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遠近法から見る、「リアル」を表現する手法の違い

遠近法は発明です。
「遠くのものは小さく、近くのものは大きく描く」という遠近法は、写真的な見方に慣れてしまっている私たちには「発明」と言われてもピンと来ないかもしれません。
しかし、遠近法とは、2次元の紙の上でいかに3次元世界を構築できるかに挑戦した先人画家たちによる発明です。
そして「遠くのものは小さく、近くのものは大きく描く」以外にも、さまざまな手法が存在します。

日本の遠近法:積立遠近法

日本の古典美術に見られる代表的な遠近法は、積立遠近法です。
画面上部が遠方・下部は手前を表現しています。これは結構、発明感を感じられるのではないでしょうか。

例としては、洛中洛外図や絵巻物が挙げられます。

個別の建物が上下に並んでいるだけに見えるかもしれませんが、実は画面上部の建物ほど遠くに存在するもの、というルールに沿って描かれています。

お城の下にはちゃんと城下町があって、なるほど確かに遠近が表現されているんだなー、と思ったりします。

また、余談ですが巻物の横軸は時間を表しています。巻物は全長10mとかあります。とんでもなく長いです。
巻物は右から左に読み進めていくので(漢字文化圏の特徴)、右が過去、左が未来を表しています。
画面の上下左右の位置関係をルール化して、うまく空間と時間を表していたんですね。

その後洋画の技法が輸入され、西洋的な遠近表現が一般に広く浸透しました。

近代画の父・日本初の洋画家と言われる高橋由一が描いた花魁の絵にはこんなエピソードがあります。
その花魁の絵は、それまで主流だった浮世絵のような平面的な人物表現とは違い、写真のような立体感を持った描かれていた西洋的な絵でした。現代の私から見れば浮世絵よりも「リアル」だなと感じる絵です。でも出来上がった絵を見たモデルさんは「私はこんな顔じゃない!」と泣いちゃったそうです。

そのぐらい、当時の日本人にとって西洋的なモノの見方、表現の仕方はリアリティが無いものだったのでしょうね。
何を持って「リアル=真実味がある」と感じるかは、それまで生きてきた文化圏の影響が大きいのだと思います。だから、その人の主観によるところが大きい。きっと、当時の日本人からしてみれば浮世絵のほうが「リアル」だと感じられたんじゃないかなと思います。

西洋の遠近法:透視図法(線遠近法)

画面上で設定された消失点にむかって、手前から奥へどんどん小さく描いていく手法です。
消失点の数によって一点透視図法、二点透視図法、三点透視図法、などと呼ばれることもあるようです。合理的で再現性が高い技術です。
現代でも広く普及している手法なので、意識的に使ったり練習したりしたことがある方も多いのではないかと思います。

線遠近法的な正しさ(パースがとれている)が表現として正解なわけではなく、ときには多少崩した方がリアルだったりします。

そして、そういうバランス感が抜群なものが多いのが漫画やアニメです。パースもとりつつ、スピード感やダイナミズム、感情などを表現するための演出も盛り込まれててすごいなあと思います。
私にとってはパースペクティブの完璧な絵画よりも漫画やアニメのほうが「リアル」だと感じることも多いです。
それは、私自身が日本的なサブカルチャー文化の中で生きてきたからかなあ、とも思います。

そのほか、さまざまな遠近法

色彩遠近法、空気遠近法、重畳遠近法など、さまざまな手法があります。いずれも、人間の目に映る現象を平面上で再現するために編み出された技術です。

現代における遠近法

網膜状に捉えた図像を二次元上でそっくりに再現する、という技術は十分に発達し、成熟しました。
写真の登場によって西洋的な遠近法は完成されたと言えます。

振り返ってみると、そもそも遠近法の目的とは「2次元の紙の上で3次元世界を構築するため」でした。
2次元のなかで、いかに豊かで「リアル」な世界を構築できるのかを追求するのが、職業画家にとっての至上命題だったわけです。

そういった意味でいくと、現代でその流れを色濃く受け継いで居る画家は、ドイツのゲルハルト・リヒターだと思っています。
まるで写真のような、従来の遠近法を利用した絵画も描いていますが、彼の真髄はそこから発展したアブストラクトペインティング(抽象絵画)です。

アブストラクトペインティングでは、遠近という概念や、現実の姿を見たまま写し取るという行為を超越した表現を追求しています。
「現実」を構成するパーツを解体し、そこから記憶や感覚・感情といったパーツをすくい上げ、それを2次元に落とし込むべく絵画表現ロジックを再構築している感じです。
絵画のあるべき姿、現代における新たな「絵画」のありかたを追求しているのではないかと思います。

抽象表現やインスタレーションなど現代的な表現が注目されがちですが、本質的には古典の流れを汲んだ画家だと思っています。

まとめ

当たり前に思っているものが、実は当たり前ではないかもしれない。
目に見えている世界は、実は学習した「見え方」に沿ってしか見えていないのかもしれない。
そう思いながらものごとを見ると、いつもよりおもしろいものが見えてくるかもしれないですね。

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