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「10歳の娘を持つ父親は必見!!映画『千と千尋の神隠し』の企画書に秘められた思い」


10歳の娘を持つ父親が「千と千尋の神隠し」を再考する意味

現代の子育てにおいて、どのようにして子供たちに価値観や倫理観を教えるかは、多くの親にとって大きな課題となっています。特に10歳のような成長過程にある子供に、どのようなメッセージを伝えるべきか、日々頭を悩ませている父親たちも多いのではないでしょうか。実際は、私にも10歳の娘がおり、「将来やりたいことがない」と嘆いていたところで、何か相談に乗れないか考えていたところでした。

そのような中で、スタジオジブリの名作『千と千尋の神隠し』が、意外にも素晴らしい教育ツールとして役立つのではないかと思いつきました。この映画には、10歳の女の子の成長、自己発見、友情、家族愛といった重要なテーマが詰まっており、子供たちにとって大切な価値観を教える絶好の機会となります。

『千と千尋の神隠し』を通じて、娘さんと共に映画を楽しみながら、自然に重要な人生の教訓を学ぶことができます。さらに、映画を再考することで、親子の絆が深まり、共通の話題が増えるという大きな利点も得られます。

この記事では、『千と千尋の神隠し』がどのようにして10歳の子供たちに価値観を教えるのに役立つのか、臨床心理であり、10歳の娘を持つパパである私が、企画書に秘められた思いを通じてご紹介します。親子での映画鑑賞が、新たな学びと成長の機会になることをお約束します。

企画書に秘められた思い

千と千尋の神隠しという映画は長い間、日本の映画の中でも興行収入において1位に君臨してきた作品であり、ご存じの方も多いと思います。しかし、作者である宮崎駿がどのような思いでこの作品を作ったか詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。

実は、ジブリの映画作品には映画を製作するときに共有する「企画書」というものがあり、かなり具体的に映画を作った意図が書かれています。

この企画書に秘めらられた思いをしれば、10歳の娘にどのような課題があり、この映画はどのようにそれを乗り越えさせようとしているのかがわかり、父親が娘とかかわるのに役立ちます。
主に企画書から伝えたいことは以下の4つです。

なぜ10の女の子を主人公にしたのか
10歳の女の子にはどのような課題があるか
10歳の女の子はどのように成長していくのか
言葉の力

それぞれについて、ここから詳しく解説していきます。

なぜ10歳の女の子を主人公にしたのか

宮崎監督が10歳の女の子を主人公にした理由について、企画書の冒頭には以下のように書かれています。

10才の女の子達が、心底ワクワクする映画をつくりたい。
この年頃に、子供達は自分自身になろうとし始める。孤独な自分を発見し、自分とつきあい、物語の主人公にもなり始める。思春期のゆらぎに至る前の大切な時期。もう芽ばえている不安をかかえながら、まだ律儀に生きる健気な少女達への作品が少なすぎると思うのだ。

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自分の娘を見ていても、自分の考えを持ち始めたり、孤独を感じて不安を感じている様子がまさにあります。

この時期の女の子というと基本的は手がかからなくなってきて、親から見ると子育てもホッとできるくらい問題がないことが多いので、親としては見逃しがちです。

しかし、宮崎監督は実は親としてかかわってあげべき大切な時期でもあることを暗に提示しているようにも感じます。

実際に映画も大ヒットしたことから、当時10歳の子もかつて10歳だった親も共感するところが多々あったのでしょう。個人的にも、10歳の子にスポットライトを当てることは大切だといえます。

10歳の女の子にはどのような課題があるか

先ほどのところで「もう芽生えている不安を抱えている」とありましたが、10歳の女の子はどのような不安や課題を抱えているのでしょうか。企画書には以下のように書かれています。

この時期に、養老孟司氏の指摘する脳化社会は、頭脳商品として彼女たちの選別を行い、一方で、異性にとっての自分が全てであるかのような錯覚を与えつづけている。現代の商品化した性のマーケットでの、自分の肉体の値ぶみを彼女たちに強いるのだ。頭脳の選別である教育がどれほど彼女達の不信をかきたて、肉体の値ぶみがニヒリズムを内部に育てているか計り知れないのだ。

