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重めな原作ファンによる「小説の神様」映画版レビューと、創作者ケミストリーへの賛歌

~忙しい人向け・ネタバレなしのダイジェスト~

二十年近い読書ライフの中で「わたしのために書かれた」と思ってしまう本の筆頭である「小説の神様」の映画版。
原作で満載だった言葉による心理表現が、カメラワーク・特殊表現・音楽を駆使して美しく演出されていくのは見ごたえたっぷりでした。シナリオの改変も物語の幅を広げていましたし、何よりキャストの熱演が素晴らしかった。若き小説家たちの苦悩や生き様を描きつつ、キラキラな青春モノとしても楽しめる、色んな意味で良い映画化でした。
ただ、原作から省かれてしまったテーマもありますし、小説家の熱さはひしひしと伝わったと思いますので、

相沢沙呼さんの小説を買いに、本屋さんへ行くぞテメエら!!!
(声: 村山さん)

後、「小説とムードが違いそうだし……」と迷っている原作読者の方へ。改変も複数ありますが、原作……というより「小説家」へのリスペクトは伝わってきましたし、何より実体化した相沢ヒロインは期待を裏切りません。空前のさこもこフィーバー、乗りましょう!

以下、本編です。めちゃくちゃ長いので、見出しを参考に飛ばし読みしてもらっても大丈夫です。

イントロ~相沢沙呼×久保茂昭、真逆の推しの邂逅~

さっきの流れからも分かる通り。原作の重めなファンであると同時に、HiGH&LOWシリーズ(ハイロー)もむちゃくちゃ好きです。まずはその辺りの出会いから。

沙呼先生の作風についてはこちらで紹介したりもしたのですが。4年前、大学に入った頃に友人を通して出会った「小説の神様」は二点、僕に大きな影響を与えています。
まずは、より前のめりに作家さんの発掘をするようになりました。物心ついたときから本は好きだったのですが、買ってもらうのは人気のある「みんなが読んでる」シリーズ(ex. ハリポタ)に行くことが多かったですし、それ以外は図書館で借りていました(経済力からして自然とはいえ)。この本をきっかけに、作家さんを「応援する」感覚が強まって、推しを見つけて買い揃えるスタイルをより意識的に続けるようになりました。まだ制覇には遠いですが、沙呼先生もその一人です。

そしてもう一つ。小説書きとはいえ某作の二次創作オンリーだった所から、オリジナルの長編、しかも多大に自分の経験を投影した話を書きだすに至りました。構想は募っていくものの踏み出せなかったところに、「そういう物語こそ書く価値あるじゃん」と揺さぶってくるような本作に出会い、駆け出したのです。
カクヨムさんにて未だ続いています、楽しい。

という風に、僕の書き手としての側面にクリーンヒットを食らった作品でして、続巻(あなたを読む物語)も響きまくりで。(プロ作家とは全く違うアマチュアとはいえ)一番の趣味である小説執筆をこれほど楽しんで続けられているのは本作のおかげといって良いくらい、大事な本です。

そんな大切なシリーズが多くの人に読まれていくのは嬉しかったですし、僕も色んな人に勧めました。しかしあくまでも、読書家や書き手にクリティカルな話であって、他のメディアで広まるような話だとは思っていなかった、もっと言うと「小説に馴染みのない人には勧めにくい」くらいに思っていたんですよね。前提として小説愛が必要というか。

その意味で、コミカライズはまだ順当としても実写映画化は一番遠いと思っていたのです。誰がやるんだろう、とりあえず詩凪さんが環奈ちゃんだったら最高だけど忙しすぎるよな~と思っていたらまさかの当たりでビックリしましたし、「あのハイローの」久保監督+LDHキャストなのも別方面でビックリしたんですよ。「おたくの専門ってダンス&アクションでしたよね??(偏見)」感が満載で。

最近のLDHは詳しくない(姉の影響で第3章のEXILEはちょっと分かる)んですけど、ハイローはザム2公開の頃から物凄いハマり方をしていまして。

幼稚園くらいからずっと溜めてきたアクション趣味、「格好よく戦いたい」イメージのど真ん中をぶち抜いていくようなシリーズで。ハリウッドとも時代劇とも違う、香港アクション的な撮影ノウハウ+少年漫画・ニチアサ的なバイブス+日本流HIP HOPの無二のバランス……もっと言うと、小学生が考えるような世界観を日本屈指のエンタメチームが本気で創っている異常なバランスが好きすぎましたし、その先頭に立っている久保監督には多大なリスペクトを感じていました(一番注目していたのは大内さんの仕事でしたが)

