YOASOBI解剖「ミスター」編~華やかシティポップに秘められた悲劇を紐解く~

はじめに~ついに始まった小説×音楽の大祭~

昨年から告知されていました、YOASOBIが直木賞作家4名とコラボする豪華企画。ついにお披露目が始まりましたね。

驚異の快進撃を続けつつも、「小説を音楽に」という原点はブレずに曲を作り続けてきたYOASOBI。これまでもYOASOBIは、アマチュア作家、マンガ家、劇作家といった多彩な顔ぶれを原作者に迎えてきたのですが。

いよいよ、誰もが「小説家」として知るような、日本最高峰の作家陣を迎えることになりました。この4人の短編それぞれをYOASOBIが曲にするという、なんとも贅沢なお祭りが始まります。

YOASOBIのオタクとして、小説書きとして、本気で楽しむしかない……!

ということで。
小説が音楽になる回路を考察するYOASOBI解剖シリーズ by いち亀、久しぶりに再開します。公式レポートも経験して深まったはずの解像度で、YOASOBIを味わいつくす四本勝負。曲と小説を味わったうえで、お付き合いくだされば幸いです!

まずは第一弾、島本理生さんの「私だけの所有者」と、楽曲「ミスター」についてです。曲・小説ともにネタバレ全開ですのでご注意を。

楽曲「ミスター」は、哀愁と瀟洒のシティポップ

この曲は、書籍刊行前にラジオ(オールナイトニッポンX)で先行解禁されており、僕もバッチリ聴いていました。収録小説の中で唯一、曲を聴きながら原作を想像する楽しみ方ができた作品ですね。

初めて聴いた感想がコチラ。
シティポップを意識したとはAyasaさんも語っていましたが。サビの歌い回しといい、ホーンセクションの入り方といい、2022年の今となっては「ちょっと懐かしいな……?」となるテイストが中心でした。YOASOBIにしては言葉数が少なめかな、とも。
(後はスラップベース打ち込みの話で、「ひかるさんに弾いてもらった方が早いのでは……って本人もそう言ってるじゃん!」となった)

一方で、もう会えない人への想いが綴られた歌詞も印象に残りました。華やかさの中だからこそ哀愁が濃く伝わる、大好きな取り合わせです。
この取り合わせを表現するikuraさんのボーカルが絶妙なんですよ。ウェットすぎないけど、確かに愛と哀が響く歌声。そりゃAyaseさんも「相方がりらで良かった……」となります。

そして「機械仕掛け」というフレーズや、回路を思わせるジャケットから、アンドロイドやAIが主人公であることも察せられました。

アンドロイドの召使いと、もう会えない主人との別れの話だろう……という読みはできました。そして半分くらいは当たっていた。


「私だけの所有者」で描かれた、アンドロイドをめぐる非業

切ねえ……しんどい……たすけて……

というのが、「私だけの所有者」の素直な感想です。

まずは構成の話から。
主人公であるアンドロイドが、〈先生〉との往復書簡の中で、かつての所有者であったMr.ナルセとの思い出を回想する物語です。往復書簡であるものの、小説に登場しているのは主人公が書いたパートのみ。

手紙オンリーという形、面白いですよね。
文章自体は、明確に書き手が存在し、一人称で綴られています。
しかし、キャラクターが綴った文章のみであるため、リアルタイムで行動・心情が伝わる一人称小説とは違った語り口になります。客観的に状況が掴める三人称小説とも違う。
情報の出方が、キャラクターの〈何をどの順番で思い出し、綴っているのか〉に依存する……というのが、今作の面白さにもつながっているように感じます。

(ちなみに。手紙形式で最も有名なのは夏目漱石の「こゝろ」だと思うのですが、あれは比較的シンプルな時系列だった気がします……高校の現代文の授業でやったの楽しかったな)

三人の間に何があったのか、〈先生〉は誰なのか……という疑問が、手紙を重ねるごとに明らかになるのですが。明らかになるにつれ、やるせなさに胸を締め付けられるお話でした。

交流を持った人間に〈機械以上の〉特別な感情を持つアンドロイド・AI……というストーリーは定番ですし、〈老いや死から逃れられない人間〉と〈朽ちない機械の命〉を対比するのも王道といえるでしょう。

しかし今作で悲劇の中心となっていたのは、人間とアンドロイドの対比以上に、〈アンドロイドや科学技術を巡る人間たちの残酷さ・愚かさ〉だったように思います。

科学者であったナルセと〈先生=妻〉は、情報技術を巡る政府とテロリストの対立に巻き込まれ、〈先生〉は拷問に遭ってしまう。
ナルセは主人公を、少女型アンドロイドを狙う犯罪から守ろうとしたものの、紛争に巻き込まれ、自らを犠牲にして主人公を逃がす。
そして主人公は、無力感と喪失感に苛まれながら、国々の方針によって孤独な幽閉生活を強制される。

こんなのってないよ……こんなの絶対おかしいよお!!

