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「お返し」を嫌う韓国人の「情」とは?

今回は、usausanさんの素敵なイラストを使わせていただきました。ありがとうございます^^ 

 今月末、陰暦正月を控えている、ここ韓国。2、3週間前になると、スーパーやデパートの雰囲気も変わってくる。日ごろお世話になっている人に贈り物をする風習があるため、日本のお歳暮シーズンのように、贈答用の品物がずらりと並び、チマチョゴリを着た店員さんたちが、各々担当しているメーカー品のアピールをしている。

 どんなものを贈るの?と気になる方へ。こちら↓に人気の贈り物に関する記事を見つけたので、ご覧いただければと思う。

また、韓国の旧正月に関して知りたいという方はこちらをどうぞ^^↓

 またまた前置きが長くなったが;;今回は韓国での「贈り物」と「お返し」事情についてお話ししようと思う。

「お返し文化」

 とは、日本独自のものなんだろうか?日本では、どんな場であっても「贈り物」と「お返し」はセットになっている。いや、もう私は日本を離れて20年も経つ浦島邦人なので、ひょっとしたら今の若い世代は変わってきているかもしれない。しかし、少なくとも昭和生まれの40代以上の日本人は、「お返し文化」は身に染みついているはず。

 下さったものを有難く重んじ、その気持ちを相手に表すため、「お返し」をどんなものにするか?どんな言葉とともにお返しをするか?その過程を楽しむ。そのやりとりは、はっきりと自分の情を表現しない日本人独自の愛情表現なのかもしれない。私はよく「にせ日本人」と言われるほど、典型的日本人像から遠く離れている性格だが、しかし、この「お返し文化」だけは、しっかり日本人のつもりだし、しっかり楽しむ。

 だから、ここ韓国においても、何か頂いたら「この前頂いたもの、とても良かったです。美味しかったです」などと一言を添えて必ず「お返し」をしていた。ところがだ。。。。 何か違和感を感じるのだ。

 何だろう?同じアジア人。同じ儒教社会、似た情緒を持つと言われるお隣の韓国人だから、何となしに、同じ反応や態度を期待してしまう。しかし、

 私が「贈り物」をした時の反応。その後の反応。

 私が「お返し」をした時の反応。その後の反応。

明らかに、日本人のそれとは違うのだ。

「包装を開ける」考

 以前は、日本のお土産としてお菓子を贈ることが多かったのだが、渡すとおもむろにビリビリと包装紙を破って開ける。そして食べてみて「うん、これちょっとしょっぱいね。」「甘すぎるね」などと率直な感想が返ってくる。最初は、これらの反応にカルチャーショックを受けていた。

 しかし、こういった反応は、世界標準なのかもしれない。韓国以外の国に長居したことがないので、何とも言えないが、海外ドラマや映画にて外国人の行動パターンを眺めていると、きっとプレゼントの包装を後生丁寧に開ける日本人は変わっていると言えるのかもしれないし、率直な感想も「私とあなたの間柄なんだから、建て前じゃなく本音で話すね」的な「情」を表していると考えれば、むしろ心地いい感じさえする。

 包装を丁寧に開け、さらにその包装紙を畳んで隣にそっと置く。私は、その過程を通して「有難さ」が表現できると思っているので好きだ。以心伝心でも情のやりとりができてしまう島国民族である日本人は、言葉よりも表情やしぐさで相手に「情」を伝えるほうに重きをおいているんだろうなと思わされるし、逆に言葉ではっきり伝える国の人々にとっては、理解しがたい部分なのかもしれない。

韓国人に「お返し」をしてみた

 韓国に来て間もない頃の話だ。アパートの同じ階に住んでいる同世代の方が本当にいろいろと良くしてくれた。買い物についてきてくださり、日本にはない食材の使い方や韓国料理を教えてくれる。私に子供が生まれた後も、おかずのおすそ分けなど、いろいろと世話をしてくれた。受け取ってばかりなので、私は「ありがたい」ことを伝えたく、「お返し」を度々していた。

 ある日、おすそ分けの「お返し」にと、私なりに一生懸命作った(憶えていないがおそらく日本料理だった)品を渡しに玄関をノックした。「ichieなの^^な~に?」彼女は、笑顔の素敵な方で、何でもテキパキとできる、主婦新米の私にとってあこがれの存在だった。

 「あの、、この前のお料理美味しくいただきました!これお口に合うかどうかわかりませんが、どうぞ」と差し出した。彼女のいつもの笑顔は、ふっと真顔になり、「いつもありがとう^^でもね、お返しの気持ちは本当に嬉しいんだけど、そんな気持ちがあるなら、私にじゃなくて、将来ichieに余裕ができた時、困っている人に同じようにしてあげて」

