【新装版】小室直樹の中国原論
中島みゆきの歌じゃないけど、中国人を一言で表すと、「縦の糸は宗族、横の糸は帮(ほう)」となるらしい。
宗族というのは、姓が表す家系であり、父系集団が形成されて以来数千年、姓を持ち続けているそうな。なので、時として数万人単位で粛清があるのは、宗族ごと消す必要があるため。一人でも残すと、遺恨となり、いつまでも殺し合いが終わらないらしい。
帮というのは、そうした身内の繋がりではなく、他人同士での繋がり。その繋がりも親友とかそんな言葉で表せるものではなく、相手のためなら命も惜しくないレベルのもの。
著者小室直樹が推すのは、『三国志演義』。これが一番帮が分かりやすいとのこと。劉備、関羽、張飛の三人が三人帮で、義兄弟というような仲を超えて三人で一人ぐらいのものらしい。また、三顧の礼で迎えられた諸葛孔明は、劉備とは二人帮になる。
帮や宗族は仲間内と外側では、まったく扱いが変わると著者小室直樹は言う。命も財もすべてを分かち合うのが内輪で、外側は、嘘をつこうが奪おうが、それこそ殺害しても問題ないほど極端な扱いになるらしい。
帮や宗族まででなくても、他人同士では輪というものがある。輪の内側と外側では、たとえば契約という法的に保護される約束も、内輪では口約束でも構わないが、外は書面にしても下手をすると破り放題。
契約は中国人にとっては人間関係の出発地点であって、中身はどうでもいいとすら著者小室直樹は言う。
中国では、早くから法治が始まったという。それは世界一と言える。
しかしながら、我々が思っている法とは違う。中国にとっての法は、統治のためのもので、西洋から渡った法は、人民の権利を守るためのもの。
まるで異なる。
とはいえ、日本人にしてみても、法は統治用にも見える。たとえば、お上(当時はGHQ)が与えた憲法を絶対変えてはならないものと認識している節がある。
契約も、日本人は意外とラフに考えていそう。実際ぼくも、適当に解釈していたため痛い目に遭ったことがある。
そういえば、契約を破り放題の中国を国際仲裁裁判所に訴えて勝っても、中国では意味がない。近年でも南シナ海における中国の権利主張を否定した常設仲裁裁判所の判決を紙切れと一蹴したこともあった。
中国には中華思想がある、つまり、中国が世界の中心であって、世界の中に中国があるわけではない、だから、そんなの守る必要もない・・・と。
こんな中国と取引をしなければならないビジネスマンたちもいるわけで、『三国志演義』をよく読んで、契約書を交わしても、それが始まりなので、人間関係をより深める努力をして、帮は無理にしても、何かしらの輪に入れば、商売もスムーズになるそうな。
それこそ、紙切れはいらなくなる。
ちなみに、西洋から入った契約は、キリスト教に根があり、神との契約は絶対なので、契約書も絶対的なものということになる。
人権という概念も、そもそもはキリスト教からきているらしい。だから、日本人にも、ましたや中国人に理解できるはずもない。
どちらがまともなんだか・・・?
追記:
ウクライナ侵攻が始まって、三顧の礼で訪中したプーチンさんは、果たして、習さんの、帮は無理として、輪に入れたのか・・・?
政治的にはロシア侵攻を支持しているけど、部品などの供給は拒否しているとか・・・輪に入れていないようだ。