とはいえ、ハイローで好きなのはアクションであり世界観であり。各キャラも好きですがあくまでファンタジー的な推し方でしたし、ストーリー構成やドラマパートの演出にはツッコミもそれなりにあります(琥珀さん海外出張は永遠の謎)(回想とタメがやたら多い)(バトル前後の関係性とか展開で燃え上がるから結局大好き)(けどザワは構成もすごく良かったと思うの)

そんな訳で、心理描写を重視した、しかも現代日本の小説家という動きの少ない職業にスポットを当てた「小説の神様」の映像化に向いている布陣とは、正直思っていなかったのです。いくら環奈ちゃん参戦がドンピシャだったとはいえ。
また国内外を問わず、小説の実写化は当たり外れが大きいですし(大好きな「図書館戦争」はめっちゃ好みだったよ!! 何がハズレかは言わない)


期待と不安が交錯する中、特報などを見るうちに「こっちで来たか!!」と唸ったのです。スタンダードな芝居撮りだけでない、心象風景を映像に持ち込むスタイル。バランスを間違えると大変なことになりそうですが、青春モノに対するアプロ―チとして面白そうなのは確かに思えました。ここまで攻めた映画になるなら僕も心して拝見しましょう、という姿勢になったのが鑑賞前。

前置きが長くなりましたが、ここからは鑑賞後の感想になります。映画は勿論、原作やコミカライズの内容にも言及していますので、未見の方はご注意を。
ただ、それほどネタバレがクリティカルになる作品ではないとも感じるので、見所を知ってから味わうのもアリなのではと思います。他の相沢ミステリはネタバレ厳禁ですが(「medium」の話とか全くできない、面白いとしか言えない)。

映え&没入、ユニークかつ効果的な映像表現

小説→MV的演出、という方針の当たり感

まず、一番のウリであり懸念でもあった言葉での心理描写を(非現実的な)映像表現に落とし込む、さらに曲をガンガン掛けるというコンセプトですが。この選択自体、かなり良かったと思うのです(台詞をモノローグにするとか、繊細な演技で勝負するとかでも成功が見込めたのは勿論)

その根拠は二点ほど。
第一に、この制作陣の得意分野であるから。LDH(というか久保監督)のMV、躍動する肉体を的確に見せるのも、表情や背景からストーリーを想起させるのも、どちらもハイレベルに「映える」という印象を持ってます。アクション厨なので見返すのは「ALL NIGHT LONG」「S.A.K.U.R.A.」とかになりますが、静的な画でのセンスもすごくいい。そしてこのキャストで見に来る方も、こうした映え感が好きな人が多いと思います(流司くんが活躍してる2.5もそんな節ありそうですし)

第二に、そもそも原作において「想いを届けるためには言葉では足りない、だから物語にするんだ」と言及されているからです。拡大解釈すれば、表現者それぞれの「届け方」の肯定であり、それが小説家の場合は物語になる。であれば、映像作家は映像や演出で、俳優は演技で、シンガーは歌で、原作のテーマや感情を届けていく……というコンセプトは合っているように思います。やや強引ですし、続巻(あなたを読む物語)では言葉であるからこその意義にも触れられているのですが、僕は観ていてそう感じました。
(けど小説家の話なのでやはり小説で読んでほしい)

映像流の小説家リスペクト

そして実際の演出ですが、「こんなのも観たかった」はあるにせよ、ダメと感じるシーンは皆無でした、むしろ良いのばっかり。

まずは冒頭。原稿用紙に浮かぶ文字、上からのショット、さらには訥々とした打鍵音……この辺で一気に掴まれました。一也の心情とのシンクロがグッと始まりますし、今後テレビや配信で観る人に対しても効果的なフックになると思います(音楽だけじゃなく、映像でも冒頭の掴みが大事になりそうですよねサブスク時代……)

