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こごりふみ

「……さすがにシオミツのど真ん中にテント張れるほど、肝がすわってるワケでなし」
 南から左に曲がり、シオミツへと足を踏み入れるその三軒分手前で見つけた、高台に向かって細長い空き地に、コウはネイビーブルーのテントをはためかせた。シオミツ、と呼ばれる街をつらぬく一本路の片側のみ、高台を背に建つ家屋の倒壊も怖いが、それ以上に街の痕に今なお息づいているものを前にしてしまっては、気どころか腰も引けるのが人情というもの。
 磨り硝子にレトロ硝子と、さまざまに貼り混ぜられている蘭燈に、いつにはなく和蝋燭を灯してひとつ息をついてから、コウは二本目の線香を取り出した。ちいさな雲をかたちどった香立ての先へとライターを伸ばせば、三秒と待たずに、梔子色をした線香からしろい煙が燻りだす。
「むかしここには代筆屋があった、って、あの居酒屋で聞いてはいたけれど──……」
 線香からただようあまい香り、常緑樹の落とす影にしろさが際立つ煙が描き出す、いつかのとおき夜の幻影。
 結び文に短冊、フレンチレターにハートのシール──老若男女を問わずに頼まれ、望まれるがまま、代書屋が記したラブレターの記憶か、とコウは目を細める。しろい煙は文殻の輪郭を辿りはするけれど、肝心のしたためられた恋の告白までは読むことはできない。
「まあ、ヒトのラブレターを盗み読みするなんて野暮、ってモンだろうけどさ……それにしても」
 適当に注いだ分だけ濃いジンライムをちびりちびりと舐めながら、コウはひとりごちる。
「ここで書いてもらったラブレター、想いを寄せる相手に出したのと出さないのと、どっちが多かったんだろうなあ」
 その声に呼応したように、ゆらり、と煙が揺らぐ。そのまま、シオミツの奥へと流れゆく煙とは反対側に立つ人影に、コウは気がついた。息をつめつつそちらを見ると、半袖のセーラー服を着崩しもせず、肩のすこし先まで伸びた黒髪をふたつに分けて結んでいる、いかにも生真面目そうな、高校生くらいの少女が立っていた。
「あ、あの……」
 女の子がこんなところにひとりでいちゃ危ないよ、と、コウが声をかけるより前に、彼女の目から涙があふれ出した。
「え、あの、ちょっと」
 コウがいることに気づいているのかいないのか、彼女はしゃくり上げながら、涙が流れるままにまかせている。そんな少女のふるえる手が握りしめている園芸用のスコップと──ピンクの花が咲きほこる封筒に、コウは視線を向けていた。
「ああ、これ……ラブレター渡す前に、失恋確定しちゃって」
 せぐりあがる嗚咽に唇をふるわせてから、少女は話を続ける。
「──ここの空き地に出せなかったラブレター埋めると、ひと晩寝れば、失恋なんかケロッと忘れられる、って、おじいちゃんから聞いて」
 そうかなあ、と、コウは眉間に皺を寄せた。
(たとえ自分で筆をはしらせられず、代筆屋の手を介したとはいっても──ラブレターの記憶はそうそう、忘れられるものじゃあないだろう?
 そうでなければこうして、線香の煙にほだされて、いろんなラブレターの記憶がただようはずもない……とは思う、けど)
 成らざる恋を抱え込むのは、あんまりつらいことだから。
 コウはくるり、と泣いている少女に背を向けると、その姿勢のまま声をかけた。
「そのラブレター、どうせだったら深く埋めといたほうがいいよ。あんまり浅く埋めとくと、雨だの海風だの、いろんなモンが混ざった空気に惑わされて、土に還りきれなかったラブレターたちの幻影が、あたりいったいにふよふよ漂い出すからさ」
 まさか、と、目を見張る少女の視界の先で、海からのあまり風に、蘭燈がくるりと廻る。そこに線香が最後の煙をたなびかせ、かすかな光と影の狭間にラブレターのかけらを描き上げてゆく。
「……そう、みたいね」
 コウに背を向けて、少女はスコップを荒れ地にぐさりと突き立てた。
「実らなかった想いごと、ラブレターは土に還さないとね」
 ざくり、と土が掘り返されるその音に、本音を押し殺す悲鳴を重ね聞くコウの舌に、じわりと苦くジンライムが沁みてゆく。


                  2024年文披31題 Day7.ラブレター


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