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Nostalgia 第一章・3+4

 ヴィクトリア駅の通りの前で馬車を降りると、教授は馭者に、三時間後に迎えに来るように命じた。馭者が馬に鞭をくれ、去って行くのを眺めてから、教授はW・H・スミスの売店を通り過ぎ、その前にある、一際大きな建物を目指す。倫敦でも珍しい、五階建ての大きなビルだ。
 窓硝子に金文字で『Travel Agency』と書かれたその建物は、フォッグ社本店――八十日間で世界一周を果たした『誠実なる紳士』、フィリアス・フォッグの名を冠した、英国でも有数の旅行代理店である。
 教授が中に入ると、店内は混雑していた。店の中に用意された五つばかりの窓口はすべて埋まり、何人かは順番待ちをしているほどだ。従業員が駆け回り、電信や電話のベルもひっきりなしに鳴っている。繁盛している証拠であろう。
 フォッグ社は旅行代理店としては参入したばかりの企業ではあるが、その業績はうなぎ登りで、今や倫敦でも一、二を争う旅行会社として名を馳せている。
 確かに『フィリアス・フォッグ』という名前の利もあるだろう。名誉のために自分の全財産を賭け、見事不可能かと思われた旅を成功させた彼の記録は大ベストセラーとなり、倫敦っ子なら知らぬ者がいないほどだ。しかし、名前だけで成功できるほど商売は甘くない。そもそも英国には、旅行代理店の始祖であるトマス・クック社という老舗がある。時刻表やパッケージ旅行、トラベラーズ・チェックなどを最初にはじめたのはこの会社だ。トマス・クック社の柔軟な思考、そしてきめ細やかなサービスと、長年にわたるノウハウに対抗するには、更に革新的なアイディアが必要だった。
 フォッグ社が打ち出したサービスとは、通訳も兼ねた信用できるガイドを、国内は勿論、どんな旅行先にも無料で用意する、というものだ。仏蘭西(フランス)や伊太利亜(イタリア)、独逸(ドイツ)などの欧羅巴(ヨーロッパ)諸国ならともかく、阿弗利加(アフリカ)や亜細亜(アジア)の国で通訳を探すのは難しい。地理を熟知したガイドなら猶更だ。
 そのアイディアは大当たりで、ガイドを希望する旅行者は引きも切らない。今日も今日とて、カウンターには申込者がやってくる。
 教授はその喧噪を横目で眺め、受付嬢の前まで歩いて行った。名刺を差し出し、相変わらずの無感情な声で言う。
「すまんが、アルフレド・ジェイムズが来たと、オーナーに伝えてくれ」
 受付嬢は躾の行き届いた洗練された仕草で名刺を受け取った。内容を確認し、静かに一礼する。
「畏まりました。少々お待ち下さい」
 落ち着いた声でそう言うと、受付嬢はメモの上にペンを走らせた。
 そのまま、机の上から何か筒状のカプセルを取り出すと、その中へ名刺とメモを入れる。そうして真後ろにある気送管の蓋を開け、中に筒状のカプセルを入れた。
 気密蓋を閉めた婦人が気送管の脇のレバーを引くと、シュポン、という妙に軽やかな音がして、カプセルが凄い勢いで何処かへ送られていく。
 それからきっかり五分後に、エレベーターの扉が開き、中から長身の年若い青年が現れた。年の頃は二十歳を少し過ぎた辺りか。濃いブロンドの髪と、切れ長の黒い瞳が特徴的で、年頃の淑女なら、思わずぽうっとなってしまうような、俗に言うハンサムな青年だ。ウィリアムも整った顔立ちだったが、些か陰気で茫洋とした雰囲気の彼とは違い、この青年には、居るだけでその場が明るくなるような、そんな天性の輝きがあった。
 身につけているものも随分と上等の品のようで、仕立ての良い洒落たモーニングを身に纏い、まさに貴公子、といった言葉がしっくりくる。
 青年は親愛の情を示すように、大きく手を広げて教授の前にやってきた。にこにこと、愛想良く、そうして親しげに挨拶をする。
「お待たせしました教授! 久しぶりですね、ようこそおいで下さいました」
 にこやかに告げる青年の目にはいたずらっぽそうな光が讃えられていた。若者らしい陽気な光だ。
 親しげな青年とは少し異なり、教授の態度は変わらない。相変わらず淡々とした声で言う。
「こちらこそ、先日はベアリング兄弟銀行の件で世話になったな。今日はその礼と、頼みたいことがあったので拠らせてもらった」
「いえいえ、教授の頼みなら、あんなことくらいはお安い御用です。さ、こちらへどうぞ」
 教授をエレベーターへ招きながら、青年がにこやかに答える。二人してエレベーターに乗り込む前に、青年は受付嬢に声をかけた。
「ちょっと真面目な話をするから、悪いけど、仕事の話は余程のことが無い限りは副社長に回してくれ」
