癌になった父と、40代医学生の姉

先程、父が小細胞肺がんだっていう診断を受けました。
禁煙始める30年前くらいまでは1日100本くらいタバコ吸ってた人なので、その結果については「でしょうね~」って感想しかないです。
これをお読みの皆さんもカラダは大事にしてください。
今日の結果を聞きに行く時に、姉が病院に同行していました。
なんだか感慨深かったので日記を書きます。

姉は私より8歳上で、もともとは医学生相手の大学講師だった。医学生に教えてるのに姉自身は医師免許はない……っていうなんか不思議な仕事をしていた。
姉は中学生の時からずっと医者になるのが夢で、医学部を数度受けて浪人したけど、結局医学部でなく、別の学部に行き、行きついた先は自分がなりたかった医学生に自分の分野を教える仕事をしていた。

姉が医者を目指していたのは医学部受験していたから勿論知っていたけど、その理由を知ったのはもっと後。姉が医学部受験をやめた後、私が成人した後に家で見つけた姉の文集を盗み読みした時だ。
救急搬送先で死んだ祖父のことをずっと悔やんでいて、そこから救急医という職業を知ったとあった。だからERめちゃめちゃ見てたんだなって納得した。

祖父はなんか不思議な死に方をした。
私は小学一年生?だったけどその日の事だけはよく覚えている。
横浜に住んでいた祖父の家に行き、あそんで祖父と別れ、車で家に着いた後に祖父が倒れて病院に運ばれたと聞いた。私以外の家族はみんな病院に向かったんだけど私だけ小さかったので幼馴染の家に預けられた。
朝、起きたら私は自分の家にいて、いつものように起こされた。
夢だったのかなと思い、「おじいちゃんは?」と訊ねたら、それまでいつものように笑顔だった母が泣き崩れたのを見て夢じゃなかったんだなあと思った、そんな記憶。不気味なほどよく覚えている。

不思議な死に方というのは後から母から聞いた話だ。
当時月に数回、祖父の家に車で出向いて買い出しをしていたのだが、その日は珍しく祖父からの呼び出しであった。祖父はこの日は突然家系図を広げて、これまでの家の説明を始めた。
今思えば何か察するものがあったのかな~と母は言っていた。
あの日の祖父は本当に元気だった。空元気というわけでもなかった。
当日だって夕飯にステーキをもりもり食べて、リビングでテレビを見ている最中に突然倒れた。だから別れて1時間後に家に着いて、我が家もこれから夕食というタイミングで倒れたという連絡があった時はさすがに耳を疑ったという。
私は病院に行けなかったから、遺体は棺桶に入った姿しか見れなかった。
あの日医者になることを目指した姉は、どんな祖父の姿を見たんだろう。

時は過ぎ去り2020年秋。
母から「姉が医学部に受かった。今やってる教員やめて大学に通うっていってる」って報告聞いた時にマジでゾッとした。
こっそり受けたら受かっちゃった。考えたけどやっぱ医学部行きたいという相談だった。

いやいやいやまだ諦めてなかったんかい。40代やぞ?まだ勉強すんの?
姉は結婚して子供もいて、私より断然高収入で、ものすごい勉強と努力とラッキーで今のポストに就き安定した毎日を送ってる……のに、仕事やめるの!?!??
姉のやってる本業は医師免許がないとできない仕事が多いって言ってたから仕事のためか〜向上心がすげえわ〜っておもって、その時はおめでと〜でおわった。ちょうど満期になった私名義の定期預金は全部姉の学費になり、私は姉の出世払いに期待することに。
なにかあったら姉にお世話になることになっています。

そして今年、姉は3年生になっている。
その後また母との話で姉の近況を知った。
「姉、資格とったら大学戻るんでしょ?」
「それがね、救急医になりたいんだって」
この時本当に…本当にゾッッッッッッッッッッッッッッッッッッとした。
40代やぞ。医師免許とれる時もう50近いのに?中学生のときの夢をいまもなお抱いてること、それに対しての絶対にかなえようとしている執念が強すぎる。私は勉強がきらいなので、すごいとは思う。
すごすぎてよくわからない姉だ。

そして時はさらに過ぎ、1ヶ月前。
父が突然体力がなくなったと連絡が来た。
近くの病院に行ったけど、喉のリンパが腫れてるらしくて喘息っぽい。薬だけ飲んでるとのこと。
3時間位ぶっ通しで散歩できるほどの散歩マンが…!?
駅と家の10分くらいで息切れする…………?!
「ぜーーーーーったい違うから別の病院に行かせて今すぐ」
私はその地元の内科医(King of ヤブ)のせいで肺炎になったのでマジで憎んでいる。(陰性だったのにインフルエンザって2回診断された)
すぐに別の病院で調べろって言ったんだけど、父はもともと病院嫌いというか……自分のカラダが悪いことを人に言うのを嫌がる(症状が相当悪くなったらこっそり病院に行く)タイプなので、はぐらかして聞いてくれなくて。
まあそうだよなーってそこで終わってしまった。その時に無理やり病院つっこんどいたら何か変わってたのかなーって今めちゃくちゃ後悔している。
病院は大事。大事だよ。

先週、父は声が出なくなっていた。食事が喉を通らないらしく、体重は8キロ落ちていた。姉が来て、父を見て有無を言わさず別の病院を予約。
すぐに検査に行けと指示を出した。
少しの検査で「うちでは無理」となり、大きな病院で検査入院(今見た感じたぶんそのまま入院になる)とのことだった。
別の医者「なんでレントゲン取らなかったんだろ…」
ほら〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!
ヤブ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!怒怒怒怒怒怒
(私の時もレントゲン撮ってくれなくて「ごめーん肺炎だわ☆」と言われた)

そして検査した今日。結果を姉が聞きに行った。
その結果を私に電話で説明してくれたんだけど。
「まあ癌でしたわ。昔のたばこが原因」
「でしょうね~」
いっぱい説明してくれたけど、私は説明はぜーんぜんわからなかった。端々の単語から検索をしてこれか~となった。
https://ganjoho.jp/public/cancer/lung/treatment_sclc.html
レントゲンとかも見せてもらって、うんたらかんたらって色々説明してくれたんだけどなんか途中から頭に入ってこなくてやっぱり何言ってるかわからなかった。
この癌は進行が早いこと。来週にならないと詳細はまだわからないこと。
私が泣き始めたので、姉も説明しながら泣きはじめた。
よくわからん話を嗚咽混じりで言うからもっとよくわからなかった。

私は全然わからないけど聞きながら、姉がわかってるからいいやと思った。
姉が勉強し続けてきたのは「今日のため」だったのかなあとも思った。勝手だけど。家族でいてよかったと、姉の存在がここまで頼もしいとおもったのは初めてだった。

何故死んだのかわからなかった祖父への思いをずっと抱えていて、その死がわかるようになるために法医学の道を選んで、今度は身近におこる新たな死に備えて理解できる知識を得ている。そして最後は人を救うひとになるのかな。しらんけど。
姉とは仲悪いわけではないんだけどいかんせん学校が同じにならないくらいは年が離れていたのでこれまでも事務的な連絡くらいしか取り合うことがなかった。
今日は姉も家族なんだなーとおもった、そんな日でした。
おしまい。

追記
家族に書いた文章なんてほぼ見せないんだけど、この文章はリンクを姉に送りました。
姉「文集って?そんなのあった?もしかして私の日記読んだ?」
私「ぶ、文集だったはずだけど…………???😅😅😅」

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