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【じぶんケア】カウンセリングを受けてまるはだかの自分を感じる其の一、の巻。

みなさまおこんにちは、

自分責めの毎日からわたしダイスキがあたりまえな毎日を。

あなたのドーパミン、
心理カウンセラーのイチカ✳︎ドーパミントです。

ブログにお越しくださってありがとう。


【じぶんケア】カウンセリングを受けてまるはだかの自分を感じる其の二、の巻。


カウンセリングとマッサージはなによりのじぶんケアだとわたしは声を大にして言う。


そんなわけで、何回かに分けてサトヒカウンセラーにしてもらったおはなしを書くよ。


✳︎


前回サトヒちゃんにカウンセリングをしてもらったときのおはなし


今回サトヒちゃんにカウンセリングしてもらったおはなし序章


カウンセラー・サトヒのブログ



サトヒちゃんは薄膜を剥がすようにカウンセリングしてくれる。

カウンセリングを受けてから3日経つけれど、毎日ぴろーーーんと皮がむけていく快感がある。



今回サトヒちゃんがくれたキーワードは

「こわいを感じる」

「母との関係」

「我慢と犠牲」

だった。


毎日そこに寄り添っていくわたしがいる。

わたしのなかのわたしは、そこに気づいてほしくてずっとずっと待っていた。

サトヒちゃんはそれを見つけてくれたのだ。


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今回こんなことがあってこう感じたんだよね。そう伝えると、


ああ、そうだね、そうだよね。
そう受け止めてくれる。

少し考えて、次のことばをくれる。

ゆっくりゆっくり、わたしのこころの層に張り巡らせた硬い膜を剥がしてゆく。

原因がわかっていても侵入しない。

だって、侵入されたくないから膜を張ったのだ。

そこにはふれずに、

もしかしたら、とか
たとえば、とか
そういえばこんな話があってさ、とか

できる限りの一般化をしてくれる。

一般化というか、社会化というか。

「わたしは変だ」
「やっぱりわたしはおかしいんだ」

そういう場所からゆっくり、ゆっくり、離してくれていく。

わたしの悩みは人間の持つ普遍的なもので、
わたしは特別におかしい生き物などではなく、ちゃんと人間なんだと感じられる。


あれ、わたしは人間なのね?
そう思えたときにぽんと課題を示してくれる。

サトヒちゃんのくれるその課題は意外なものであることが多いけれど、なぜかわたしはそれが必要であることを識っている。

受け入れられるように、すこしずつ準備してすこしずつ整えてくれたから。



わたしはこういうじんわり効かせて、そのひとがととのったときに病理をパッと見せてくれるようなカウンセリングが好きだ。

これだよね、あなたには治せるよ、って笑ってくれるような。


サッと切って薬ぬって飲んで治す、とか
脂肪吸引とかドーピングで変える、とか
バキバキゴリゴリしてコリを取る、とか苦手だ。

それでほんとうに変わることはないよなあ、と感じる。

たしかにそれをするためには技術と知識と経験を兼ね備えたプロフェッショナルの力が必要で、

そのプロフェッショナルの才能と努力と勉強した果実を分け与えてもらえるのだけれど、

それだと、受けたひとのスゴさはどこに行っちゃうんだろうと思うんだ。

受けて、努力して、自分を変えたそのひとのスゴさをもっともっと感じてほしいと思うんだ。


目の前のこのひとが抱えている問題はわかっている、取り除く方法も知っている。

けれど、それがこころにメスを刺すような痛みと、長い入院やリハビリを必要とするなら、しない。

そのひとがいま持っているその力を最大に発揮することこそが最高の治療だ、と信頼してくれるカウンセラーやセラピストが好きだ。




そんなふうに今回サトヒちゃんが見せてくれたわたしの病理は、


母の我慢を引き受ける娘。


というものだった。


(以降、母や大人に対する辛辣な描写があるから、敏感な方は傷つくかもしれない。不安があったら読まないで閉じてね。ごめんね。)



母は37年前に亡くなった。

わたしは10年ほど前まで、母は我慢を重ねた結果若くしてこの世を去ったと思っていた。

いつもため息をついてしんどそうにしていたから。


ほんとうのところはわからない。

母がどう感じていたのかは本人にしかわからない。

ともかく、ちいさなわたしは、ほとんどの人間のこどもがそうするように母の不機嫌を引き受けた。

わたしが変な子でふつうにできないから母はつらいのだ、と。


母はよく、幼稚園のクラスメイトでいちばん賢い子やご近所で有名な良い子やいとこで1番親孝行な子を引き合いに出してはわたしを叱った。

どうしてあの子みたいにできないの
こんなときあの子はこうするよ
どうしてアンタはそうなの

ちなみにこういう母親は昭和のデフォルトだ。


母が病に倒れて入院してからは、面会に行く度に叱られた。

10才になっていたわたしはうんざりしていた。

もう幼稚園のころのようにすなおに、

ごめんなさいわたしがわるいのわたしをきらいにならないでいいこになるからおかあさんだいすき

とは言えなくなっていた。

ぶすくれたり無視したり、面会に行かなかったりした。


父や親戚はそんなわたしを変な子だ、情がない子だと責めたけれど、

それはわたし自身が自分に感じていたことを母や父や親戚たちの所業に投影していたのだ。

この世の誰よりもわたしが、わたしのことを「自分のことだけが大事な、薄情で冷たい愛のないこども」だと思っていた。

すべて投影。

母がわたしを他人と比べて叱るのも、
母自身が自分を他人と比べて自分を責めまくっていた証である。


いまならそれがわかるけれど、こどもにはそれがわからない。

父も母も親戚もみんなわたしを責める。

どうせわたしなんか誰にも愛されない。

だからお母さんが病気になっても、こころから心配してあげることができない。

また文句を言われたくない、っていう自分の気持ちの方を優先してしまう。

みんなの言うとおり、わたしは情がなくて薄情で人間とはかけ離れたこどもなんだ。


だったらもうほっといてほしい。
わたしにかまわないでほしい。
関わらないでほしい。


矯正しようとしないで。
コントロールしないで。
枠にはめようとしないで。


わたし自身そのままでいいって言ってくれないなら、もういらない。


10歳の力では感じとれなかった、わたし自身の気持ちを感じる。


やっとわかってもらえた、って彼女はよろこんでいる。


会いたくて会えなかったちいさいわたしを見つけに行く、何度目かの旅がはじまったみたいだ。


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本日はここまでのおはなし。

続きは来週水曜日の【じぶんケア】にて。





今日もおつきあいくださってありがとう。
すてきな今日を。

イチカ、あなたのドーパミンより。



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ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。