「畏まりました」
 一礼する受付嬢へ器用に片目を瞑ってみせると、青年はエレベーターのドアを閉め、スイッチを押す。
 エレベーターの中で、上機嫌そうに青年が言った。
「教授の知己のおかげで、中央アジアに新たな支店を作る為の目処がようやく付きましたよ。ガンダマク条約締結以降、あそこはどうにもデリケートな土地ですからね。戦争の傷を癒やせれば、観光地としてはなかなか良いと思うんですけど、なかなか申請が降りずに苦労しました」
 このエレベーターは、ゴウン、ゴウンと機関の音がやけに響く。その理由を知っている二人は、多少声を張るようにして会話する。
「グレート・ゲームは未だ終わったわけではないからな。多分、そこの支店が黒字になることはないだろう。競争相手さえいない土地だ」
「いいんですよ。そっちの方は、あくまで私の趣味ですから」
 青年が笑うと同時に、エレベーターが最上階へと付いたようだ。エレベーターのドアを潜りながら教授が言った。
「まぁ、君には唸るほど金があるしな。そういう趣味も良かろうよ、フォッグ卿」
 当てこすりのようにも聞こえるが、皮肉や嫌味は何もない。淡々として、事実のみを述べる声だ。
 フォッグ卿と呼ばれた青年は、教授を応接室に案内しながら小さく笑う。ほんの少し、口の端を吊り上げ言った。
「人生には趣味が必要ですからね。この世界は面白い。戦う価値はある」
 宣戦布告にも似た言葉に、教授がほんの僅かに口を歪める。青年では無く、自分の中の何かを嗤う風だ。嗤ったままの顔で言った。
「そういえば、君の父上も闘争のためだけに全財産を賭けて八十日間で世界一周をしたのだったな。まったく親子の血は争えん。フィリアス・フォッグ二世の名は伊達では無いな」
 その言葉に、青年――フォッグ二世は苦笑する。
「私自身は否定したくとも、この体に父の血が流れているのは事実ですから。ただ。半分は母の血ですよ」
「そうであろうな。しかし、半分どころか、四分の一しか同じ血が流れていなくとも、幸か不幸か何処かで人は似てしまう。血は水より濃いというのはある種の呪いだ」
 まるで自分に言うように呟くと、教授は案内された応接室をぐるりと見回す。
 応接室は豪華だった。革のソファーが並び、真ん中に置かれたテーブルは黒壇製だ。窓際には大きめのウォーディアン・ケースが飾られ、ともすれば事務的な雰囲気になりがちは室内に、妙な潤いを与えていた。
「この間、応接室用にミレーを買ったと言っていなかったかね? 見当たらないようだが」
 是非見てみたかったのだがな、と続ける教授に、フォッグ二世が些か申し訳なさそうに返事をする。
「あれはね、もう売ってしまいましたよ。なんというか、牧歌的な絵は応接室にはあまり合わない。そうなると飾る絵も特になくなってしまったので、こうして羊歯を飾っているのです。最近流行の観相学に逆らった印象派の絵はぼやぼやしてるし、ドラローシュは趣味じゃない。いっそカバネルでも飾りますかね?」
 勧められるままソファーに座り、教授はひとつ鼻を鳴らした。
「君はそうやって、常に道化に徹しようとする部分がいかんな。カサノヴァを模倣するより、余計者(アウトサイダー)を気取る方が、まだ十九世紀的であろうに」
 そう言うと、教授はポケットからシガーケースを取り出した。紙巻き煙草を取り出すと、口に咥える。それをちらっと一瞥し、フォッグ二世は大仰に肩を竦めた。
「私は浪漫主義が好きなんです。ゲーテよりもバイロンを愛する類いの人種なので、最近流行の自然主義やデカダンはどうにも肌に合わない。露西亜(ロシア)文学は猶更、ね」
「惜しむにも、ホラティウス(時間)より、ロバート・ヘリック(薔薇)を好む質か。であるのなら、君は最後までその化けの皮を被り続けたまえよ。詩人から批評家へ鞍替えするには、ひどい痛みを伴うものだ」
 無感情な声でそう言うと、教授は燐寸(マッチ)を擦り、紙巻き煙草に火を付けた。土耳古(トルコ)煙草の強い匂いが辺りに漂う。揺蕩う紫煙を面白そうに目で追う青年へ、教授がどこか言い訳のようなことを呟いた。
「百害あって一利なし、と呼ばれる煙草だが、唯一利がある。それは、脳に閃きを与えることだ。紙巻きは不味いが、パイプや葉巻よりも手軽なのが良い。君も吸うかね?」
 差し出されたシガーケースを眺め、フォッグ二世が申し訳なさそうに首を振る。テーブルに置かれたクリスタルガラス製の灰皿を、教授の方に押しやった。
「喜んで、と言いたいですがね。今、禁煙中なもので」
「また、二年前の御乱行の後遺症が出てきたのかね? 難儀なものだ。あれはなかなか治らんからな」
