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「虚空と空虚」“TOKYO”2022 ふたたび・・・

2022年・年初に、自身へのこれから10年間の”はなむけ”

私が故郷・茨城から東京に出た10代後半の頃、私の三畳間の安アパートには、おふくろさんがくれた、古い一組の布団と、アルバイトで稼いだお金で購入した中古の白黒テレビの他、モノは何もありませんでした。

でも、その部屋には、目に見えない“希望”というものが満ち満ちて、一日一日がとても輝いて見えたものです。

あれから50年以上を経て、物質的な面では、当時とは比べものにならないほどの贅沢な環境にありながら、何も持たなかった若かりし頃の清々しいほどに「空っぽ」な状態に、不思議な憧憬を感じているこの心境を、なんと解釈すればいいのか、自分のこころを持て余しています。

水戸城址の「空堀」水戸市三の丸

半導体開発の基礎理論に『虚空と空虚』があるのを紹介していたのは、理論物理学者の佐治晴夫さんです。

虚空とは、すべてを包含して満ち満ちている状態。ある空間が完全にいっぱいになっているとすれば、そこは身動きもできないワケだから、遠くから見れば何もないかのように見えるかもしれない。

一方、空虚は文字通りの空っぽ。そこには何もない。いっぱい“ある”ことと、何も“ない”ことが、視点を変えると見かけ上は同じになってしまっているというひとつの考え方です。

置き換えて、人間の幸不幸という感覚も、いまを幸せだと思えるか、不幸だと思うのかは、自分の考え方次第でどちらにでもぶれる、ということを先生は言いたかったようです。

2022年の今、私が“TOKYO”にふたたび目を向け始めたのも、あの“輝き”を、50年という年月を経て、再検証して見たいという好奇心からです。

まぁ有態にいえば、そんな悠長なことを考えていられる私は、かなりのシアワセ者だということなのでしょう。

首都高速「箱崎ジャンクション」
ロイヤルパークホテル・エグゼクティブラウンジから

いままで、そして、これから私に関わってくださるであろう皆さま方、こんな私ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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