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壁際の人々

平均化訓練に出会うまで僕は甲野善紀先生が主催する武術の稽古会によく通っていた。
これは体操に出会ってから気づいたことだけど、僕は実際のところ、武術そのものにはあまり関心がなかったらしい。
たまに剣術に憧れて居合いをしようにもまるで才能がないと感じて、それは結構ショックだったけど要するに興味を持ちきれなかったのではないかと思う。
甲野善紀先生の周りは武術の稽古会としてはかなり特殊な場所で、武術に興味はないけど身体や人間に興味はあるみたいな人は結構いた。
そして僕もそんな人達の一人で、熱心な稽古人を遠目に見ながら壁際にいた。

興味はあるけどどうすればいいかわからない。
熱心に技の練習をしている人達を手持ち無沙汰に遠巻きから眺める、そんな状況の人達を壁際の人々と呼んでいて、僕はまさにその内の一人だった。
どうすればあの稽古の輪の中に入れるのか、それについてずいぶんと悩んだりした。

悩んだと言っても答えは簡単で、それが出来ない理由はよくわかっていた。
あの場所で稽古をするには具体的なシチュエーションが必要だった。
サッカーをやっているとか剣術をやっているとか、そんな前提がある人なら「この状況でどうすればいいか」という質問が出来る。
そして、そこから話が発展して講座や練習が進行していく。

残念ながら、壁際の人々にはそんな具体的なシチュエーションなんて存在しない。
何故なら彼等は(僕達は)身体をスポイルされてきた人達だからだ。
せっかく身体に可能性を見てここまで来たのに、当の本人の身体がすかすかなせいでその先のもう一歩が踏み出せない。
それでいつも壁際にいるなんてずいぶんとさみしい話じゃないかと思っていた。
もうワンクッション、何かないだろうかと考えていた。

まあ、そんなことを考えているうちにうまいこと平均化訓練に出会い、求めていたワンクッションが得られたという話になります。

これがあれば壁際の人々と手を取り合うことができるのではないか。
別に僕は達人になりたいとか思わないけど、壁際の人々の希望になれたらいいのではないか。
人に言うには少し恥ずかしいような、そんなエゴが僕が体操に取り組むモチベーションの底にあるように思います。

それもずいぶんと昔の話で、10年以上経つのではないか。
あれから自分の視野や見識が広がったのか、あるいは世の中が変わったのか、壁際の人々が稽古の輪に加わる道筋はなんだか増えているように感じる。
やっぱり当時感じたさみしさや悲しさは、僕だけのものではなかったんじゃないかな。

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