 灰皿を更に手元に引き寄せて、教授は燐寸の燃止(もえさし)を投げ入れる。火が消えて猶、硫黄の匂いは健在だ。
「ま、それなりに覚悟はしていましたけれどね。しかし、今思えば確かに若気の至り、でしたねぇ」
 宙に躍る煙を目で追うのを止めぬまま、フォッグ二世が楽しげに言った。教授が微かに、笑みの形に口許を歪める。
「まだ十分に君は若いだろう。今年二十二才だったかね?」
「いえ、二十一才です。ま、いずれにせよ、あの胃痙攣(いけいれん)に耐えるのは、もう二度と御免ですから」
 にこやかに語る青年に、教授は紫煙を燻らせながら、懐かしむよう、皮肉に呟く。
「まぁ、それはそうだろうな。三年前、瑞西(スイス)ではじめて会ったときの君は実に酷い有様だった。あれに比べたら、良く立ち直ったと褒めるべきかも知れん。まったく、君にとって、フィリアス・フォッグの存在は、それほどまでに重かったのかね? フォッグ卿」
 フォッグ二世が、ほんの少し目を細めた。彼の周囲が、何処か張り詰めた空気に変わる。その目の光は、少しばかり剣呑だ。それを見て、教授が更に唇の端を吊り上げた。
「父親と比べられた途端に本性を出す癖はなおらんな。無理に治せとは言わないが、その癖のことは常に念頭に置くことだ。君が目指す世界では、些細なことでも命取りになる」
「……肝に銘じておきますよ」
 飽くまでも軽口を叩くフォッグ二世を一瞥すると、教授は一口深く煙草を吸い、ふぅ、と一気に吐き出した。
「まぁ、今日は説教をしにきたわけではないからな。『忠告』はこれくらいにしておこう」
 そう呟くと、教授はまるで自室にいるかのようなゆったりとした風情で煙草を吹かし、灰を落とす。ウォーディアン・ケースの中にあるオレンジ色の羊歯を横目に静かに言った。
「以前に話した少女だが、ようやく今朝、手元に引き取れた。君に色々手を尽くしてもらったおかげだ。裏から手を回すより、合法的な手段の方がばれにくい。改めて礼を言う」
 頭を下げる気配はないが、十分に感謝は伝わる物言いだ。フォッグ二世が、興味津々という風情で訊いた。
「いえいえ、教授には色々御世話になってますし、お安い御用ですよ。ところで、どんな少女でしたか、彼女は。十七才と言うことでしたが、可愛らしいお嬢さんですかね?」
「顔立ちは愛らしかったが、おそらく君の趣味では無かろう。十七世紀の西班牙(スペイン)であれば、賞賛の嵐だったろうが」
 十七世紀の西班牙では、女性の胸は薄ければ薄いほど美しいとされていた。つまりはそういうことなのだろう。とはいえそれはメアリに対する侮辱では無く、教授の声には、牽制の色が多分に濃い。
「酷いなぁ、まるで私が女性の魅力に対し、まるで胸が第一等だと思っているようにおっしゃる」
 年相応の態度を止めて、まるで子供のように口を尖らせるフォッグ二世を、教授は冷ややかな目で見る。皮肉交じりの声で言う。
「君の今までの女性遍歴を見るに付け、その傾向は否めまいよ。件の少女に会うときは気をつけたまえ。あれは共感覚の化け物だ。下手な言い訳なぞ、あっという間に見破られるぞ」
「共感覚の、化け物?」
 化け物という単語に、フォッグ二世が怪訝そうな顔をした。教授は紫煙を燻らし、低く告げる。
「あの娘は共感覚を使って、他人の嘘が見抜けるらしい。一種の計算手特性だろうな。まったく、ギルバートが手紙で忠告をしておいてくれなかったら、彼女を信用させ、引き取ることなど出来なかったろう」
「嘘を見抜く少女、ですか……。それはなんというか、私や教授の天敵ですね」
 やや眉を顰めるフォッグ二世に対し、教授は態度を一切変えない。妙なふてぶてしさと威厳があった。
「私の場合、自身の発する言葉すべてが嘘だと解っているからな、そこまでの問題はない。最初から嘘しか言わねば、嘘こそが真実だと信じるだろう。しかし、君のような、真実と嘘が入り交じったタイプの嘘つきは大変だな」
「まったく、これでは対面する前から嫌われること確定ではないですか。可愛らしいお嬢さんに嫌われるのは嫌だなぁ……。ところで、共感覚って何ですか? 聞き慣れない言葉です」
 大袈裟に嘆いて見せながら、フォッグ二世が素直に訊いた。教授は事も無げに説明をする。
「ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる知覚現象だな。平たく言えば音に色を感じたり、文字に味を感じたりというあれだ。詩人のボードレールなども、文字に色を感じていたらしいぞ」
 ボードレールが『交感』という詩の中で、音と色の結びつきを表現しているのは有名な話だ。その他にも音楽家のフランツ・リストも共感覚があったと伝えられていた。