苦みのこみあげる悲劇です。
せめて救いがあるとすれば、〈先生〉がナルセの晩年を知ることができた点、主人公がナルセからの愛情を受け取れた点、でしょうか……

アンドロイドというSF設定を出発に、悪意から愛情まで多様な感情を描ききった、見事な作品でした。〈その世界設定でしか描けない人間の心理〉がSFやファンタジーの醍醐味だと思っているので大好物でしたね。ビターすぎますけど。

ちなみに、同じく島本さん作の「ナラタージュ」も読んだんですが、こちらも悲劇というか……あまりにも辛い目に遭ってしまうキャラがいまして。主人公の恋心の行方よりも、その子の悲痛さで頭がいっぱいでした。「私だけの所有者」もそうですが、理不尽さをずっしり描く方ですね……次に島本作品を読むときは覚悟を決めてから読みます。

物語に込められた愛の形とは

「はじめて人を好きになったときに読む物語」とあるように。シリアスすぎる背景を持ちつつも、心に寄り添った物語です。その愛の形について、楽曲「ミスター」を絡めつつ考えていきます。

・存在意義を失ったアンドロイドの帰属意識

アンドロイドにとっての幸福とは、所有者の意に沿い、その願いを叶えることです。
(「私だけの所有者」P.20より)

これが、主人公が本来持っていた価値観であり、本来アンドロイドに課せられていた使命でもあります。
では、所有者に不要と判断された、あるいは所有者が消えてしまったら。本来であれば、アンドロイドは存在意義を失い、次の所有者へ引き合わされるでしょう。引き合わされなくても、元の所有者への愛着・帰属意識は薄れるはずです。

しかし主人公は、ナルセの死を確信した後も、彼との再会を望み続けています。
アンドロイドの原則からは外れた愛惜、それが小説&楽曲の中心となる感情でしょう。ナルセの言う「知ることは、よけいな感情を背負うことだ」がここで効いてきます。

そして。主人公のそうした感情を喚起したのは、ナルセが主人公を人間として扱おうとしてきたからだ……と、僕には思えます。道具として、つまり人格を考えずに扱おうとしていた人間たちとの対比ですね。

・「叱られたい」に表れる、アンドロイドとしての在り方

表現が不器用だったとはいえ、ナルセが主人公に向けていたのは愛情だった……と解釈できるでしょう。しかし主人公が、ナルセからの感情を〈愛〉と表現しているシーンはほとんどありません(何度か読み返していますが見つけられず)

代わりに、小説でも楽曲でも、主人公がナルセに抱いているのは「叱られたい」です。叱るという行為は、模範・要求に対する逸脱・不足があって成立します。
主人公がアンドロイドとして抱いている〈役に立ちたい〉という望みに、自身が不足を感じているから〈叱られたい〉……言うなれば、無力感を強く抱いていることの表れでしょう。

主人公はナルセから人間として扱われつつも、自身がアンドロイドであることを意識し続けています。だから、感情に反していても所有者の指示には逆らえない。失った所有者を想い続けることはあっても、新たな存在意義を自ら見出すことはできない。

この、機械と人間のどちらに徹することもできない立ち位置が、本作におけるアンドロイドらしさなのでは……と思うと、また切ないのです。

一方で、こうした無力感の源は〈アンドロイドとしての存在意義〉だけではないでしょう。役に立ちたい、支えたいというのは人間にとっても自然な感情です。
この観点を広げて、やや飛躍した考察をしてみます。