話題にもなっているモノクロ表現、まずは美しい!
そしてストーリー的な意味も大きいと思えました。(以下、久保監督の意図とはズレる所もありそうですが)ここでのモノクロ→カラーの変化は、一也という少年の鬱屈と昂揚を示すだけでなく、小説家(を含むクリエイター)の根源であるイマジネーションの再生を示していると思うのです。
現実に見えること以上に世界の色彩を見出し、作品に込めるのが創作……のはずなのですが、一也は現実の明るさすら見えなくなっている(=モノクロ)。しかし詩凪との出会いにより、現実にある明るさを見出し(=カラー)、さらにイマジネーションを刺激される(キラキラ&フワフワなイメージ)という流れ。また原作続巻では、小説家の視点について「同じものを見たときに価値を見出せるかは人それぞれ」みたいな言及もされているので、そことのリンクも感じました。

やや深読みですが、この変化って作中作ともリンクしているんですよね。一也の著作であり、終盤のキーアイテムでもあるのが「灰となって春を過ごす」です。一也がその続編を書くシーンで終盤の本文が一瞬映るのですが、「世界は灰色ではなく、色彩にあふれている」みたいな文があった気がするんですよ。一也が元から抱いていた、しかし捨てかけていた世界観を、詩凪との出会いによって追体験した……そんな解釈もできそうです。
そして明らかに読みすぎですが、白黒=二元論、つまり一也と他者の断絶と捉えるのも面白そうです。
また序盤は映像表現だけでなく、彼らの状況の説明が非常に手際よいものにまっていたと思います。

(ふぁなみりーは「The Color to Gray World」を思い出してね)

他にも、デビューした詩凪が創作の楽しさを全身で感じている様子や、秋乃が読書を通して様々な感情を味わっていく過程など、本という形を用いての演出はバッチリ決まっていたように思います。原作に好きな台詞が多いのは勿論ですが、映画ならではの流儀を期待していたのも確かなので、大いに響きました。パンフを読むに、小説での一人称視点を、基本的に三人称である映画に持ち込んでみるという発想でもあったようです。
さらにエンドロール、メインキャストのクレジットを「縦書き」で出すのも好きでした。キャラのカットに合わせたクレジット、「宇宙よりも遠い場所」最終回でもありましたが、グッと来ます。

そして全編を通して、空間の切り取り方も良かったですよね。光の当て方が綺麗ですし、夜道や室内でも展開によって違った「暗さ」が味わえたと思います。一也が悩んでいるときの横顔の撮り方も好きですね……

今回は見られませんでしたが、非現実的な視覚表現として「劇中小説の世界にダイブさせる」「文字を躍らせる」あたりも面白かったのではと思います。手名町紗帆さんによるコミカライズでは、劇中小説のキャラと一夜が対話するようなシーンがあるんですけど、これが本当に素晴らしいんですよ(そもそもコミカライズはあらゆる要素が良すぎる、沙呼先生も唸るレベルで)

ちなみに。文化的・芸術的活動を映像で描くときの視覚表現というと、日本でも結構やられていますよね……特に、同じく小説原作の映画「蜜蜂と遠雷」では、繊細な演技セッションの中にある大胆な非現実描写のブレンドが最高でした。未見ですが「バクマン」「映像研には手を出すな!」あたりもそうですね。一方、「3月のライオン」みたいに演技バトルだけで勝ち切ったのもありますし。

ここからは、各キャラクターに焦点を当てつつ、好きな演技や改変について記していきます。

佐藤大樹 as 一也 ~脆く鋭い小説家の悲喜~

原作での一也、心配になるくらいにナイーブで卑屈でして。大樹=ハイローのチハルのイメージしかない僕からすると、「大丈夫? イケメンが似合う子じゃないよ?」という印象を引きずっていましたし、予告を見てもそれが続いていたのですが。



冒頭、キーボードを叩く孤独な背中と、詩凪に声をかけてしまったシーンを見て、一気に信頼です。根暗さというよりも、根本的な「世界に対する自信のなさ、そこから来る卑屈さ」が滲み出ていた。
そして詩凪との共作を通して表情に活力が漲ると、ちゃんと格好よく見えてくるのが良いですよね。大樹くんをはじめ主要キャスト、演技のプロである俳優でありつつも、ファンを楽しませるアイドル的な側面も大きいので、素直に魅力的と思えるシーンも必要だと思うのです。その意味で、起伏や明暗のバランスはかなり良かったと思います。