「ああ、聞いたことがあります。あと、記憶術師は文字に色が見えるから、それで膨大な記憶を暗記するとかしないとか……」
 幼い頃、執事に連れて行って貰ったエジプシャン・ホールでの記憶術師の興行を思い出しつつ、フォッグ二世が呟くと、教授は軽く頷き話を続ける。
「左様。共感覚は使い方によっては、かなりの可能性を秘めた能力であるらしい。人の名前を覚えたり、暗算に利用することもできるそうだ。虚数を用いて脳の中に数字を重ねておけるからと言う話だ」
「重ねる、ですか。よくわからない感覚ですね」
「人間は嬰児の頃はまだ五感が未分化であるらしいな。嬰児の頃は当たり前に皆共感覚を持っていても、しかし、普通は成長による脳の結合の変化によって、こうしたものは失われていくとされる。成長しても猶(なお)共感覚を保持している人間は、成長の過程で何らかの理由で脳の異なる部位への結合が保たれ、これらの複合した知覚もまた、そのまま保たれているのだそうだ。ま、ある種『神経疾患』の一種だろうな。しかし、彼等は日常生活を送るに辺り特に不自由は無いことから、あまり問題視されることは無い。それどころか、前述の理由から、神からの贈り物だという向きもある」
 神からの贈り物、という割りに、教授の言葉には微かな嫌悪もあるようだ。その事に首を傾げつつ、フォッグ二世は更に尋ねる。
「では、彼女が共感覚の化け物だと言う理由は? 共感覚というのは、それほど珍しい能力ではないのでしょう?」
 興味深げに尋ねるフォッグ二世のその問いに、教授は一口深く煙草を吸い、ふぅ、と一気に吐き出した。殆ど無感情に言い放つ。
「あの娘は音を色と数字で見る。しかし、正確には見ているわけではない。耳に聞こえる音をすべて脳で分解し、認識しやすい色と数字に計算しなおし、視覚として情報を得ているだけだ。共感覚というのは先ほども伝えたとおり、脳の疾患という説もあるが、しかし、もう一つ人為的に誘発できるケースがあるというのを知っているかね?」
「いえ……」
 素直に首を振るフォッグ二世に、教授は生徒へ講義するような顔になる。しかし、普通の講義と違うのはその内容だ。
「人為的に共感覚を体感できるのは、阿片や大麻などの麻薬を摂取した時だ。古代の巫女がしばしば麻薬を摂取して未来を予見したという話があるが、それも共感覚によって未来を計算した結果だと考えられている。それは、君にも馴染みだろう? しかし、そういった便利な一面がある一方で、一つの刺激に対して認識する感覚が増えれば増えるほど、脳に対する負担は大きい。阿片患者の脳がぼろぼろになる所以だな。幻覚は共感覚の産物なのだ。つまりは脳を酷使している事になる」
「……つまり、共感覚者は阿片中毒者と同じようなものだというわけですか?」
 教授の言葉に、多少眉を顰めながらフォッグ二世が訊いた。どことなく、怒ったような風でもある。教授は意味ありげに唇の端を歪めて言った。
「そこまでは行かない。これは程度の問題だ。行き過ぎればそうなるというだけの話さ。通常の共感覚者は、多少脳が疲労しやすいくらいで、日常生活に於いては何の支障も無いだろう。問題は、普通では無い共感覚者の方だ」
 そんな矛盾を口にすると、教授は短くなった煙草を手近にあった灰皿に押しつけ、二本目の煙草を取り出す。
 軽く咥え、燐寸を擦り火を付けた後、深く煙を吸い込み、吐いた。土耳古煙草の癖の強さが宙に舞う。
「音を色付いた数字という形で『見る』上に、更に、彼女はその微妙な声のトーンさえ、数値の変化として感じるらしい。音の反射まで『見える』そうだ。そこまで凄まじい感覚だ、脳への負担は想像も出来ん。一つの刺激に対して二つ以上の感覚で知覚できる尤もわかりやすい例は、阿片の末期中毒者だそうだが、あの娘の共感覚はそれ以上だ。普通ならとても耐えられまい。しかし、彼女は正常なのだ。それどころか、その共感覚を利用して凄まじいまでの桁の暗算までこなせる。彼女を化け物と言わざるを得ないのは、そう言う理由だ」
 教授はまるで溜息を吐(つ)くように、大量の煙を吐(は)き出すと、ほんの僅かに頭を振った。
「なるほどねぇ……。しかし、まぁ結局は、計算が得意な共感覚があるだけの子でしょう? 化け物よばわりは、些か大袈裟なように思いますけどね」
「大袈裟な物言いなのは認めよう。しかし、我々からすれば大袈裟であっても、《王立医師会》や君の囲っている連中は、果たして何と言うものだろうな、フォッグ卿。立場や視点を変えた時に意味が変わる事ほど恐ろしいものは無い。マクベスではないが、綺麗は汚い、汚いは綺麗、というわけだ」
 教授の言葉に、フォッグ二世が肩を竦める。
