自由主義の観点から、津田塾大学の件とLGBT理解増進法に思う事

 今回は、先般成立した「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」と、いま一部で賛否両論で騒がれている津田塾大学の件について書きます。
 
 津田塾大学のサイトのトップページに、以下のような理念が書かれています。
 
 「男性と協力して対等に力を発揮できる女性の育成」
 創立者 津田梅子のこの想いは脈々と受け継がれ、時代を支える“新しい女性たち”の輩出へとつながりました。 津田塾大学はこれからも時代の要請に応え、新たな道を開拓していく女性を育成していきます。

 

 この津田塾大学において、2025年度入試からのトランスジェンダー学生(性自認による女性)の受験資格が認められることとなりました。

 津田塾大学は私立の大学ですし、民間のことは民間の裁量で決めればいい話です。
 私的には津田塾大学の今般の決定は、時代の潮流と思っています。
 しかし一方で大学の決定に懸念を示す学生もいるようです。
 トランスジェンダー学生が津田塾大学を受験できるようになることも、生徒らが反対運動を展開して大学側が決定を白紙に戻すことも、自由にすればよいと思います。

 私が懸念するのは、反対派の意見に対して、「トランスジェンダー学生の受験資格を奪うなんて差別だ」とされる世の中になることです。
 そうなってしまっては、反対したくても反対することが出来なくなるでしょう。
 賛成も反対も出来るのが自由な社会。
 一方の主張だけがまかり通るのは、多様性でも自由でも何でもありません。
 こういった「差別」を盾にして異論を封じるおこないは、権威主義者(全体主義者)によくみられる傾向に思います。

 先般、LGBT等性的少数者への理解増進を目的とした議員立法「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」が6月16日の参院本会議で可決、成立しました。
 

 「理解増進法だからいいじゃないか」と言う話ではなく、個人や家族の価値観に政府が介入することが果たして憲法が保障する自由に照らし合わせて考えたとき、それが適切と言えるのか。
 私は適切なこととは到底思えません。
 こういった国会の動きは、今回の津田塾大学の方針決定に影響がなかったとも言い切れないと考えます。
 また、津田塾大学の今般の決定に、政府介入があったとすれば大問題であることは言わずもがな。

 日常生活上の社会秩序に何らかの影響を与えるうる事案については、国会はもっと慎重であって欲しい、と私は思います。

 一人でも多くの人が、「自由」というものについて、もっと考えていく世の中であって欲しい、そう願ってやみません。

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