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他人の言葉とコンプレックス

高校生の頃、よく「細い」と言われた。決して褒め言葉ではない。モデルみたいな綺麗な細さじゃないのは自覚している。不健康な細さ、だったらしい。無理なダイエットしてたわけじゃなく、いたって健康だったけど。

「ちゃんと食べてる?」なんて心配(?)されたけど、むしろかなりよく食べる方。それがわかると「なんでそんなに細いの?」。多分胃下垂だから、っていう答えがあったけど、食べても太らない体質だなんて嫌味だとか思われそうだから、受け流そうとした。難しかった。「太れない」って言い方をする人がいるけど、それはどうしてもしたくなかった。太りたいわけじゃない。自分の体型は嫌いじゃない。でも体型について色々と言われるのは嫌だった。「細すぎ」「弱そう」「折れそう」。言われすぎて、嫌になった。

「細い」って言葉を聞くだけでどきっとした。その字面も見たくないと思った。自意識過剰、と言われれば確かにそうだと思う。でも、そうなってしまったらもう、「気にしない」なんて不可能だった。ただの言葉に、友達の言葉遣いや表情がこびりついて離れない。

人のこと言えるんだろうか、とも思う。気づかないうちに私も誰かをそんな風にしてしまっていたかもしれない。誰かにとって何でもなかった言葉が、私のせいで過剰な意味を持った毒に変わっていたら、と思うと、怖い。心の傷が目に見えたらいいのに。……それはそれで怖いからやっぱり嫌だな。

「悪気はなかった」は免罪符にならない、けど、あの頃の私は勝手に傷ついていたんだよなって、今は思う。じわじわ傷ついて限界が来そうになって、真逆の言葉を投げ返したことがある。それぐらいのことだって知ってほしかった。そんなやり方しかできなかった。傷ついた分は傷つけないといけないような気がした。おあいこにしたかった。でも同じじゃなかった。私の方は、誤用を自覚した上で使うが、確信犯的だった。相手が傷つく言葉だとわかった上で。しっかり悪気があった。あの一言は、たった一回でグサッと深い傷をつけた。気まずくなった。その後なんとなく普通にしゃべるようになって、謝るタイミングを逃した。後悔している。

「細いって言われるの嫌だからやめてほしい」、ただそう言えばよかった。傷ついて、傷つけ返す前に。察してほしいなんてわがままで、言葉にしなきゃ伝わらない。多分嫌がらせで言ってるわけじゃないから、すんなり解決していたかもしれない。それでも言ってくる人とは距離を置く、とか。こんな単純なことなのに言えなかったのは、自分の身体を否定することになるような気がしたから。細いことがコンプレックスだって認めたくなかった。コンプレックスだって思われるのが嫌だった。劣等感、だけじゃなくて本当はもっと自分でもよくわからない色々な感情が入り交じったモヤモヤ。そういうものが、他人の言葉で生まれて消せないのが悔しかった。でもそのモヤモヤをすくうことができるのもまた、他人の言葉なんだと思う。

私とよく似た悩み方をしていた女の子に、こういう話を聞いてもらったことがある。その子は、「太れない」こと、それが「贅沢な悩み」だって言われることに悩んでいたから、全く同じではないけれど。たくさん共感してくれた。モヤモヤが消えないことに。体質の問題はどこまでも付きまとう、とか。でも、これだけは言っておくねって、その後の言葉が私の心を優しく覆ってくれた。とてもシンプルで、すごく大切で、多分ずっとどこかで求めていた、誰かに言ってもらうことに意味があるような言葉。

「自分が、これでいいって思ったこと、他人の言葉で、そうかもって、思わないようにね。」

私も、お守りみたいなこんな言葉を誰かに届けられる人になりたい。


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