「彼等が見ている世界が我々と違いすぎるというのは認めますよ。しかし、私は彼等を囲っているわけでは無い。彼等は私の趣味の協力者ですよ、教授。貴方と同じく、ね」
 貴方と同じく、という言葉を殊更に強調するフォッグ二世の言葉にも、教授は表情一つ変えなかった。代わりに二本目の煙草を盛大に吹かし、無駄に煙を部屋に撒く。徐に言った。
「用件というのはまさにそれだ。手間をかけて悪いがね、フォッグ卿。彼等に繋ぎを頼まれてくれないか? 是非とも訊きたいことがあるのだよ」
「訊きたいこと?」
 あからさまに不審げなフォッグ二世に、教授がすっと背中を丸くした。内緒話でもするように告げる。
「何、簡単なことだ。生きた脳と脊髄の使い道について、《王立医師会》の連中の意見が聞きたいのさ。私達《多数派》には思いも寄らぬ事が、《少数派》の彼等には日常茶飯事だからな」
「それは可能ですが……。でも、繋ぎであるなら、私ではなくウィルに頼んだ方が早いのではないですか? そもそも同じ屋根の下に住んでいるのだし」
 少し首を傾げて問うフォッグ二世に、教授がひとつ、鼻を鳴らした。
「私と彼との間の契約には、《少数派》への仲介は含まれていないからな。それに、彼では代償が払えまい」
 その言葉に、フォッグ二世が、ああ、と一つだけ頷いた。
「なるほどね。確かにウィルが支払える代償は一つだけですし、それを欲しがるのはラーゼス技師しかいませんからね。でも、教授は代償を如何支払うおつもりですか? 貴方の組織はもう……」
 やや警戒するようなフォッグ二世のその言葉に、教授薄く笑って言った。
「忌々しいことに、確かに私の力は最盛期の半分以下だ。では、代償はメアリ・ジズというあの少女でどうかね? 彼等はあの娘に興味があるのではないかな? 正確には、彼女の中身に」
 その言葉に、フォッグ二世がぎょっとしたような表情を浮かべる。
「あの子ですって? でも、教授、彼女は貴方の……」
 少し早口に告げられる言葉を、教授は皆まで言わせなかった。煙草を燻らせ、ニヤリと笑う。
「かまわんさ。何せ、私は彼女の後見人なのだから。彼女をどう扱おうが、私の自由だ」 
 煙と共に囁く声は、どうにも悪魔的だった。


 教授の家の書庫は想像よりも広かった。
 白熱灯に照らされて、幾分か黴臭いようなその場所が真昼のように明るくなる。ずらっと並んだ本の背表紙を見て、メアリは小さく歓声を上げた。読書用のスペースだろうか、出窓の近くに、まるで応接室のようなソファーとテーブルが置かれている。
「すごいですね、これが全部、教授のものなんですか?」
 本の数は数千冊はあるだろう。下手な貸本屋よりも数が多い。本棚に背の順に収められたその様は、図書館よりも整然としている。
 メアリが読めない文字が記された背表紙を持つ本もかなり多い。アルファベット以外の文字が記された本もある。
「そうだね。英語以外で書かれているのは、大半が仏蘭西語や独逸語だ。数学関係の著作物は、希臘(ギリシャ)語や埃及(エジプト)語、そして亜細亜(アジア)系も割合多い」
「教授やウィリアムさんは、これを全部読めるんですか?」
 恐る恐る尋ねると、ウィリアムは静かに頷く。予想はしていたが、改めてメアリは感心してしまう。
 この青年は数学教授の助手を務められる程に数学に堪能で、更には医療の心得まであるという。おまけに数カ国語も操れて、更には運動神経も凄まじく、腕っぷしも強いのだ。完璧すぎて驚くしかない。唯一の弱点と言えば、恐ろしく無感情で無表情な事くらいだが、そんなことは、さほど問題ではないだろう。
「ウィリアムさんは何でも出来るんですね」
 心から感心して呟くと、ウィリアムが相変わらずの無感情な銀の声で返事をした。
「それはどうかな。僕は教わったことしか出来ない」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
 ウィリアムはやんわりと否定をするが、教わった占いだってろくすっぽ当てられないメアリにしてみれば、教わったことがきちんと出来るだけでも素晴らしい。きっと人知れず努力を重ねているのだろうに、それを誇る様子は何もない。それだけでも凄いと思う。
 否定され、言葉の接ぎ穂を失ったメアリは、丁度目の高さにあった、赤い革張りの本を手に取る。レオンハルト・オイラーという著者名は解るのだが、肝心のタイトルが異国の言葉で書いてあるため良く読めない。ウィリアムが小さく言った。
「それはオイラーの天文学の書だよ。瑞西(スイス)語だから、読むには少し難しいかも知れない」
「教授は天文学も修めていらっしゃるんですか?」
