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マイノリティデザイン。これ、私ずっと探してたことだ。

広告・コピーライターが本業の澤田智洋さんが書かれた、障害のある人の世界にいつもとは違う角度から光を当て、新しい価値を見出す「マイノリティデザイン」という言葉は、私にとってずっとモヤモヤしていたことに遠い世界から手を差し伸べてもらったような、「そう!これなのよ!求めていたのは!」と思わず、普段図書館本で済ませる私が購入し、何度も読み返し、付箋を貼りまくるといった、久しぶりにワクワクする本だった。

というのも、私の本業は精神科医療で、精神障害の人、児童虐待を受けた子供、生活保護の人といったマイノリティの人たちに係り続けた。
特に精神障害の治療やリハビリには、「作業療法」というものがあり、陶芸をしたり、絵を描いたり、手芸をしたり、パンを作ったりして、それを街のお店の隅に「障害者が作った作品」「作業所で作ったパン」といった形で売られていたり、「障害者アート」として特別なものとして美術展が開かれたりしている。
それは、何か、違った人が作ったものとして、プロのものとは程遠い手作り感あふれる形で、ひっそりと展示され、明らかに支援者とわかる専門家と、明らかに当事者とわかる患者が商品の前に立ち、消費者はその作品そのものを買いたいというよりも、「障害者を応援する善意」という気持ちも入った中で、なんだか偽善なのではないかという後ろめたさを感じながら購入するという世界観だ。

どうしても、魅力的な作品や商品にならない。
どうしても、普通に来たいイベントにならない。
どうしても、支援という善なる人の犠牲、善意、施し、という観点になる。
どうしても、一般の人にも使えるという地続きのものにならない。
当事者本人の喜びや自尊心向上にならない。
どうしても、メッセージが「障害者を認めて」というダイレクトなものになる。

というのが、いつもモヤモヤ、モヤモヤしていた。

どうしたら、世間が同じ目線で商品やイベントに参加してもらえるのか
どうしたら、魅力ある展覧会になるのか
どうしたら、より広く認知され、たくさんの人が楽しみにやってくるのか
どうしたら、同じ目線に立てるのか
どうしたら、価値観が転換し、自尊心の向上になるのか
どうしたら、障害の人からの発想が一般の人も同じように楽しむことができるのか

たまに、非常にブレイクスルーだなと思う仕掛けを見かける。
例えば、認知症の人が店員として働く「注文を間違える料理店」

視覚障害者の人が案内する美術体験「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」

こういう発想、こういう仕掛け、とってもいいなあとぼんやり思っていた。

それが、この本では「マイノリティ・デザイン」として、はっきりとした概念を作ってくれている。

そうだ。私はこれを、精神障害の人や虐待を受けた子どもや女性、そういった人たちに違う角度で光を当てて、新しい価値を見出し、ポジティブなものとして再定義し、世の中に普通に受け入れられるようにしたいんだ、その仕掛けを作りたいんだと気づいた。

今までのやり方と、このマイノリティ・デザインの考え方の違いをイメージ図にしてみた。


マイノリティデザインと従来のアプローチとの違い

この本は、最後の章に、具体的に「生態系」の作り方まで教えてくれている。
P:ピンチの発見(具体的なマイノリティの発見)
P:フィロソフィー
P:プラットフォーム
P:ピクチャー
P:プロトタイプ
これに則って、持続可能な「生態系」を作っていけばいいのか!
なるほど。これは、できるかもしれない。
なんせピンチは嫌というほど知っている。
それをどう価値を転換させていくかだな。
と思うと、ワクワクしてきた。

身近な誰かのために。自分のために作るマイノリティ・デザイン。

私にもマイノリティがある。それは耳鳴り。
調子が悪い時には、真夏に蝉がジャンジャン鳴くようにうるさくて、集中できない。
耳鳴りが気になりすぎて、瞑想ができない。
静かな美術館だと耳鳴りが気になって集中できない。
雑踏や、大人数の飲み会が反響し、何を言っているのかわからなくて会話に入れない。
厄介なのは、調子が悪い時がいつどういうタイミングか全くわからないことだ。

耳鼻科の先生の言われたのは
「気にするな」
気にするとうつになるから。

あまりにダイレクトな指示に、
「そんなこと言われても。気になるものは気になるんですけど!」
と思いながら、音楽を聴いたり、テレビを見たり動画を見て気を逸らしたりして、なんとか付き合い続けてきた。

この耳鳴りとの付き合い方について、インターネット上には殆ど当事者の声はない。きっと世の中、耳鳴り持ちの人はたくさんいるはずなのに。

これも、もしかしてマイノリティ・デザインの考え方で何か出来はしないか。
障害を持つことで、新しい価値を見出す。そうなればいい。
そうなれば、私の耳鳴りも何らかの形で世の中の役に立つ何かになるといい、と思う。

この本に出会ったことで、私の中に新しい希望の光がたくさん見えてきた気がする。