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この映画が作られた2001年よりは上記のような風潮は下火になっていると感じていますが、根強く潜在している社会構造だとも思います。

実際、娘と話したり、スクールカウンセラーとして5年生の集団を見ていても、異性を強く意識したファッションや会話を好む女子たちが「キラキラグループ」として存在し始めます。

また、将来を考える中で、モデルや接客業など女性の魅力を生かした仕事をするのか、ITや薬剤師など頭脳を生かして生きていくのかシビアに考え出す年頃であることは変わりません。

『性マーケットでの、自分の肉体の値ぶみを彼女たちに強いる』というのは生々しい表現ではありますが、現代もなお、シビアに突きつけられる課題だと感じています。

 しかし、企画書にはこんなことも書かれています。

すこやかな内に、もろさと強さをかかえ、自分自身を歩きはじめる彼女たちへ、共感と賛嘆をこめ、心からのエールを送るエンターテイメント作品をつくりたいと思う。

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このようなシビアな課題を持つ10歳の子たちはどのように課題を乗り越えていけるのでしょうか。

10歳の女の子はどのように成長していくのか

では宮崎監督は、10歳の女の子をどのように成長させていくべきだと考えるのでしょうか。企画書にはこのように書かれています。

冒険とはいっても、正邪の対決が主題ではなく、人も悪人もみな混じり合って存在する世の中ともいうべき中へ投げ込まれ、修行し、友愛と献身を学び、知恵を発揮して生還する少女のものがたりになるはずだ。 彼女は切り抜け、体をかわし、ひとまずは元の日常に帰って来るのだが、世の中が消滅しないと同じに、それは悪を滅ぼしたからではなく、生きる力を獲得した結果なのである。 今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すことが、この映画の主要な課題である。 かこわれ、守られ、遠ざけられて、生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常の中で、子供達はひよわな自我を肥大化させるしかない。千尋のヒョロヒョロの手足や、簡単にはおもしろがりませんよっというぶちゃむくれの表情はその象徴なのだ。けれども、現実がくっきりし、抜きさしならないの中で危機に直面した時、本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する生命を、自分がかかえていることに気づくはずだ。もっとも、ただバニックって、「ノー」としゃがみこむ人間がほとんどかもしれないが、そういう人々は千尋の出会った状況下では、すぐ消されるか食べられるかしてしまうだろう。千尋が主人公である資格は、実は喰い尽くされない力にあるといえる。決して、美少女であったり、類まれな心の持ち主だから主人公になるのではない。その点が、この作品の特徴であり、だからまた、10歳の女の子達のための映画でもあり得るのである。

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長い引用になりましたが、私なりに要約すると、
①善悪が混じった世界へ投げ込まれる中で、経験し、友愛と献身を学び、知恵を発揮する中で「生きる力」を獲得すること、
②かこわれ、守られ、遠ざけられて生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常にいることに気づくこと、
③危機に直面することで本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する力に気づくこと、
④食いつくされない力を持つことの4点にまとめられると思います。

実生活でこれらを体験させるためには、私は娘が親元から離れて生活する経験が大切だと思いました。

なので、今年の夏休みは1人でサッカーチームの合宿に参加させ、親元から離れて「生きる力」をつけてもらおうと決心しました。

言葉の力

もう一つ、この作品では「言葉の力」について伝えたいという宮崎監督の強い思いがあるようです。企画書にはこのように書かれています。

言葉は力である。千の迷い込んだ世界では、言葉を発することはとり返しのつかない重さを持っているが湯婆婆が支配する湯屋では、「いや」「帰りたい」と一度でも口にしたら、魔女はたちまち千尋を絞り出し、彼女は何処にも行くあてのないままさまよい消滅するか、ニワトリにされて喰われるまで玉子を産みつづけるかの道しかなくなる。逆に、「ここで働く」と千尋が言葉を発すれば、魔女といえども無視することができない。

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映画の中では、千尋がはっきりと言葉で伝えたことに関しては、湯婆婆を始め、湯屋の人たちがきちんと受け入れているのは印象的でした。

