エジプトと時間と星座の話

現在使用している88の星座中、47星座は2000年以上もの歴史を持つ古代ギリシアからの起源になる。

オリエント=ラテン語で「太陽が昇る方向」を意味し東方を表す。一般には西南アジア地域を指す。エジプトがある北東アフリカも含まれる。

古代オリエント地域には、人類史上最古の文明が誕生した、メソポタミアとエジプトが含まれる。

1日24時間、1時間60分は古代エジプト起源である。

紀元後2世紀には、クラウディオス・プトレマイオスの「天文学大全」に48星座と1022個の恒星が記されている。

しかし古代エジプト固有の星座は姿を消している。

メソポタミアとエジプトでは天文学の考え方が真逆だった。

メソポタミアでは、天空上での異変に目を向ける考え方で、皆既日食や彗星の出現などの記録が多い。天空での異変は、地上での社会における悪い前兆を予想する、としていた。

一方エジプトでは、「変化しない事」に注目していた。エジプト人は天空を36の「デカン」に分割して、その結果、天空で最も明るいシリウスの出現から1年を365日とする暦を考案されたという。

今はダムを作って起こらなくなったが、古代エジプトでは、現在の暦で7月下旬頃に増水現象(洪水)が必ず起こっていた。その時期がちょうどおおいぬ座シリウスが夜明けの直前の東天に姿を見せる時期と重なる。このシリウスの夜明け直前の出現を「太陽とほぼ同じ頃に昇ってくる」事から英語では「ヘリアカル・ライジング」と言う。

古代エジプトではシリウスの事を「セプデト」と呼んでいた。イシス女神の化身と見なされていた。プトレマイオス朝後期には、牡牛の角の間に日輪を戴く姿のサティス女神との関連から、牡牛として表現されるようになった。

古代エジプトでは1ヶ月30日、1年を360日、残りの5日は無かった。1年365日になったのはプトレマイオス朝3世の時。2.3年に1度閏年を設ける1年が354日の太陰暦を使用されてた事もある。

アレクサンドリア市北東にはカノープスという町があった。現在のメンフィスは時間が出来た町とされている。

時間を測る道具は、「日時計」「星時計」「水時計」の3種類あった。しかし古代エジプトでは季節によって1時間の長さが変わってくるので精度が高いものとは言えなかった。

日時計→影の長さを測る(日没までしか使えない)  星時計→ナツメヤシの茎で作られた「メレケト」という測定道具。夜、星が、座った人の肩や耳、頭などを動いていく様子を記録する。

水時計→容器に水を貯めていく流入型、徐々に水を排出する流出型があった。これらは神殿からしか発見されておらず、夜間の儀式で使われた物と考えられている。


下エジプトでは、1年を通してほとんど雨が降らず乾燥地帯だった為、毎朝、東天から昇る日の出の太陽を見る事が出来た。

古代エジプト人は、西に沈んだ太陽が翌朝東に移動するためには、地面の下に「下天」という上天と対照的な天があると考えていた。この下天は暗闇の世界であり夜の12時間にあたる。下天では大蛇アポピス(アアペプ)が太陽の運行を邪魔しようとする。しかし太陽神ラーは数々の神々の協力を得て夜の12時間のあいだに東天に日の出として復活したのであった。

古代エジプト人は、太陽が規則正しく運行しているのと同じく天空の星々も規則的に運航している事に気付いていた。その中で動きが不規則な恒星、惑星が存在する事も知っていた。こうした惑星をハヤブサの頭をした「ホルス神」であると見なしていた。


最古のピラミッドは第3王朝2代目のネチェリケト王(紀元前2665~2645年)の、サッカーラに建造した階段ピラミッドである。この階段ピラミッドは王が死んで天に昇る階段を象徴した施設であり、北天の周極星を意識した構造をとっているのです。地平線の下に決して没する事の無い周極星は永遠なる生命の象徴として崇拝された。王の階段ピラミッドのあるサッカーラ遺跡は北緯29度51分にあり日本では鹿児島の屋久島の南西トカラ列島付近の緯度に当たる。今から4650年前に建てられた。この時の北極星はトゥバン。

古代エジプトでは、オリオン三ツ星の事を「サフ」という名の星座でシリウスを指し示す役割を果たしていた。(ピラミッド・テキストではサフは「神々の父」と称している)

古代エジプトでは、牡牛の前足は最上の供物だった。

カバの星座は、りゅう座のトゥバンを表す可能性が高い。

紀元前2790年頃 ホルスとセトが和解する。



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