 驚いて訊き返すメアリに、ウィリアムが頷く。
「オイラーは数学者だが、位相数学(トポロジー)という概念を初めて作り出した人物だ。位相数学という考え方により、現代の天文学、力学、光学が生まれたようなものだから、数学者は天文学に明るい人物も多い。教授もかつて『小惑星の力学』という論文を発表していた」
 数学は高度な四則演算をするもの、という認識しか無かったメアリには、ウィリアムの話がさっぱり分からない。メアリの疑問に答えるように、ウィリアムが数学について説明してくれる。
「数学というのは、数・量・空間などの性質や関係について研究する学問の事をいう。時代を経るにつれ、代数学・幾何学・解析学・微分学・積分学などが誕生して、それを元に物理学が生まれた。物理学というのは、物質の構造・性質を探究し、すべての自然現象を支配する普遍的な法則を研究する学問のことで、数学と密接な関係がある。かみ砕いて言えば、数学というのは森羅万象を方程式に分解する学問だ。計算だけではないんだ」
 そう言うと、ウィリアムは高いところにある一冊の本を手に取った。かなり古い書物のようで、紙の端が焼けている。タイトルらしき位置に並ぶ記号は、確か希臘語のアルファベットだ。
「これは、エウクレディス……、ユークリッドといった方がわかりやすいかな、古代希臘の数学者の理論を記した本だ。タイトルは『原論』。史上最大の影響力を発揮した数学の教科書で、内容は、有名なユークリッドの五つの公理について書かれている」
 有名な、と、ウィリアムは言うのだが、正直メアリには初耳だ。ウィリアムが説明してくれた所によると、ユークリッドの五つの公理というのはこういう物らしい。

 一、任意の二点は一本の直線で結ぶことが出来、その直線はただ一本しか無い。
 二、任意の線分はすべて、一本の完全な、無限に長い直線の一部である。
 三、任意の点と、その点に発する線分があれば、その点を中心とし、線分を半径とする円が存在する。
 四、すべての直角は互いに等しい。
 五、任意の一本の線とその線上にない一点があれば、その点を通って、最初の線と決して交わらない線が一本だけ存在する。

 幾何学のさわりだということだが、もうその辺りで降参だった。自分には父の言うところの数学の才能があるのだろうかと不安になるくらい、何が何だか解らない。余程不安な顔をしていたのだろう、ウィリアムがぽつんと言った。
「幾何学というのは、要は長さと面積と体積の研究だ。当初の幾何学は、円積問題や立方体倍積問題などを解くことが出来なかったが、ユークリッドの公理のおかげで色々解けるようになった、と、そういう認識程度で構わない。要は、数学はいろんな分野の元になっているという話だから。計算や数学を使わない分野は何もない。文学でさえも今や数学的思考で構成を組み立てる作家もいる程だ」
 無感情な声には変わりないが、なんとなく執り成すふうな雰囲気がある。メアリをフォローしてくれているらしい。
「数学って凄いんですね。なんだか、世界すべてが数学で成り立ってるみたいです」
 感心して呟くメアリに、ウィリアムがまったく淀みのない声で言う。
「それは強(あなが)ち外れではないだろう。数学は神の言葉だから」
「神の言葉?」
 銀の声で告げられた意外な単語に、メアリは思わず目を瞬かせた。ウィリアムから神の名が告げられたことに驚いたからである。教授やウィリアムは、なんとなく、神様とは無縁な気がしていたからだ。無神論者というわけではなく、なんだか二人とも、神様がいない世界でも平然としていられそうな気配がある。
「数学は、神の御技とされていた様々な現象を数字で証明する学問だ。今や自然現象の大半は数式で説明できる。引力の法則とか、熱量の法則などがそうだろう。詩的に言えば、数学者や物理学者は本来ならば神の力であったそれを、数式という呪文によって分解し、人が掴めるものとした。数学は、神の言葉を聞き取る学問だと、ジズ先生はいつもそう言っていた」
 にべもないほど、あっさりとした言い方だった。突然出てきた父の名前に、メアリは思わず訊いてしまう。
「お父様は、数学を神の言葉だと言っていたんですか?」
 メアリは父の職業も知らなかった。だから、父の思想やどんな哲学があったのかも良くは知らない。だから、父を知る人から父の話を聞きたいと強く思う。
「ああ。先生は数学者と計算手、そしてそれを実行する者を基督教で言うところの三位一体と同じだと言っていた。神を切り刻んで分解するのが数式ならば、それを神の力へと還元するのは計算の力だと。つまりは机上の理論を現実に引き出すための力が計算であり、それを実行して初めて理論は人が手にすることが出来る現実の力になるという考えらしい」
