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女と老~なぜ40代の私は若くみられたいのか?

 鏡で自分の姿を見たくない。写真撮られるのが嫌。最近の私。歳は40代後半に差し掛かろうとしているのに、自分の老いを受け止める覚悟ができていないよう。30代までは、格段に効能の良くなったスキンケア品の力で、何とか耐え忍んできたカラダの細胞。だが、それも限界が来たようだ。40代になり、シミ、しわ、白髪、カサカサ、くすみ、たるみの進行?侵攻?(笑)が止まらない。 

ずっと「女性」でいたい!?

 更年期の真っ只中。肉体的にも辛いが、それ以上に辛いのは、容貌の老いからくる「女性」のアイデンティティの喪失感だ。
 若い方からすれば、「えっ?その歳で?」と思われるだろう。私も以前はそう思っていたから、よく分かる(笑)。自分でもこの心情は驚き。若い頃より「女性」然とはしていない、容貌にさして気を使わない中性的なタイプだったから、「まさかこの私が」という思いだった。
 ここでふと疑問が湧く。「若くみられたい」「老いたくない」この心情は、どこからくるんだろう?男性を意識してのこと?いや、生物学的な「発情期」なんて、とっくの昔に終えているはず。むしろ、そういった本能はなくなっていくと考えるのが自然だ。それにもかかわらず「若くみられたい」し「老いたくない」のだ。

おば(あ)ちゃんとは呼べない

 私が子供の頃の「歳40」といえば、、、。「若くてきれいな女性」を卒業した「オバちゃん」という別物のイメージがあった。その当時のオバちゃんたちも、それを意識したような「theオバちゃん」な髪型と服装で、颯爽とスーパーに現れ、セールの目玉品をかっさらっていく。そんな風だった。 しかし、ここ20年くらいの間、「オバちゃん」&「おばあちゃん」年代のイメージが変わってきている。ここ韓国だけでなく、日本でもその変化を感じる。

 有名な女性プロテニス選手だったSさん。彼女は私と同い年。日本の実家へ戻った際、テレビのコマーシャルにてSさんをみかけた。しかし、主人公は彼女だけではない。彼女の御年70代になられるお母さまも一緒だ。何の広告なのか?「シミしわを改善するクリーム」。Sさんが現役選手生活をしていた頃、常に活動を共にしていたお母さま。野外種目であるため、紫外線などの刺激のせいで、肌の状態はボロボロに。しかし、そのクリームを使ったことで、親子でツルツル色白肌に変わったというドキュメンタリー風のコマーシャルだ。
 
 S選手の肌もキレイだが、それ以上にS選手のお母さんのお肌にはビックリする。娘と並ぶとまるで姉妹。美容界の発展には驚かされる。どうりで、以前であれば立派なお年寄りと呼ばれるだろう方々、とても若々しくハツラツとしていらっしゃる。バブル時代を生きてこられた世代だからか、髪型やファッションも洗練されている。とてもとても「おばあちゃん」とは呼べない。そんな方々を眺めていると、こちらまで元気がもらえるし、なにか希望が湧いてくるのだ。

女は灰になるまで女なのか

 実家の母とは、いろいろ「人生」について語り合うことが多い。この歳になると、齢80を超える彼女との「人間と人間としての会話」が楽しい。
 そんな母に、率直な質問をした。
「高齢の女性もさ『美しいとか若い』って言われたら嬉しいもんなの?」
 母
「そりゃそうよ、この前テレビでやっとったけどさ、80になるおばあちゃんがさ、風呂から上がる時に、冷水でシャワーを浴びるとって。」
 私
「それって肌のハリのために??」(心臓発作が心配;;命がけでは?)
 母
「(笑)結局のとこさあ、女って灰になるまで女なのよ

 人生80年生きてきた母の言葉には、重みが感じられる。「マジかよ?」死ぬまで「女」の呪縛から逃れられないのか?人生後半になれば、そういうことから解放され、穏やかな日々を過ごせると思っていたからショックだ。
 しかし、、生物学的には繁殖不能な状態になっても、そういう欲求がなくならないというのはまるで理解できない。

プログラミングされてるのよ

 以上諸々を、姉貴と慕っている日本人の友人に吐露した。彼女は、月イチ行事を卒業されたばかりの方で、私の心情を100%理解してくれた。
 そして、動物好きな彼女は、こんな話をしてくれた。
「猫ってさあ、自分の排せつ物に砂をかけるじゃない。面白いのはさ、砂がないとこでも、砂をかける動作をするのよ。そういうふうにカラダがプログラミングされてるってわけ。それと同じかもよ。繁殖のための機能が終わっても、欲求みたいなものは残ってて、「女性」として魅力的でいたいようにプログラミングされてれるんじゃないの
 にゃるほど!これは、私たち人間を創った神さんのプログラミングによるもんなのか。しかし、無駄のある部分ではないか。あの世にて神さんに会う機会があれば、そこんとこオプションにしてくれとお願いしたい。
 ちなみに姉貴も「女」の呪縛から解放されたいタイプ。女性の象徴でもあるバストをばっさり切り取り、「上半身裸で闊歩してみたいのよ」と言っていた。

これから

 ここらへんで、講釈を垂れオチをつけて終えたいところだが、今回は一応ここまで。結論づけてしまうには、私はまだまだ若輩もの。10年後、20年後には、何か悟りのようなものが得られるかもしれない。これからの「自分」を観察していきたい。

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