テニスシーンや終盤のダッシュも見所ですが、自作の続編を巡る喜びと悲しみの表現が素晴らしかったのです。そこだけで見に来た甲斐があった、そんなカット。
まず、詩凪との共作によって創作意欲を取り戻し、自作の続編を書き上げた瞬間に感涙するシーン。プロアマを問わず、自分の作品や成果に感動して涙ぐむことはあると思うのですが(僕はあるので共感した)、映像作品において小説家でその表情が描かれることって少ない……というより、どうしても「書いたものに納得できなくて全部消す」みたいなイメージ、否定的なスタンスが強調されていると思うのです。だから、書く喜びを表情で示してくれたのはすごく良かったし、その後に打ち切りを食らうことを知っていると切なくもあって。原作とは違う時系列にしたアレンジも含め、大好きなシーンでした。
そして、編集者から打ち切りを宣告され、家で泣き崩れるシーン。大樹くんの演技の迫り方は勿論、カットを切らずに寄りで表情を追っていく撮り方もお見事でした。最後には一也を追わず、彼の叫びだけを聞かせるというのも良い(ここで本を破いてしまったのが効いてくるのは後述)

原作でも示されていた小説家のセンシティブさ、ないものに感情を移入できるが故に反動が大きいという人間性をよく表現してくれたと思います。原作よりも卑屈成分・僻み成分が薄くなっているのも、ギスギスしすぎないようにという調整として納得できました。僕はそこが好きとはいえ、原作の暗さは受け入れにくい人も少なくないでしょうし(これでも当初のバージョンからは闇を減量したそうです、沙呼先生の苦しみの濃縮……)

橋本環奈 as 詩凪 ~華やかで強気、絶対的ヒロイン~

観てる間ずっと、「相沢ヒロインの理想形の具現化」「沙呼先生、興奮しすぎてない?」みたいな感情でした。
あくまで一部作品においてですが、相沢作品での男子主人公から見たヒロインor脇役女子の特徴として、「美少女」「他者とは違うオーラがある」「主人公に対して高圧的or壁がある」というのがあると思っていまして。それに対して弱気な男子がドキドキして・ソワソワして・たじたじになって翻弄されつつも、勇気を振り絞ってヒロインの苦悩に寄り添う……という構図が好きなのです。ヒーローっぽくない等身大の男子の目線が好き、あるいは単に沙呼先生と僕のマゾっ気が共鳴してる説(パンフで「詩凪はもっと殴ってもよかった」とか言ってたし)

やっぱり美少女に睨まれたいんだろうなあ……

詩凪にしても、小説の面白さだけではなく、本人の生きざまや佇まいによって一也や周囲を惹きつけているのですが、そんなカリスマ性を十二分に体現していたと思います。一也から見た詩凪の「何をやらせても成功する」「人間が書けてない」という眩しさ、環奈ちゃんが周囲から向けられる視線にも似ていると思うんですよね……美貌だけでなく、演技の幅もキレも凄いですし(銀魂の神楽があんなに似合うとは思わず)。さらに人柄の良さも随所で伝わってきますし。

だからこそ、終盤で詩凪の障害が明かされ、心細さや絶望感を吐露するシーンでは、環奈ちゃん自身が抱えているそれらが共鳴しているようにも思えました。キャスト自身の境遇を抜きにしても、詩凪の多面性の表現は完璧だったと思います。
ただ(演技の問題ではないのですが)盗作騒動の説明はやや不足しているように感じました。原作では「意図せず設定が似てしまっただけだし、刊行時期などから計算してもアイデアの盗用は困難」という説明がなされているのですが、映画だと「作風や思想のリンクが、アイデアの模倣と解釈されてしまった+過剰に反応されてしまった」という描写だったと思いますし。説明的になりすぎるのを避けただけと考えれば納得ではありますが、創作業界では頻出なトピックなので、もうちょっとフォローがあって良かったような。

とはいえシンプルに、小余綾環奈さん超可愛かったですね。序盤の浮き上がりシーンで「さこちゃん!! 下からふともも!!」と盛り上がった原作ファン、僕以外にも数人はいるのでは。
また、一也→詩凪の惹かれ方にしても、DT的なドキドキ感が削られていたのはいい調整だったと思います。シャワー中の詩凪を妄想する一也少年とか、真面目に映像化していたら各方面にマズかった気もしますし(コミカライズでのイケイケ感も好きですけど、生身の役者さんにはやり辛そうなので)

そして、一也と詩凪それぞれのテーマソング、「一輪の花」と「枯れゆく声」を歌われた琉衣さん、初めて耳にしたのですが素晴らしいボーカルさんですね。雄大でありつつも繊細さを覗かせるのがすごくいい、16歳と聞いてだいぶビックリしました。一也&詩凪も「こんなに若いのに!?」な迎えられ方してますからね……