10歳が発する言葉は、子どもであっても力のあるものであるということの象徴でしょう。確かに、本気で発せられる言葉は信頼するに足るものだと思います。しかし、一方で下記のようにも書かれています。

今日、言葉はかぎりなく軽くどうとでも言えるアブクのようなものと受けとられているが、それは現実がうつろになっている反映にすぎない。言葉は力であることは、今も「ある。」力のない言葉が、無意味にあふれているだけなのだ。

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これも納得であり、子どもも大人も「やるかもしれない」「できたら〇〇する」などの言い回しを多用するせいで、言葉が軽くなっている感も否めません。そして、企画書では最後にこう締めくくっています。

困難な世間の中で、千尋はむしろいきいきとしていく。ぶちゃむくれのだるそうなキャラクターは、映画の大団円にはハッとするような魅力的な表情を持つようになるだろう。世の中の本質は、今も少しも変わっていない。言葉は意志であり、自分であり、力なのだということを、この映画は力を持ってえるつもりである。

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ここまで読んで私は、「言葉には力がある。そして10歳の女の子には軽い言葉ではなく、力のある言葉を発して行動してほしい。

それができれば性のマーケットでの、自分の肉体の値ぶみされるような側面があっても、ぶれずに自分の個性を生かして大人の世界に入っていくことができる。」と捉えました。

心理学的にも、父親が子どもに教えることは社会性です。そのために父親がやることは、少なくとも父娘の間で、はっきりとした意志で言葉を伝え、約束は守り、言葉には力があるといくことを示していくことだと思いました。

私は必ず夏休みに、妻・長女・次女それぞれと2人きりで出かけ、話す機会を設けることにしています。この約束は必ず守り、特に10歳の長女にははっきりとした考えを伝えていきたいと思います。

<まとめ>10歳の女の子について父親に考えてほしいこと

今回は10歳の娘を持つ父親は必見!!映画『千と千尋の神隠し』の企画書に秘められた思いについてお伝えしました。
要約すると、

10歳の女の子はどのような時期なのか
自分自身になろうとし始める時期であり、孤独な自分を発見し、自分とつきあい、物語の主人公にもなり始める。思春期のゆらぎに至る前の大切な時期。もう芽ばえている不安をかかえながら、まだ律儀に生きる健気なところがある時期であると理解する。

10歳の女の子にはどのような課題があるか
頭脳商品として彼女たちの選別を行い、一方で、異性にとっての自分が全てであるかのような錯覚を与えつづけている。現代の商品化した性のマーケットでの、自分の肉体の値ぶみを彼女たちに強いるのだ。頭脳の選別である教育がどれほど彼女達の不信をかきたて、肉体の値ぶみがニヒリズムを内部に育てている。

10歳の女の子はどのように成長していくのか
①    善悪が混じった世界へ投げ込まれる中で、経験し、友愛と献身を学び、知恵を発揮する中で「生きる力」を獲得すること
②    かこわれ、守られ、遠ざけられて生きることがうすぼんやりにしか感じられない日常にいることに気づくこと、
③    危機に直面することで本人も気づかなかった適応力や忍耐力が湧き出し、果断な判断力や行動力を発揮する力に気づくこと
④    食いつくされない力を持つこと
これを知れば、傾聴だけでは話が展開しない会話がグッと進んだり、話を聞く側が過度なストレスを抱えずに集中して相手の話を聞くことができるようになります。

10歳の女の子には言葉には力があることを自覚させることが大切
「言葉には力がある。そして10歳の女の子には軽い言葉ではなく、力のある言葉を発して行動してほしい。それができれば性のマーケットでの、自分の肉体の値ぶみされるような側面があっても、ぶれずに自分の個性を生かして大人の世界に入っていくことができる。」

『千と千尋の神隠し』を通じて、娘さんと共に映画を楽しみながら、自然に10歳の女の子に重要な人生の教訓を学ぶことができます。さらに、映画を再考することで、親子の絆が深まり、共通の話題が増えるという大きな利点も得られるでしょう。

 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。もし、もしこの記事を読んで喜んでいただけたなら、他のジブリ作品についても、記事にしたいと思います。ぜひコメントで感想をお聞かせください!

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