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2021年5月の記事一覧
アイデアスケッチ 6
最初の理解はとても単純なものだった。
2人の人がいて身体の練度の差がぽんと出る。
この理解は今も間違ってない気がする。
なるほどそれはそうなるだろう、という気がした。
そして、そこだけを切り出して体操と呼ぶシンプルさも好ましかった。
アイデアスケッチより 4
平均化操法を受けに神奈川の山奥まで行くことがしばしばあった。
回数はそれほど多くない。
2014年のことで、1日がかりの小旅行じみた往復だったと覚えている。
この頃はあまり他の参加者との交流は多くなかった。
何人か顔を合わせると話をする人はいたが、積極的な交流が増えるのは2016年以降だ。
アイデアスケッチより 3
2014年はヨガの勉強会に1年通っていたことが記憶に強く残っている。
「平均化訓練が最高だから他はいらない」なんて不遜な気持ちをあっさり打ち砕いてくれたことをよく覚えている。
人が体験できる神秘的なこと、スペシャルな経験というのはたくさんあるのだ、ということがよく理解できた。
神秘的な経験というものは主観的な経験としての迫力とは裏腹に、それを体験することそのものは特に珍しいものでもなく、それを体験
アイデアスケッチより 2
今の平均化訓練は解説と実習が中心となる。
しかし、このスタイルになるまでにはずいぶんと時間がかかる。
キッカケは2015年の秋頃の講座だ。
先生の指導ではなく、参加者2人が手を合わせ、互いを押し合うことで体操をする、というものだ。
当時、2013年から2015年の間は指導が中心となっていた。
アイデアスケッチより 1
平均化体操はもっとカジュアルに行われるべきだと思いつつも真剣さを求めてしまうし、その哲理に触れたいと思ってしまいます。
これは自分のライフワークなのだ、という自覚をもっと持つべきで、そこに対しての取り組みが興味を持たない人の役に立つようにやっていけばいいのではないかと思うようになりました。
平均化訓練の第一印象
平均化訓練の振り返り記事を読み返したりしていると当時の感覚などが思い出されます。
平均化訓練を初めて体験した時にはこの体操は自分の感性にマッチしていると感じました。
自分の感性をどう活かすべきか、ということに道が示された気がして、これなら自分のやりたいことが出来るだろうという安心のような感覚もありました。
何よりダイレクトにそれを示せるだろうという期待もありました。