 この言葉は、今でも、その時の情景と共にはっきりと脳裏に残っている。それほど、衝撃を受けたのだ。「そういう考え方があるんだ」その時は、彼女が信仰篤いクリスチャンだからこその考え方だと思っていた。

 それ以降も相変わらず、私は、カラダに染みついている「お返し」精神を以てして「頂いたモノ」には「お返し」を繰り返していた。ところがだ。仕事先で仲良くなった同僚の韓国人先生に、こういわれたのだ。

 その時も、その先生にありがとうの言葉と共に「お返し」をしたのだが、「韓国では、お返しは、失礼と思われることがありますよ。あからさまなお返しをされると、日本語に『水臭い』って言葉あるでしょ?そんな気持ちになっちゃうんですよ。」と。その方は、日本に留学経験をお持ちの「お返し文化」についてもよくご存じな先生で、その上で、私に助言をしてくれたのだ。

 その瞬間、「あぁ、、そっか」これまでの「お返し」をしたときの韓国人の態度に何となく感じていた違和感を思い、腑に落ちたのであった。

 長いスパンでお互い様

 だからといって、韓国人は何か恩を受けたら、お返しなしの「はい!ここで終わり」ではない。「もらった」又は「してもらった」相手に対するありがたい気持ちを忘れることなく、その相手が困っているときや、自分に何か良いことがあって、その喜びを分かち合いたいという時に、その時に「してあげる」のだ。美味しいものをごちそうしたり、プレゼントをしたりと。

 薄情な物言いに聞こえるかもしれないが、あえて表現すると、日本人は短期スパンで、韓国人は長期スパンで「プラスマイナスゼロ」なのだ。

 この違いは、冠婚葬祭においても如実にあらわれる。韓国でも「お祝儀」や「香典」を渡す。しかし、日本のような「引出物」や「香典返し」の概念はない。結婚もお葬式も「お互い様」。別に「お返し」をすることはない。

 「引き出物」の慣習はないが、長期スパンでプラマイゼロな韓国の結婚式文化を窺い知ることのできるエピソードをお話したいと思う。

 50近いオンニ(韓国では年上の女友達のことをこう呼ぶ)が、長年付き合った彼氏さんと結婚式を挙げるという。「おめでとうございます」と伝えたら、「今さら、結婚式なんかしたくないよ。準備もめんどくさいしね。でも母がうるさいのよ。今まで知り合いの結婚式で渡したお祝儀分を取り返さなきゃって^^(笑)」おそらく、娘に結婚してほしいと願うお母様の理屈半分冗談半分な説得なんだと思う。その方は、事業をバリバリされている方で、お金に困っている方ではないからだ。

似ているからついつい

 ここで正否を問うつもりは全くなく、私は、この韓国と日本の「お返し」に対する考え方の違いをnoteでお伝えしなければと思っていた。情緒が似ていると言われる韓国人と日本人が関係性を築いていくうえで、目にはっきりと見えない考え方や価値観の違いのせいで、お互い気持ちよくない感情を抱くことは少なくなく、この記事が、そういった誤解をとく取っ掛かりになってくれればいいなという思いだ。

 「お返し」文化をひとつ取り上げても、そこに「好ましい」「好ましくない」感情が生まれやすい。無数にあるちょっとした考え方や価値観の違いに対する負の情が蓄積されることで「差別」感を助長することに繋がる。

 欧米人や中東地域から来るターバンをしているような方々などは、なにか遠い存在であり、はっきりと「ちがう」感を感じるため割り切れるが、韓国人と日本人は見た目もモノの感じ方もあまりによく似ているため、そこに理解できない違いがあると、お互い「えっ?」と「嫌」な感情が湧き出やすい。そんなことはないだろうか。まるで、それはよく似ているのに、ささいなことで反発し喧嘩してしまう兄弟仲のようにも思える。

目に見えないところでは同じ

最後にひとつだけ。私のnoteでは2度目の登場~~

カーターの「文化の島」理論をお借りすれば↓(こちらに図付きの説明がありました)

 文化、慣習、価値観は違っていても、宇宙人でない限り、一番根っこのとこはみ~んな同じなんだという考え。「当たり前じゃん」って思う。しかし、ついつい、自分の道徳観(って名乗れるものでない)で物事を判断する事は多々ありき。そんな愚かな私に、このカーターの島は語りかけてくれるのだ。海底では、ちゃんとつながってるんだよって。


 


 



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