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人生彷徨

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私は茨城県高萩市にかつてあった炭鉱町で生まれ育ち、中学生までをそこで過ごしました。炭鉱町の大人のオトコ達はお酒が大好きで喧嘩が絶えず、長屋の屋外にダイコンを干す母親であるオンナ達…
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#エッセイ

待ち待ちて ことし咲きけり 桃の花 白と聞きつつ 花は紅なり

『桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。』から始まるこの美…

有料粗大ごみ処理券

粗大ごみは、事前に「粗大ごみ受付センター」へ収集希望日と点数(一回に10点まで)を申し込みま…

今日は「カレーの日」だそうです。

この器から今にも溢れ出そうなのは、「カレー南蛮そば」です。 その昔、私の故郷である高萩(…

金原 栄:プロフィール

金原 栄 sakae kanehara18歳の時、グラフィック・デザイナーを志し上京。 10年間の東京生活…

「虚空と空虚」“TOKYO”2022 ふたたび・・・

2022年・年初に、自身へのこれから10年間の”はなむけ” 私が故郷・茨城から東京に出た10代後…

出発の場所「坂下1丁目」

※写真出典:https//ja.wikipadia.org 私が東京に出たのは高校を卒業して直ぐですから、今か…

「4℃」記憶の深い中で、いまだに踊っているもののひとつ

イチエクラブは、2018年から、東京と水戸でふたつの『一会俱楽部』(イチエ)を開催し始めました。 始めたのには、然したる理由はありませんでした。ただ、(当時)24年目に入った水戸の交流会の活性化を模索していた時、何気に、高校生の頃、実家の自宅の窓から、東京方面の空を眺め「あの空の向こうには、どんな夢があるのかなぁ!!」と、それこそ夢想していた懐かしい時代を思い出したのがきっかけです。 始めてみると、東京例会では、素晴らしい”師”との出会いや、40年振りの知人との再会などが

好き嫌いがある人ほど、人から好かれる

自分自身の好き嫌いを否定してはいけません。 好きな人とたくさんつき合っていくようにしてい…

美しきもの心やさしく

短くも眩しい命のお話し 私の育った炭鉱町の”幼稚園”に、若く美しく、優しい先生がいた。 …

「アウトドア」15歳の夏の記憶

私は子どもの頃から大津波に襲われ、逃げ惑う夢を幾度となく見ることがありました。 実際に津…

新宿三丁目のノーサイド

私がラグビーと出合ったのは高等学校入学の時です。 先に在学していた三つ違いの姉に、どの部…

父と「八千代おこし」・・・

故郷の夢を頻繁にみる。 望郷の想いが特別に深いという訳でもない。小学校の通学路のドブ川を…