主人公とナルセの心情のリンク、そして華やかな曲調の意味

結論から言うと。
「ミスター」はアンドロイドである主人公の心情に沿いつつも、ナルセの心情を表現してもいるのでは……という解釈です。

主人公がナルセに抱いていた感情、つまり〈もう会えないという寂寥〉〈守れなかった後悔や無力感〉は、ナルセが妻へ抱いていた感情とも通じると思うのです。

だから俺はせめておまえのことだけは、家に届いた日から最後まで完璧に守り通したかった。
「私だけの所有者」P.48より

この言葉にあるように、ナルセが主人公を守ろうとしていた姿勢にの裏には、妻を巡る経験がありました。そして主人公と共に過ごす中でも、ナルセは妻の手がかりを探していました。

ここからは推測が強めになりますが。ナルセは妻に謝りたかった、妻に叱られたかったのでは……と思うのです。(ナルセ本人が悪くないとはいえ)危険な対立に巻き込んでしまったことも、妻を迷わず最優先できなかったことも。

「ミスター」の歌詞の叙情の一部は、ナルセ視点でも成立するように聞こえるのです。
そして何より、あの曲調。

「私だけの所有者」でのキャラクターの心情や読後感を、どう曲にするのか。「ミスター」を抜きにして考えてみたのですが、悲壮感の漂うバラードになるのでは……というのが僕の回答でした。
(別アーティストを出すのも失礼ですが、EGOISTみたいな雰囲気が浮かびました)

ただYOASOBIが選んだのは、愁いを帯びつつも華やかなシティホップでした。一見ミスマッチ、と思ったのは僕だけではないはず……いや僕だけかもですが。

勿論、アーティストYOASOBIとしての方向性、〈そういう曲が欲しかった〉も無関係ではないと思います。直木賞作家とのコラボということで、小説から興味を持つ年長のリスナーにも好まれやすい曲にしようという狙いもあったかもしれない。

ですが、ここはやはり、原作に沿った解釈をしたいのです。
「ミスター」の感想で多く目にしたのは、「都会の夜」という情景です。僕もその表現がしっくり来ます。

では原作において「都会の夜」といえば……そう、主人公がナルセと共に訪れた首都でのひとときです。そこは、ナルセと妻の出会いの場所でもある。

主人公がナルセを想うときも、ナルセが妻を想うときも。
その脳裏に浮かんでいたのは、あの首都の情景だったのではないでしょうか。

つまり今回、Ayaseさんは〈シティポップ×デジタルの融合〉という音楽的チャレンジと共に、〈叙情と叙事を歌詞で、叙景を曲調で〉という構成にも取り組んだと思うのです。
であれば、これから公開されるであろうMVでも、印象的な都会のシーンや、ナルセ視点での回想があるはず……!!

……という強めの飛躍が、この記事で一番言いたかったことでもあります。

小説→曲における引き算の話と、今後への期待

曲調こそ考え甲斐がありましたが。「ミスター」の歌詞は、原作との対応もしやすい印象です。
一方で、原作にあった要素の一部は歌われていません。テロリストによる凶事も、国で起こった内戦も、主人公の幽閉も、「先生」とのやり取りも、直接に歌詞では登場していません。

載せられる言葉の量に圧倒的な差があるぶん、〈小説の要素が曲では省かれる〉ことは、YOASOBIにとってほぼ避けられません。どう歌に引き継ぐか、あるいはどう置き換えるかがAyaseさんの腕の見せ所でもある。

だからこそ、歌詞で力点を置かれている要素は、Ayaseさん解釈での「ここがミソ! ここが核!」ポイントでもある。今回だと、主人公とナルセの関係(あるいはナルセと妻も?)にフォーカスが絞られています。SF的な背景ではなく、それによって描かれた関係性や感情こそが物語の核である、という判断ですね。

「はじめての」の4曲で注目したいのは、こうした〈不可避の引き算〉のアプローチの違いです。

「夜に駆ける」では、サビの反復という構造にどんでん返しを潜ませました。
「あの夢をなぞって」では、超能力や伝説といった要素を削り、ラブロマンスに注力しました。
一方では「もしも命を描けたら」のように、濃密に言葉を詰め込んで原作のストーリーを網羅する曲もありました。

では、「はじめての」の残り三編に、Ayaseさんはどう向き合うのでしょうか。曲の響きだけでなく、その判断がとても楽しみです。

やっぱりYOASOBI追うのは面白いですねえ……(クソデカため息)

では、お読みくださりありがとうございました。みなさんの解釈も聞かせてもらえると嬉しいです。

それではまた、次の曲が聴ける頃に!




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