「計算が、ただの数式を神の力へ還元する……ということですか?」
 メアリの問いに、ウィリアムはひとつ頷いた。
「理屈の上ではそういうことかな。どんなに優れた技術に関わる方程式であっても、計算できなければただの落書きと同じなんだ。そこが、現実と理論を隔てる最大の壁でもある。だからこそ、その状況を打破しようと、一八二二年、倫敦生まれの数学者、チャールズ・バベッジが膨大な計算を行う機械、『階差機関(ディファレンス・エンジン)』の最初の設計を王立天文学会に提案した。これは実に画期的なアイディアだったのだけれど、しかし、それの開発は、技術者とのいざこざや、資金的な問題で頓挫している。バベッジは、後に『解析機関(アナリティカル・エンジン)』と呼ばれる、プリントアウト機関まで備えた計算機関も考え出しているが、そちらもまた、完成には至らなかった。理論は完璧であっても、実現しないものは、結局は無いのと同じだ。機械に頼ることが出来ない以上、結局は計算は人力でこなす事になる。そう言う意味で、君のような計算手はとても貴重だ」
 ウィリアムの解説に、メアリは少し憂鬱になった。
 メアリが他人から認めて貰えたのは、計算手としての能力があっての事だ。しかし、それも期限付きのことなのだろう。設計図まであるのなら、日進月歩の世の中だ、近いうちに解析機関というそれが完成する日も来るはずだ。計算機があったなら、計算手は必要なくなる。織機の発明で機織りの職人が居なくなったのと同じ事だろう。
 メアリの能力は、いずれは不要になる能力だ。計算手の能力が必要なくなれば、また捨てられる日が来るのかも知れない。そう思うと、ほんの少し胸が痛かった。
 勿論、そういうつもりでウィリアムは言ったのではないだろう。きっと彼は、解析機関がない現在、計算手がどれだけ必要とされているかを伝えてくれたのだと思う。そんな思いやりを否定的に捉えてしまう自分は、本当に屈折している。
 その屈折も含めて、熟熟(つくづく)自分が嫌になる。
 心の中でほんの僅かに落ち込んでいると、不意にウィリアムがメアリの頭をくしゃりと撫でた。
「そんな顔をしなくてもいい。君が不安に思うようなことには、決してならない」
 まるで小さい子を慰めるような、励ますようなそんな仕草だ。この青年には似つかない仕草なのに、何故だかそれはとても彼によく馴染む。
「どうして私が不安だと……」
 びっくりしてウィリアムを見上げると、あの銀色の声でぽつんと言われた。
「君のその癖は、昔から変わらない。哀しかったり寂しいときは、何も言わず、一人でいつもそんな目をする」
 茫とした蒼い目は、ただ真っ直ぐにメアリを見つめる。メアリはその目を見つめたまま、驚くしかない。
 自分にそんな癖があるかどうかはわからないが、しかし、この青年は何故、そんなことを知っているのか。そもそもウィリアムとは、出会ってまだ二十四時間も経っていない。
「あの……、どうしてウィリアムさんはそんなことを知っているんですか?」
 心(しん)から疑問に思い、メアリは思わず訊いてしまう。一言も聞き漏らすまいと、彼の声に目を凝らす。ウィリアムは普段とまったく変わらぬ声で静かに言った。
「……君はもの凄く小さかったから、覚えていないのも無理はない。僕は君が赤ん坊の頃、少しだけど共にいたんだ」
 淡々と告げられるその言葉に、嘘の気配は一切無かった。銀色の数字は普段とまったく変わる事もない。表情だって普段通りで、だから彼の言うことは嘘ではないと信じられる。
 確かに、ウィリアムは父のことを知っていたのだから、娘であるメアリのことも知っていてもおかしくはない。その事に思い当たっても猶、どこかで戸惑う部分がある。
 戸惑うメアリを見て、ウィリアムが弁解した。いや、弁解ではないだろう。事実だけを話す声だ。
「別に、隠しているつもりはなかった。昨日……、いや、正確には今日だけれど、十四年振りだというのに、君のことは一目でわかった。その事がとても嬉しかったけれど、でも、君は誰かに追われていたし、あちこち怪我をしていて、再会を懐かしむような雰囲気では到底無かった。落ち着いたら話そうと思っていたけれど、なかなか話す機会がなくて、今頃になってしまったんだ。すぐに話せば良かっただろうか」
 ウィリアムの問いに、メアリはやや茫然としながら首を横に幾度か振った。メアリには五歳以前の記憶がない。尤も、事故で失わなくとも、三歳以前の記憶など、多分在るはずもないのだが、しかし、彼のことを覚えていないのも事実だ。
