球数制限とパワハラ加害者と

野球のピッチャーが1試合に投げる球数制限が叫ばれて久しい。
第93回センバツでは500球制限が実施された。

その昔は 根性を持って投げろ! と指導者。
「もう痛くて投げられない」とピッチャーが言ったとしても、それを強いてきた。
怪我してしまっても指導者はなんら責任なんてとらなかった。いや取れない。壊れてしまったものを元に戻すことはできない。
(古くは沖水の大野とか。いやもっと古くからあるだろう。注目選手だったり全国大会に出たりしないと話題にさえ上がらないだろうから。)

根性論をふりかざす指導者は、球数制限の議論が出始めたころも、そういう議論に拒否反応を示し、もしくは無視を決め込む。

無視を決め込むということはつまり、チーム内でもなんら対策を講じようとはしない(複数ピッチャーの育成、球数制限をしながら練習、試合をする等)

しかし、徐々に球数制限の声が大きくなってくるにつれ、そうした指導者も球数制限について反発をしなくなる。
また、アマチュアにおいては、入学してくる有望選手の数が少なくなってしまうため、球数制限について理解を示す(もしくは示したかのような態度をとる)。

そして明確に球数制限がルール化されると、素直に従う。

この一連の指導者の振る舞いに嫌悪感を感じる。それは、
1.指導方法が間違えていたということを自覚しているのか不明。    →ルール化したから、そういう空気だから従っているだけであり、ホントは今までの指導を続けたいと思っているのではないか。

2.信念がなく、利己的に振る舞った結果だから。           →球数を多くすることで身につくものがあると信念を持っているのなら、ルール化されてもそんなの無視してやらせればいい。無視を続けられないのは、生徒が集まらなくなるから、古い指導を続けていると肩身が狭くなるから、という終始一貫して利己的な考えが原因。

3.自分の間違った指導により被害を受けた人に対しての謝罪は済ませたのか疑問。
 →これが最大の問題。

3つ挙げた気持ちの悪さは、昨今話題のパワハラの加害者にも当てはまるんじゃないか。そんなことを思いながら今日の夕飯はピザ。

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