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休日の朝に思い出した自由だった頃のこと
小さい頃から、家族が寝静まっている中をひとりでこっそり起き出すのがすきだった。
暗く静かなリビングにひたひたと歩き、細くカーテンを開けるとわたしの世界だけが起き出す。テレビをつければ休日の朝のアニメがやっていて、特別ハマっていたわけでもないのにのめり込むように見ていた。思えばあれは「大人には内緒で」という子どもらしい背徳感を楽しんでいたのだろう。
平日は尻を叩かれながら起きるのに、休日だけはケロリとした顔で先にリビングにいる娘を見て母ひ呆れながらも褒めてくれた。わたしはその時の彼女の表情もすきだった。
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なんでもひとりでやりたがる子どもだった。
勉強も、運動も、遊びも、誰かの手を借りたり複数人でやるよりも、自分の考え・自分の感覚で進めたい人間で、それがいくらか人に迷惑をかけたこともあったと思う。
反省はしているが、今になってみると「どうして幼い自分はそんなことができたのだろう」と考えていた。
大人になって、協調することは努力して覚えるまでもなく一定以上は身についていた気がしている。誰かに過度な迷惑をかけることもなくなって、安心半分・ぽっかり空いた寂しさ半分。
自分ひとりじゃなにもできない、なんてことはない。でもあの頃のように勇猛果敢で、ちょっぴりお転婆で、自由だったわたしを、実はとてもすきだったのだ。だからその面影が今の自分に見えないことが少し、寂しい気もする。
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ひとり暮らしを喜ぶような歳でもなくなったが、就職してひとり立ちしたときはとても嬉しかった。
それまでは大学も実家から通っていたから何かと制約もあったし、夜遅くに帰ったときの母のじとっとした視線も痛かった。彼女は決して口に出すことはなかったけれど、お互いに何かを感じていたことは確かだった。
不仲ではなかった。むしろ仲は良い方だったが、それとこれとは別の話。母は母であり、友達ではないのだとそのときに気がついた。
そうしてひとり暮らしを始めて、手に入れた解放感。はじめこそあまりの自由さに、無限の広がりに感動した。わたしを待つ人のいない家が雲のように柔らかく温かく、それがとても嬉しかった。
でもすぐに気がついた。雲には実体がない。その柔らかさと温かさに包まれているだけではいずれ破綻する。自分を守ってくれるシェルターはきちんセメントを練って、固めて、頑強にしなければならない。
その作業の大変さと言ったら。単に家事をするだけじゃない、公的な手続き、お金の管理、もろもろの雑務一般。言い始めたらキリがない。
そして、誰かが待ってくれているという安心感。わたしはそれら全てを手放したのだと、気がついたのはひとり暮らしがようやく安定し始めた頃だった。
自由には責任が伴う、なんてね。頭では理解してたはずなのにね。
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子どもの頃のあの、奔放で、協調も考えず、なんだってできるような無敵感。あれは守られている者のそれだった。自分を自分で守らなくてはいけなくなった今、それがわたしにあるはずもない。
たぶんそれが大人になるということ。同時に幼い頃の万能感は、懐かしみ、思い馳せ、自分を奮い立たせてくれる貴重な経験だった。あの頃のように振る舞うことはできなくても、あの頃のようにわくわくすること、すきに生きようと思うことはできるはずだから。
それを次の世代にも、子どもの特権として残していきたいとも思う。世間に意思を砕かれ、挫折の苦渋を味わうのは出来るだけあとがいい。目をキラキラと輝かせていた頃が自分にもあったなぁと、誰もが思い出せたら良い。
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休日の朝に始まって、すきな方向へ舵を切るだけのお話でした。
もう昼も目前ですが、青と白がまだらな朝の空を見ていたら思い出した昔話。
それでは皆さま、良い休日を。
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