苦しくも温かな小説家ファミリー、千谷家

原作でも雛子はマジエンジェルだったのですが。健気で天使で暴走気味なヒナちゃんらしさ、莉子さんからしっかり伝わってきて良かったです。すっかり大人しく、病人らしいムードになっているのではという心配もあったので……ただ明るいムードといっても、やや清楚めになっていたというか、原作&コミカライズでの変態オタクっぷりはちょっと薄まっていた気がします。雛子だけでなく全体的に変態成分はカットされていましたね、納得ではあります。

そして両親はかなり描写が足されていました。
まずは昌也お父さん。映画版では、かつて一也が父に抱いていた憧れがより強調されていたように思います。初めての小説、見せに行っていたんだね……そこで感想より先に「書き続けろ」が出てくるのが、良くも悪くも千谷親子。合ってるんだけどまずは褒めてあげませんか。
昌也から聞かされた小説家の条件、映画だとややニュアンスが違うんですよね。「書くべきときに書くのが小説家」という言葉が、終盤の一也の説得、ひいては「call me sick」の歌詞「今なら飛べる、今しか飛べない」につながってくるのは熱かったです。
ただこれが語られるの、「今は書く時間だから食事は子供たちだけで」というエピソードで。確かに昌也さんっぽい気もするんですが、創作のために生活やプライベートを犠牲にするのって本来はクリエイターの良くない面じゃないですか。ここから浮かぶのって「仕事に一途なあまり子供を顧みなかった父」という側面になってしまうので、そこで語られた信条もちょっと弱くなってしまうと思いました。

そして優里子お母さん、原作ではだいぶ出番が少なかったです。名前も映画で初出だったような? 
しかし、雛子のお見舞いに行った帰り、一也とのシーンが最高でした。
いい父親とは言えなかった昌也との結婚に、一也から疑問をぶつけられての回答が二つあって。

まず、「小説で泣くのは、明日から泣かないためだ」という言葉。これは原作でも大事に描かれていたんですが、ラストの一也&詩凪のシーンで語られています(コミカライズではさらに膨らませて、コンビ愛が爆発する仕上がりになっています)
それを映画では、詩凪からでなくお母さんから聞かされる、ひいては自分の生まれた理由として聞かされることで、違った角度から一也の背中を押すことになっていました。大変でも、ちゃんと幸せな夫婦だったと伝わりましたし。
からの、「あなたという立派な人間を育てることができたから」でボロ泣きでした。一也、お前は愛されて生きてるんだよ……!

文芸部以外の小説関係者は、原作よりも出番が少なくなっているのですが(そもそもいない人もいる、春日井さん……)その分も千谷家の描き込みを厚くすることで、高校生としての一也への感情移入がしやすくなっていたと思います。小説業界の話というより、家族や部活の話としての方が届けやすくもありますし。

杏花 as 秋乃 ~共感されやすいビギナーとして~

あ゛き゛の゛ん゛か゛わ゛い゛か゛っ゛た゛よ゛お゛お゛

……はい。このキャラが推せるグランプリ殿堂入りであるところの成瀬秋乃ちゃんです。基本的にキャラはその世界だけで生きててほしい(自分が作用しようとかあまり思わない)派なんですけど、秋乃に関しては「読んで褒めたい」「読まれたい」「小説の話したい」「ってかデートしよう成瀬さん??」ということを思いがちで。というかコミカライズでの秋乃があまりにも可愛くてちょっとダメでした、てなしー先生は責任とってほしい。

なんでこれほど好きかというと、僕から秋乃への投影が凄まじいからで。原作での秋乃は、アマチュアで初心者の小説書きとして文芸部で過ごす中で、「わたし自身が小説を書く意味」「わたしのような主人公がいる意味」を問い続ける子なのです。続巻(あなたを読む物語)では一也に並ぶ主役として描かれているのですが、そこでの彼女の姿勢がとてつもなく響いたんですよね。
内向的で臆病であるだけでなく、大事な友達を裏切ってしまった(と本人は思い込んでいる)過去がある。加えて、自分の大好きな小説が、あまり周りから受け入れられない(ラノベに至っては読書家グループからも疎まれがちな)ことにも悩んでいます。その中で、自身の抱く「好き」を信じてペンを執り、周りの善性を信じて人と向き合う。
仕事としての壁にぶつかる一也や詩凪とは違った、ただの高校生としての等身大の葛藤と創作意欲。僕のような、結局はアマチュアでしかない、しかもどうしても「読まれる話」以上に「自分の書きたい話」を書いてしまう小説書きにとっては、これほど投影できるキャラはそういなかったのです……そもそも小柄な眼鏡っ子が好きというのもめちゃくちゃ大きいですが。

