見出し画像

謝ってばかりの人生

前の職場の同僚、営業部の川谷君はいっつも謝ってばかりだった。社内での彼の印象は良く言えば真面目、悪く言えば愚鈍。
例えば、彼は上司と酒を飲み交わすような場で巧妙に愛想を振りまくことも、絶妙なタイミングで的確な合いの手を打つこともできなかった。


軽快なジョークで場を盛り上げる彼の同期を見た上司から「川谷、お前も何か気の利いたことでも言えないのか」と振られれば絶対絶命とばかりに顔を青ざめ「すみません」、かと思えばおもむろに立ち上がり、「ゴッドファーザーのさわり部分のマーロンブランドやります」と誰からも求められていないモノマネで見事に失笑をかっさらった後耳を赤く染めて「なんか、すみません」、汚名挽回とばかりに「ゴッドファーザーⅡの……」と言ったところで生ビールを運んできた店員に「あ、すみません。あれ?すみません。生ビールじゃなくて生レモンサワーです。いや、大丈夫です。すみません」
そんな具合に2時間の飲み会の間だけでも、様々なパターンの色彩豊かな「すみません」を彼は魅せてくれた。

ところがそんな川谷君の印象がある日を境に私の中でガラリと変わることとなる。

その日、私は電話口でクライアントから激昂されていた。
約1時間ほどかけて入力したデータが保存できなかった」と訴えるクライアントはシステム窓口の私に2時間以上かけて懇切丁寧に、ときおり罵詈雑言を交えながら叫び続けた。
電話対応が1時間過ぎたあたりから私の顔は苦虫を噛んだような表情に変容し始め、2時間過ぎたあたりから熱にうなされているかのような返事しかできなくなった。
「あんたじゃ役不足!上の者を出しなさい!」
あいにくその日直属の上司は有休を取っていて、周りには同じくらいの年次の同僚しかいない。
二の句が出ず涙目になった瞬間、私が握りしめていた受話器が誰かの手に取られた。


川谷君だ。


川谷君は「お電話変わりました」と言って、クライアントから事情を聞き、やがて、これでもかというくらい謝り倒した。
的を得た指摘だと言わんばかりの「申し訳ございません」、自分に喝を入れるように「申し訳ございません」、頭をかしげながら「申し訳ございません」、何故か眠気まなこで「申し訳ございません」、マーロンブロンドに寄せた「申し訳ございません」、慈悲の心を垣間見せながら「申し訳ございません」。
私はバラエティ豊かな川谷君の謝罪にただただ圧倒されていた。
そして徐々にやわらぐ川谷君の口ぶりから、クライアントの怒りが一枚一枚薄皮を剥ぐようにおさまっていっているのを感じていた。
「はい。申し訳ございませんでした。それはもう。それでは失礼いたします。申し訳ございませんでした。はい、すみません」と言って川谷君は電話を切った。

川谷君が受話器を置くのを見届けると私は「本当にありがとう。契約切られちゃうところだった」と伝えた。
川谷君は「じゃあ間一発だったね」と笑った後「あ、でも途中で電話取っちゃったりして逆にごめん」とやっぱり謝った。

私は「愚鈍なんて思ってごめんね」と心の中でそっと誤った


画像1

画像2

いちじく舞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?