹くことでしか消化させられないのか
・なぜクィアは死ななければならなかったのか
・(予告編)「壊れていく息子」ってなんやねん。壊れていく?自分が同性愛者かもしれないと感じていく息子を、「壊れる」だと?

感想としてはね、まあこれですわ。正直よ〜
すごい良い映画なんやけどね。
うーん、その性質をもって生まれてきた息子らを、怪物かもしれない候補として読み取らせるのは〜〜〜う〜ん、ねえ〜〜、つらいものがあるよねえ
マイノリティが死んで感動やら何やら、そういうような感情が生まれるのを誘うというの まじでなんの解決にもなってないかもな〜。そうやってマイノリティが扱われることで、ようやくその存在や抱える苦しみに気づけるのだとしたら、本当の怪物は……、
マイノリティを取り上げた作品だけど、決してマイノリティは救われない。

まあこうやってこの作品を批判的に見てしまう僕も誰かにとっては立派な怪物で。観た人を当事者意識の渦へ放り込む。そういう点では、素晴らしい映画だな
上記であんなこと言うてしまったけど、色んな人に観てほしいよ、でも無理はしてほしくない。私はもう一度観にいくかもしれないです。売り上げに貢献して、なるべく、これまで以上に話題になってほしい。そして自分の心に潜む怪物と向き合ってほしい。


放心状態で上映後はしばらく席から立てなかったし、ポップコーンもドリンクもほとんど残してしまった。
帰りのバス、全然最寄りじゃないバス停で飛び降りて、長い長い時間、歩いた。自分にとっては、そんな時間が必要だった。幼少期に投げつけられた言葉や怪物をみるような顔を思い出して、涙が止まらなくなった。べそをかきながら、一歩を踏み締めた。

僕も死ぬことでしか報われないのかなあと思ったとき、大型トラックが走ってきたけど、けれどぼくは、まだ夢をみることをやめれずにいる。

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