てなしーイラスト可愛いんだよなあ……

そして映画版の秋乃、ビジュアルはまさに文学少女でしたし、大人しめと思いきやアグレッシブなのも秋乃らしかったですし。仕草が大振りなのはやや意外でしたが、沙呼先生も「サイン会でたまに会う感じ」と気に入っていたようですし、僕の昔の知り合いにもそんな子いました。演じたのが杏花ちゃんなのも嬉しかったです、「表参道高校合唱部!」と「くちびるに歌を」が大好きなので、そこのキャストさんは推しがち。

ただ、彼女が果たす役割についてはだいぶ変わっていたように感じました。前述したように、原作での秋乃は「小説で何を伝えたいのか」「どんな視点で小説を書くのか」というテーマについて部の先輩と語り合うことで、一也の背中を押すという役回りでした。
その中心になったのが、秋乃のファンタジー小説の主人公を巡る議論と、そこから派生した(映画ではテニス部で描かれた)バドミントン対決。原作では、一也と詩凪が共作での主人公の造形を巡って対立し、その結論を(先に取材していた)バドミントンの勝負で決めるという流れでした。
ネガティブで孤独な日陰者、等身大の悩める少女として構想していた詩凪に対して、誰からも憧れられるヒーロー的な主人公が適していると主張する一也。もっと言うと「一也や秋乃のような主人公を書きたい詩凪」と「詩凪のような主人公が最適だと主張する一也」のバトルです。その中で、秋乃は「感情移入するなら一也先輩みたいな主人公がいい」と伝え、一也が酷評によるトラウマを越えようとするきっかけになりました。

(実際には、秋乃は二人がプロとして共作していることを知らない+秋乃自身の小説の話だと思いかけていた→秋乃は混乱しつつも応援している、という構図なのですが)(原作あきのん察しがだいぶ鈍いから……)

そこを踏まえての映画での秋乃。秋乃パートの冒頭では「小説の中には私がいた」という彼女の読書観を象徴するフレーズがありましたが、それ以降の詳しい掘り下げはあまりなかったように感じます。
そしてテニス部取材のエピソードでも、一也VS詩凪のバトルという要素は全くなかったですし。他のキャラを通しても、小説のテーマや主人公像を巡る描写はだいぶ薄くなっているように感じました。

とはいえ、テニス部取材を中心にした秋乃パート、これはこれで非常に好きなのです。映画で描かれたのは、
部活物を書きたいので部活取材がしたいと提案→テニスで汗を流す先輩たちを目にしてその場で書きまくる→生活全体がポジティブになり、クラスメイトにも開示できるようになる
という流れでした。
これはこれで「他者の姿に触発されて物語を書く」という小説家の根本、あるいは「他者のエネルギーに刺激を受けて前向きになる」という青春モノの王道でもありますし、そう納得させるだけの熱量がこもったお芝居でした。曲も超ポップでしたし。特に後者の成分、今年公開の「のぼる小寺さん」「アルプススタンドのはしの方」に続いて凄くいいモノをもらった気分です。

またクラスメイトとの向き合い方にしても、最初は小説のことを隠していたものの、終盤では打ち明けてポジティブな反応をもらっている、という爽やかな後味になっていました。原作だと、小説を嘲笑するクラスメイトを前に自分を隠しながら、やがて本心をぶつけていくというドラマになっていたので、やや拍子抜けではありましたが……青春モノでは現状よりも理想寄りのムードを普通っぽく描いた方が良いよね、という側面を考えると妥当にも感じました(「ブック・スマート」はそこも良かったですし)。小説を書くのも読むのも受容されて当然なんだよ、という提示。
相沢作品には学校の陰湿な空気を描いたものも多いですが、「それでも、自分を開示してみれば世界は明るい」という結論になることも少なくないので、らしいといえばらしいです。原作の続巻とはつながりにくくなっていますが、さすがに再映画化は難しいでしょうし……

