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Don’t ルックバック In Angerー藤本タツキ「ルックバック」

この作品を評価するには何百万言あっても足りない。
それでいて平気で何百万言を越える数の感想や解説がインターネット上に現れるのだから、現代における作品を読むという行為はおもしろい。
膨大な量の注釈や感想、解説が流れてくる上での読書体験は、自力ではまず知ることはなく気づけなかった要素がリアルタイムで次々に指摘され、いったいどこまでが自分の感想なのか、あるいはいったいどこまでがその作品なのかすらわからなくなっていく。
そんな現代において、この作品のような厚みのある絵解きを要求する作品は非常に相性がいい。
はっきり言ってそうやって漫画や小説を読むのは楽しい。
しかしこの作品はただハッピーに読めるものでもない。
ある痛ましい事件に対する追悼の意味を持つ作品でもあるからだ。
すぐ読める作品であるし、今この文章を読んでいるということはつまりインターネットに接続されているはずなので、ぜひ実際に読んでいただきたい。

優れた解説や注釈は既に山ほどあり、この場で僕があれこれ解説したところで月並みな解説を増やすだけのような気もする。
だからこの先は少し自分の話をしたい。
このnoteは僕が取り組んでいる平均化訓練について書く場所だし、挫けないで続きを書くことがこの作品から受け取るべきメッセージであると思うからだ。

取り返しがつかないことに対する「もしも」は人生に重くのしかかる。
本当に「もしも」の側に転んだとしても空想のように上手くいくとは限らない。
どんな道を歩むにしても挫折もあれば苦悩もある。
あるいはルックバック作中最後の4コマ漫画にあるように別の悲惨な結末が待っている可能性だってある。
それでも「もしうまくいっていたら」という可能性に夢を見ずにいるのは難しい。
それは怒りであり怨みであるからだと思う。
怒ってはいけないと言葉では簡単に言えるがそれはいったいどれだけ困難なことだろうか。

2016年はまさに平均化訓練の研究が始まるといった時だった。
それまで学んだことはひとまず整理し、家族や友人達の理解を得て、ずいぶんと準備してその場に臨んだはずだった。
それなのに、その後の展開は何だったのか。

「自分は先生並みに出来る」と増長した人に背中を殴られたりする。
これが大きなダメージになって僕はその後ずいぶんと長い時間を回復に費やすことになる。
なるほど確かに我々に近寄ると火傷をするぞと嘯くのは本当のことだったのかもしれない。
でも、僕達は平均化訓練をする為に集まったのではないのか。

だから彼等と共に僕は素直には笑えない。
つまらない言い訳で有耶無耶の中に逃げ込こまれたり、わかったような説教をされたり、あるいは横で行われた見苦しいセクハラを止められなかったり。
そんな中で育まれた平均化訓練を僕は好きにはなれなかった。

当然だが人は減り、それどころか彼等自身もいなくなった。
僕の背中を殴った人は結局最後まで謝ることはなかった。
彼等は人の心をわかったかのように振る舞いながら、誰ひとりとして僕の事情を知ろうとしたり、心に寄り添おうとしたりする人はいなかった。

気が合わないなら仲良くする必要はないだろう。
でも、せめて僕も楽しくやりたかったよ。
今さら取り返しはつかないが、楽しい時間を過ごしたかった。
彼等の顔なんか見たくもないが、それでも出来ることなら仲良くしたかった。
楽しくやりたかったと、今だって心から思う。

しかし、僕は挫けずに体操を続けているし、今ここで平均化訓練について言葉を紡いでいる。
これもできたらもう5年くらい早く始めたかったが、仕方ないと思えるくらいにはなった。
背中を殴られて体操自体は少し困難になったが口も手も動くから言葉は紡げるし、体操だってゆっくりと楽しさと感覚を取り戻しつつある。
だからチャラにしろと言われたら腹は立つけれど。

ルックバックの話に戻ろう。

この話は徹底的に被害者目線で描かれている。
凶刃を振るう犯人すら被害妄想に取り憑かれた人物であり、そもそもその犯人は主人公の「もしも」の中で描かれた都合の良いヴィランである。
実際の凶行の犯人について、その実像はまったくわからない。
加害者の心は不明のまま、その凶行はどうしようもない理不尽として主人公に襲いかかる。

人生は理不尽なものだと言葉では簡単に言えるが、それを飲み込むのは大変な困難が伴う。
怒りが無いわけではない。
それでも立ち上がって机に向かう主人公の気持ちはいったいどんなものなのか。
1ページ目に「Don't」とあり最後のページに「In Anger」とある。
タイトルと合わせて「Don’t ルックバック In Anger」となり話は完成する。
「ルックバック」という言葉が多重の意味を持たされている本作において、最後の「In Anger」に斜線が引いてあることは示唆的であると感じる。

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