 一方で、ウィリアムは幼なじみであることを話すのが遅れたと言ってくれたが、一応は出会った当日に告げてくれているわけだから、決して遅いわけでもない。寧ろちゃんとTPOを弁えてくれている。
 どちらかと言えば、不義理なのは、彼の存在を忘れていたメアリの方だ。なんだか申し訳ないような、嬉しいような、居たたまれないような、そんな気持ちが混ざりあい、自分でもどうすれば良いのか解らない。何も言えずに、ぱくぱくと口を開け閉めしてしまう。
 そんなメアリを見て、ウィリアムがまた言った。
「君にまた会えて、本当に良かった。君が生きていてくれて、僕は本当に嬉しい」
 普段とまったく変わらない無感情な声で告げられたその言葉に、メアリは思わずウィリアムを見上げてしまった。
 何故だろうか、彼にそう告げられた途端、メアリの目から、すーっと涙が一筋零れた。ぽたっと床に涙が落ちて、そうして丸い染みを作る。一滴(ひとしずく)、二雫(ふたしずく)。
 三滴目が零れたあとで、ウィリアムが手を伸ばし、指の背でメアリの頬を拭ってくれた。
 いつもの無感情な声で、けれどもどこか戸惑うようにウィリアムが訊く。
「どうして君は泣いているの? 僕は、何か余計なことを言っただろうか」
 その言葉に、メアリは涙を拭われたままに首を振る。
「違います。これは多分、嬉しいんだと、思います」
 多分というのは、自分でも、何故泣いているのかがよくわからないからだ。教授のような負い目からではなく、純粋に『メアリ』が『生きている』事を喜んでくれる人がいること、その事が多分嬉しい。
 泣くほどのことだろうかと自分でも思うのだが、けれど、事実、泣いている。多分今の言葉は、メアリが思う以上に、胸の奥に響いたのだと思う。
 ウィリアムはそんなメアリの涙を黙って拭ってくれる。一言も余計なことをいわないのがとても良かった。感情は多分言葉には出来ないし、言葉にしてしまった途端、まったく別のものに変わるからだ。
 言葉でしか他者に想いを伝えられないのに、言葉にするとそれは別物に変わってしまうと言うのは、聖書で言うところのバベルの呪いだと思う。
 人間は神の怒りに触れて、すべての言葉をばらばらにされてしまった。本当の言葉はその時に失われて、今、人間が使っている言葉は、きっと総てが紛い物なのだ。この人に自分の抱えているこの想いを伝えることは出来ないし、自分も彼の言葉の真意はわからない。
 人と人の間には、いつでも柔らかな膜が張っていて、言語のみがそれを破れる。でも、その膜は破ってはいけないものだ。浸透するように、膜の向こうに染みこませられるものだけが、今、この場で必要なものだった。
 けれど、『それ』が何なのか、メアリには良くわからない。だから、黙っているしかない。
 涙は案外、すぐに止まった。何故だか時間も止まった気がする。
 稀にそういうことがあるのだが、瞬間的に音が消えた。呼吸の音も、衣擦れの音も、外の騒音も何もない。しん、という、あの静寂の『音』さえなかった。
 妙な緊張と、水面のような揺蕩う感覚が辺りに流れる。視界に音がないのは久しぶりで、だからこそ動けない。その何かを壊してしまうのが何故だか妙に怖かった。
 奇妙な沈黙を破ったのは、不意に訪れたノック音だ。執事の声が、外から聞こえる。
「お嬢様、仕立屋がまいりました。予定よりも少々早くて申し訳ありませんが、準備をしていただけますか?」
「……わかりました、すぐに連れて行きます」
 メアリが答えるより早く、ウィリアムが返事をした。ウィリアムはそのままメアリにハンカチを差し出した。彼にハンカチを貰うのは二度目であるが、一度目は血で汚してしまっている。
 だからこそ、それを受け取るのを躊躇うメアリに、ウィリアムはハンカチを押しつけるようにした。仕方なしにメアリはそれをまた受け取る。
 この人には纏めてハンカチを返さなければならないだろうと考えて、それが面白くて、少し笑った。
「ありがとうございます」
 笑いながらお礼を言うと、ウィリアムは茫とした目のままで頷く。
「服と靴が、早く出来上がるといい。君に見せたいものが沢山あるんだ」
 書庫のドアを開けながら、ウィリアムがぽつりと言った。
「そうですね」
 その言葉に、メアリは小さく頷いてみせる。
 彼と自分が幼なじみと言うことが、なんだか奇妙に嬉しかった。自分に幼なじみがいたのだという、その事実だけでなんだかとても救われる。メアリは先を行くウィリアムの背を追いかけていく。
 応接室に続く回廊に、あの異界へと続くような違和感は何もなかった。

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