秋乃パート、全体的に前向きでポップな仕上がりで。挿入歌の「Lucky Me」にしろ小物のデザインにしろ、原作からのイメージとはガラッと変わっていますが、「憧れを追いかけて駆け出した女の子」の象徴として非常に良かったと思います。映画全体から見ても、ここで明るいテイストを強調しておく必要はありましたし。

佐藤流司 as 九ノ里 ~人気者への変貌と、鮮明になった核~

流司くん本人も語っているように、一見クールな原作とはかなりムードの違う仕上がりになっています。しかしそのアレンジによって、一也に対する九ノ里の立ち位置、物語の中で九ノ里が果たす役割はより強調されるようになったと感じました。

まず佐藤流司くんですが、2.5次元で物凄い活躍をしている人という印象です。ハイローザワについて「刀ミュの加州の子が出るらしいので気になってる」と言っていたフォロワーさんもいたくらいなので、LDHには触れていなくても流司くん目当てで観に来る人も多いのかなと思っています。ザワでの狂犬っぷりも最高でした。

そして映画での九ノ里、ど真ん中なリア充&陽キャという、相沢作品ではあまり見かけない男子になっていまして。原作でも「暗そうなのに顔が広い」というポジションなので交友関係については近いですが、佇まいは正反対。しかも勉強もスポーツもできちゃう、一見して全てに恵まれていそうな青春感。
これってつまり、一也が望んでやまない青春の姿なんですよ。一也は集団に馴染めないことをずっとコンプレックスにしているし、その原因を性格だけでなく小説に打ち込んだことに見出しています。ありふれた交流を犠牲にしてまで打ち込んだ小説ですら行き詰まり酷評されたからこそ、小説を嫌いになってしまっているし、それらを手にしている九ノ里は羨ましくて仕方がない。挿入歌「ないものねだり」では「ありふれた合格点集めて生きてても」と歌われていますが、一也はそれが欲しくてたまらない。

しかし九ノ里から見ると、どれだけ頑張っても、どんなに好きでも成功できなかったのが小説で。それができる一也や詩凪には、尊敬と同時に嫉妬も覚えているのでしょう。妬ましいけどやはり尊く思っている、だからこそ「守る」ことに全力を尽くす。

こちらの動画で沙呼先生と河北さん(講談社の編集さん)が語っていますが、九ノ里のポジションは読者であり編集者なんですよ。書ける側ではないけど、誰よりも書き手のサポートに真摯。そこに「書けなかったけど」が加わることで、守ろうとする姿の格好よさがより際立つ。一也と九ノ里、お互いに欲しかったものを持っている彼らの相棒っぷりが沁みる……それはそうと、趣味でも良いから、小説を辞めないでほしいって思いますね。僕だって上手いとか思わないまま三年くらい書いてるので。

何より響いたのが、というか映画版のベストシーンなのが。一也が破り捨てた自分の著作を、九ノ里がつなぎ合わせて持ってきた終盤です。あのシーンで一也の著作が渡されるというのは原作でもコミカライズでも描かれているのですが、その流れってどれも違っていまして。その中でも映画版、一也が捨てたものを九ノ里が再生させようとする構図を、本という形で演出するの、めちゃくちゃ響きました。しかもそれが大樹くんたちのアドリブだってのが驚きで。じっくり役に向き合ってくれたんだと改めて。
ちなみにその後、一也が「見えない壁」と表現したガラス窓が野球部の打球で割れるの、映像的な伏線&演出としてインパクト大なのは分かりつつも「危ないよ!!」が先行して笑っちゃいましたね。ハイローで気軽に器物損壊しすぎて感覚麻痺してる説……

そんなストーリー上の役割を抜きにしても、文芸部の和気藹々とした空気作りに非常に良い仕事をしてくれたと思います。原作から入った人間とはいえ、文芸部という居場所をここまで好きになれたのってコミカライズと映画のおかげなんですよね……原作だとシリアスが目立ちがちですし、楽しそうな姿が見られたのすごく良かった。

シナリオ改変にみるバランス調整~小説家ファーストVS多様な青春像~

全体を通して改変やアレンジを見ていくと。原作にあった「これはリアルなクリエイターの私小説!!」な成分が薄まって、「悩みつつも好きなことを追いかける人へ、走れ!!」みたいな後味になっていたと思います。

