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復縁についての強メンタル論的アプローチ(執着と天下り・後編)

「復縁」についての考察の後編です。

昨日、上のnoteのことをつぶやいたら、「復縁って執着でしょ」と某女性からレスをいただいた。
その女性は代々木組の歴史では有名な元女優だが、その通りだ。
復縁は執着と言っていい。
『強メンタル論』で書いた「媚びない、歩み寄らない、崇めない」マインドは恋愛でも変わらない。
「媚びる、歩み寄る、崇める」同様、執着も意識の次元をサゲてくれる

カウンセラー度の高いスナックのママ再考
=いつも話す「媚びない、歩み寄らない、崇めない」の部分はちょっと簡単ではないマインドかもしれません。
もともと俺はこの「媚びない、歩み寄らない、崇めない」は恋愛必勝法と思ってたんです。
「おまえしかおらへんねん!」と叫びながら相手に人生丸投げし、相手の存在を自分の人生の上げ底のスニーカーと錯覚してるような恋愛への強力な処方箋として手帳にメモしてありました。
ただ、これも難しい。惚れれば惚れるほど、媚びて、歩み寄り、崇める落とし穴にハマりやすい。
そこで最近気が付いたのが、「何かを追いかけると最弱、何も追いかけないと最強」という座右の銘です。
これは俺自身への処方箋なのですが、追いかけることは女でも競馬でも破滅への第一歩です。長年かけて口説き落とした女や大逆転の馬券もありましたが、それでも「追いかけると最弱」は不滅の法則と思います。
「追いかけない」という意識。
客を追いかける、数字を追いかける、同僚を追いかける。追いかけるから最弱になり、追いかけなけれなラクな自分がやがて最強に到達する。
多少の媚びや歩み寄りは習性になっててどうしようもない場合、「追いかけない」ことだけでも意識されてみては。
カウンセラー度の高いママは追いかけない。無理なく、煩悩をちょっと横に置いて。

『AV監督の強メンタル論』より

またはこれ。

勝手に大恋愛してる男って、惚れた女を神格化してて、これもう頭打ったんと変わらん。
=大恋愛は OK ですが、勝手に惚れた相手を奉り上げるタイプの人がいます。危険です。どんどん本人から離れていきます。でもどんどん盛り上がるから、感情は大きくなるから、もう夢中になっていきます。
男女の恋愛でも「崇めない、歩み寄らない、媚びない」スタイルはひとりよがりの恋を救ってくれます。
要は最初の設定でひとりで盛り上がり過ぎないことかなと。「崇めない、歩み寄らない、媚びない」スタイルの逆を考えるとよくわかります。「崇める、歩み寄る、媚びる」、ああ、これではちょっと。
頭打ったのと変わらない、とはそういう意味です。
大事なのは己の軸作りではないでしょうか。そしてその軸を受け入れてくれる相手との出会い、ですね。

『AV監督の強メンタル論』より

そしてこれ。

しがみつかない人が放たれていくというのが、断捨離の醍醐味やね。
=己を放つためにしがみつかない。これが俺の断捨離志向の一番の理由。開放のためのステップです。今日は何を手放すのか。あるいは、しがみついてるなにかが見つかるか。大切なものとどう生きるか、に気付くのも大事なことです。

『AV監督の強メンタル論』より

だが、復縁が壊れた恋愛にしがみつく執着というのがわかっても、感情的にどうしようもできないから悩むのだ。
そういう時、前編で書いたような復縁への取り組みで疲弊するしかないのだろうか。
いや、ひとつ提案したい方法がある。そしてその方法のメリット、デメリットについても考えたい。


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