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「自由」をデザインすること。

この記事について

既に「名探偵コナン」の映画冒頭のあらすじのように定型文言となっておりますが、この記事は、令和3年4月26日(月)に開催された、武蔵野美術大学大学院造形構想研究科修士課程造形構想専攻クリエイティブリーダシップコース(以下「本研究科」といいます。)の科目である「クリエイティブリーダーシップ特論」(以下「CL特論」といいます。)の第3回のエッセイです。はい、最前線でご活躍される方の連続講演イベント第3回です。第3回まで来ましたよ、ええ。第1回の「関係性構築を志向する林業」といい、第2回の「スペキュラティヴ・デザイン」といい、ここまで受け止め方の難しいご講演が続いていましたが、そろそろ理解しやすいものが来てほしいなぁなどという安易な希望に反して、今回も考えさせるご講演でございます。

第3回のスピーカーは森一貴様です。詳細なプロフィールについては、以下のご本人の記事に譲りますが、「社会に自由と寛容をつくる」というテーマに基づき、福井県鯖江市を舞台に、主に「まちづくり」的な軸で活動をされてきた方です。ご講演を拝聴させていただいた限りでは、ロジカルシンキングとデザインシンキングを意識的に併用されているイメージでおります。

なお、例によって書き手である私は諸々ググりながらこの記事を書いていることをご容赦ください。以下に述べることは、私の勝手な解釈であり、講演に対する印象論に過ぎません。この記事に含まれる誤りのすべては執筆者である私の責任に帰しますので、読者の皆様におかれましては、あらかじめご了承ください。

講演内容について

ご紹介くださった活動では「自由」という言葉がキーワードになってきます。この「自由」とは「できるという確信」のことであり、「ちょっと何かやろうと思った時にそれができること」だとお話しされていました。アマルティア・センのいう「ケイパビリティ」に相当する概念のようです。人々を統制するデザインではなく、人々を自由にするデザインという趣旨のようです。「皆が欲しい未来を自分たち自身で生み出していくモデルを僕が社会とか専門家とか企業とかを後押しながらつくっていきたいなと思っている」とのことでした。

 多様な選択肢があってそれを後押しするような文化とシステムがあること、いろんな選択肢があってそれに登って行けるような「階段」としての文化やシステムがあったみたいなことが大事かなというふうに思っております。そういう社会をつくっていきたいなと思っているので、結構初期の頃はですね、この「選択肢を増やす」とか「階段」とか、この間〔引用者注:意図と選択肢の間〕の部分を作るみたいなことを自分のプロジェクトとして行ってました。
 最近はですね、もうちょっとそのメタな部分に行きたいなと思ってて、なんかこれを僕がやってるとちょっと限界があるなと思ってたので、そういったことを、その選択肢を増やすとか、「階段」になるような文化とかシステムをつくるといったことを、他人がやることを後押しするみたいのができないかなと思っていて、デザイナーの役割として選択肢とか文化や制度をつくるみたいなことを後押しするということ、あるいは、そういった人々を応援する組織を応援する、みたいなことをやっていきたいなと思ってやっています。

ご講演の具体的な内容としては、主に3つの観点から整理されました。いや、手元のメモには「4つ」と書いてあるのですが、ご紹介されたのは3つだったと思います。そのあたりは気にしないでください。1つ目が「変化のための小さな階段をつくる」、2つ目が「つくることの民主化」、3つ目(4つ目と言っていたような気がしますが)が「作ることの民主化 2.0」です。最後のがメタ視点のものになります。1つ目の具体的なケースとして「生き方見本市」というトークイベント、2つ目の具体的なケースとして「ゆるい移住プログラム」などをご紹介いただきました。

特にメタな視点からの「自由」のデザインについて

「デザイン」は何かしらの意図によって物質的なモノや環境、あるいは画面表示やサービス、さらには文化といったものを形づくるものだと私は理解しているため、本来的には、素朴な「自由」の考え方とは相反するおそれのあるものだと思っています。私の業界などでは「リバタリアン・パターナリズム」などと呼ばれていたりもします。というのも、デザインされた場においてユーザーはデザイナーの意図に制約されるはずだからです。そうでなければデザインは機能しないでしょう。

ところが、森様はここで「自由」というコンセプトを維持しています。そのアプローチ方法は、言ってみれば「エンハンスメント(増強)」です。ご講演中では「階段」と表現されていましたが、つまり、ユーザーの意思決定としての行動に至るまでの負荷を減らし、あるいは速度をあげているというイメージです。これはまさにデザインそのものだと思います。そういう意味では、「主客融解のデザイン」や「無自覚な主体性」などといった表向きの捻くれたコンセプトとは対照的に、正攻法を採用しているのかなと思ったりしました。

(執筆者:平塚翔太/本研究科 M1)


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