見出し画像

読書記録(2022年 夏)

奇想のモード 装うことへの狂気、またはシュルレアリスム

なぜ読んだのか?

展覧会に行きそびれてしまったため…図書館で図録を借りました

感想

特異な進化を見せた「やりすぎ」なファッションを垣間見れる面白い作品集(図録)。
単に奇をてらったのではなく、なるべくしてそうなったのだな、と感じさせる時代背景や技術的進歩の解説も添えてあって興味深い。
個人的に最も印象に残ったのがマルタン・マルジェラのトルソ型ジャケット。マン・レイ、ハンス・ベルメールらシュルレアリスムの作家たちと同じ並びで出てきて鳥肌が立った。マルジェラってオシャレでモードな洗練されたファッションブランド、というイメージだったけど、シュルレアリスムの文脈を汲んだ作家だという見方も出来るんだな…。トルソ=人体の象徴であり、トルソそのものをジャケット化したような作品は、いわば人間の皮膚をジャケットに仕立てたような気持ち悪さを感じさせる。小さく引っ掻くように取り付けられたフロントホックは痛覚すら想起させる。それでいて作品としての完成度の高さ、そっけない素材感のバランスがギリギリ服としての格好良さも保っていて、ものすっごく気持ち悪いけど目が離せないオブジェのようになってる。なんかすごいもんを見てしまったな…という気分になった。


「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか? 世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン

なぜ読んだのか?

「デザイン」という言葉と地域性を結びつけるタイトルに興味を持った

感想

(第3章まで読み、以降は流し読み程度)
「デザイン思考」や「デザイン経営」など、「デザイン」という言葉の定義や解釈を拡大したり他分野に取り入れたりすることが近年の流行のように思う。その流行はどこから来たのか?正確なことはわからないが、おそらくアメリカのスタートアップやメガベンチャーと呼ばれている界隈が火付け役な気がする。本書で登場するイタリア的な「デザイン」の捉え方と、昨今の米スタートアップ的なところから派生した(と私が思う)ビジネス的な「デザイン」にズレが見えて面白い。

例えば「問題解決」について。
サービスやプロダクト開発においてはユーザー(=他人)を中心に置くべきである、というのが割とスタンダードというか、共通認識化していると思う。
それに対してイタリアでは、開発当事者の内発的動機を重要視すると書かれている。
この2つは相反するものではなく両立は可能だと思うし、開発フェーズやシーンによって重視すべき軸は変わると思うが、それよりもここで着目すべきなのは、物事をはじめる根本的な部分で「個」の内発性を重視している点だ。
人間中心主義、ユーザーファースト、など、いわば他人軸を重視する考え方が日本で流行し定着しつつある理由の1つとして、日本的なおもてなし精神と相性がよく肌馴染みが良かったからではないかと思っている。さらに、ジャッジメントを行う責任者不在でも開発が進められる・プロダクトやサービスに対しての責任の所在があやふやになる(あやふやなことにできる)ため、組織体質とも相性が良かったり、色々と都合が良かったのではないか、と私は穿った見方をしてしまう。ユーザーがそう望んだから…ユーザーがこうしたから…など、さまざまな判断をユーザーのせいにしてしまえるのである。
(しかしながら、責任者は居ないけれどもプロジェクトは進めなければならない、というのは、現実的問題として起こってしまう…。そんな時に関係者の痛みをなるべく和らげることのできる手段としてユーザーファーストを掲げてしまうことを一方的に否定することはできない…🥲)
ユーザーファーストという甘言で大事なところをぼやかすのは良くないよな…と思った。どこかで歯止めをかけないと、どんどん空洞化が進んでしまう。コンセプトまで外注するようになったらオワリだ…。
これがもし、自分が!自分が!という主張が激しいメンバーが主導権を争っているような組織だったら(私の勝手な米スタートアップ組織のイメージ)、ユーザーファーストという考え方が程よい鎮静剤になってバランスが取れたのかもしれない。導入する思考法と組織体質のバランスを見極めることが大切なんだろうな。
デザイン思考やビジネス論的なものをガッツリ勉強している人からすれば、そんなの当たり前でしょ!という話なのかもしれない。しかし、私は聞き齧りの知識しか無かったため、とても良い発見だった。

ここまで書いておいてアレだけど、イタリアが、アメリカが、日本が、…というような主語がデカい話は参考程度に聞いておくほうが良いと思う。でも、ビジネス潮流のスタンダードと思っているものでも、案外地域性を内包してたりするかもなと思えたことは一つの学びだった。


完売画家

なぜ読んだのか?

現代の現役画家目線でビジネスについて語られている本が珍しく、興味を持った。

感想

ビジネス系の自己啓発本×美術、という変化球の本だと思った。自伝的要素が強いものの、現代の日本の美術業界の仕組みや構造の一端が分かりやすく書かれているのと、終始ビジネス視点での切り口なのが、画家自身が語る文章としては珍しいと思う。美術系進路をとる若い人には参考になるかもしれない。ただ、あくまで業界の一側面、一個人の体験記である、ということだけは忘れないほうが良い。断定口調でわかりやすく書かれているので、これが真実なのだと思ってしまいそうなのだけれど、よく見るとエビデンスが示されていない。おそらく、本としての読みやすさを優先して、あえてそうしているのだろうとは思うが、根拠に基づいた客観的事実と主観的な推察や噂話レベルの伝聞が入り混じっているため、全てを鵜呑みにしてしまうのは危険だと感じた。それを承知の上で、画家というキャリア体験記として読むととても面白いと思う。
美術系の若手の方には、見聞を広げるという意味で、村川隆さんの「芸術起業論」「芸術闘争論」にもあわせて目を通すことをおすすめしたい。美術×ビジネスという切り口自体は共通しているが、美術そのものに対するスタンスが違うので、その違いを知ることも面白い。


日本の写真家101

なぜ読んだのか?

101人の日本の写真家が、写真黎明期から現代にかけて時系列順に紹介されているとんでもない密度の本。図書館で見つけて、うわなんだこれ、と思って借りた。その後Amazonで購入もしてしまった。そのぐらいお気に入りになった一冊。

感想

iPhoneで撮影した写真のような、フォーカスばっちり・高解像度のデジタル画像に慣れていた私には、写真黎明期〜戦後ぐらいの写真がものすごく新鮮だった。写真の歴史からすると、誰でも手軽に写真を格安で上手に撮影できるようになった現代日本は、特異な時代なんだな、と思った。
また、報道写真のような、隅々まで鮮明で客観性を重視した絵というのは、写真表現という大きな分野からすると、ひとつの様式でしか無いのだなあと思った。写真て、そういうもん(鮮明で客観的)と思っていたけど、本書に載ってる写真はバラエティ豊かでびっくりした。
こういう良書は末永く残って欲しいものだ…



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?