映画版では、小説家の創作論を巡るエピソードがそれなりにカットされていたんですよね。トレンドや主人公像を巡る話がカットされていた(秋乃パートより)だけでなく、部数や流通に関わるリアルな話も薄めでしたし。コミカライズでは強烈な描かれ方をされていた、「作品は子で、キャラクターは命なんだ」「作品の未来が閉ざされることは、彼らの死なんだ」という概念についても削られていたと思います(手名町さんが吐きながら描いた渾身のシーンを読んで)。
一也&詩凪の関係性をテンポく見せるためにはカットもやむなしと思いますし、この辺を映画でガッツリやると観てる方も辛そうなので、好きな要素ではあるもののカットは納得……という印象でした。そもそも沙呼先生も、「原作は創作者でないと分かりにくいと言われた」と振り返っていますし。

特異性を薄めて普遍性に振った、という調整として納得しています。

しかしラストにあったはずの、詩凪のプロットの結末を巡る掛け合いについては、必要だったと思えてならないんですよね。二人の関係性を語る上でも、原作のテーマを示す上でも、トップクラスに重要なパートだと思っていまして。
ただ映画版では、一也の全力疾走+ファンタジック風景を、かなり気合を入れて演出していまして。アクションを得意とするチームにはピッタリでしたし、一也ダッシュに心を動かされたという感想も多く見かけました。熱量の凄まじいシーンであったことは僕も同意です。その意味で、ストレートに感情を動かしつつ、テンポよくエンディングまで見せるためには良い選択だった……という解釈はできそうです。

劇中でも、一也と詩凪が描写に議論を交わすシーンがありましたが。あそこで双方に根拠があったように、表現には明確な正解がないことも多いんですよね……正確には「込める意図として唯一の正解はない(倫理的な誤りはともかく)」「意図した効果が出ないというハズレはある」になるのですが。原作ファンとして好みでない改変も一部あるのですが、意図が理解できない改変はありませんでした。これが好きな人も多いよなって感覚です(僕がウハウハ観てたハイロー大乱闘だって、苦手で仕方ない人もいるはず)

ちなみに、危惧していたけど杞憂に終わった改変としては「共作がマジのベストセラーになる(結果主義なニュアンスになる)」と「一也と詩凪が恋仲になる」です。特に後者、期待してた人も多そうですし、沙呼先生が続編でそう描く可能性もあるのですが……あくまでこの時点での二人、恋愛対象としてバリバリに意識しつつも、あくまでも同世代の小説家としての絆であってほしいんですね。詩凪はともかく、一也は詩凪のことめちゃくちゃ好きそうなんですけど、恋仲よりも濃い同志であってほしいな~と……沙呼先生が紅玉先生から原作のインスピレーションをもらったみたいに(アンソロ参照)、絶妙な距離感で刺激しあう作家仲間になってほしいというか。まあ、全ては沙呼先生次第ですが!

終わりに~小説を好きになってくれますように~

色々と書き連ねてきましたが。全肯定とは行かなくとも、楽しい体験であったことには間違いないですし、映画館に行って損したという感覚は全くないです。あーだこーだ言うことで、シリーズ全体がより好きになれたのも確実。そもそも劇場で「原作 相沢沙呼」を見られただけで最高。

何より、「これ小説じゃないと伝わらない」と思い込んでいた物語に対して、こうして映画でのアンサーを出されたの、受け手としても書き手としても鮮烈な刺激だったんです。媒体に囚われている場合じゃないし、「違う流儀同士のケミストリーは楽しい」というメディアミックスの醍醐味を感じました。
(「カメラを止めるな!」とか「TENET」とか、実写じゃなきゃ意味なさそうなのも多いんですが)

ただ時期もあってか、ちょっと客足が寂しそう……というか公開館が少なめ(どうしちまったんだよ松竹さん!!)なので。何とかして、商業的にも成功してほしい……

後は、観にいった方が原作をはじめとする相沢作品に触れてくれたら……沙呼先生でなくても、好きな映画・ドラマの原作とかでも良いので(岩田さんファンには有川さんの「植物図鑑」を激推ししたい)、本屋さんで小説を手に取ってみてほしいのです。元から買ってるねんって人も多いはずですけど、統計とか見るに寂しい気配なので。

脳のスタミナ使いますけど、昨年のミステリ業界を席巻した「medium」はマジで驚天動地の面白さなので是非。

さらに夢を言わせてもらえれば、沙呼先生のデビュー作である「午前零時のサンドリヨン」は学園ミステリ×マジックという映像向けなお話なので!!どうですか偉い人!!

という訳で、お読みいただきありがとうございました。原作&コミカライズも宜しくお願いします。




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