ツインと気付く直前に瀕死になった話
ツインの彼と同じクラスになったのが4月。
ーーーー私は5月にとんでもない目に合っていた。
父が熊野本宮大社に行くので一緒に行かないかと言ってきた。
普段なら行きたいとは思わないが、
親孝行になるとでも思ったのだろうか、
「行ってもいいよ」
となぜか言ってしまった。
車だし、遠いと言っても高速を使ってせいぜい片道2時間半くらいで着くだろう。そう軽く考えていた。
しかし父は超人なのである。
勤続40年の大きな会社で店長を務め、
毎週末は10㎞以上ランニング。
60歳手前までフルマラソンを年2回くらい走破するような
体力お化け人間だった。
流石に70歳過ぎてるから私のほうが体力があるなんて思ったのが間違い。
前日にLINEで
「朝5時30分に迎えに行きます。5時間半~6時間くらいかかると思います。」
とのこと。
私は「6時間…?往復だよね?」と思いながら恐怖に震えた。
当日の朝父が迎えに来た。
私はその時原因不明の腰痛に悩まされており、
小さな軽自動車の助手席に座った瞬間硬いシートに絶望した。
「往復6時間だよね?」
「片道6時間。」
終わった。
1時間もしたらすでに腰が痛い。直角状態で首も痛い。
ーーーこれが6時間。まるで拷問だ。
それだけではない、父は自分が好きな曲を聴かせたくて仕方ない
私が好きじゃない昔のジャズシンガーの曲を大音量で延々聞かされるのだ。
私たちは途中で鬼ヶ城という断崖絶壁のようなスポットに立ち寄った。
そこに「鬼」というモニュメント的なものがあったので
父を隣に立たせて写真を撮った。
とても良く似合っていた。
行きはなんとか大人のふるまいを見せていたが
昼頃熊野に到着した時には腰が限界で
荷物だらけで足も伸ばせない後部シートに膝をたたんで座っていた。
鳴り響くジャズ。
私が一体何の罪をおかしたというのか。
父の運転はスピードの緩急が激しく、急に70kmで追い越したりする。
そのたびに前身の血液が置き去りになるような感覚がして
夜8時過ぎてもまだ家に着かない状況の時
私は本当に血の気が失せて瀕死の状態であった。
ーーーそれでも父は笑っていた。
心配でも怒っていても笑うクセなのだ。
私はそれが嫌いだった。
家について号泣する私。
2度とこんな目にあってたまるか。そう心に誓った。
これが5月に私の身に起きていた大変な出来事である。
最近分かったが父の名前は「スサノオ」と同じ母音が入っている。
そりゃあ尋常じゃないはずだ。
彼の名前には大国主進化前の名前が入っている。
私と彼が結婚すると、義理の父がスサノオになってしまう。
いくらかの試練を受けるのだろうか。
というか、私が受けたのが試練な気もする。
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