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全米が湧いた!


「ひとは、四畳半以上の空間を支配できない!」という
森見大先生の言葉を検証すべき、私は7.3畳の土地に移り、実験を開始。

そう、つまりは引っ越ししたのだ。
実験に至るまでの道のり、今なお進む実験については、
7.3畳開拓史としていずれまとめるとかまとめないとか。

これまでは余った夕飯を弁当箱につめるという
楽々お弁当ライフを送っていたのだが、余る夕飯がなくなったので、
完全自炊生活のスタート。

日本人なのに、なぜかインド料理しかできない私のご飯は、
気づくと毎日カレー、そしてなぜかメキシカンな日々。
マサラライフで、料理の基本であるさしすせそのうち、
「し」しか活用せず、ししししし状態、しかもスパイスを大量に使う日々。
家に帰ってくると、スパイスの香りがして、
あぁ家に帰ってきたんだなと実感する。
あー、マイマサラライフ。

ご飯は、インド米をお湯でゆでるため、
一向に出番のない秋田産コシヒカリと炊飯器。
Why! ジャパニーズピーポー!
というか私。

引っ越してから約1ヶ月。日本米を食べない日々。
自分でもなぜだかわからないけど勢いで買ってしまった五合の釜に向かって、
自問自答する日々。

慎重派なのに、遠くの落とし穴に気をとられ、
目の前の落とし穴に落ちるタイプの私は、3合でなく、
5合の釜をなぜだか買ってしまい悩んでいた。
そんな私を励ましたのが、社長というありがたいあだ名の同僚の一言。

5合の釜で炊く、3合の飯はうまい!

その言葉に励まされ、狭い我が家で居場所なく佇む
釜の存在を認めることができたのだった。

それでも、マサラライフの中で活躍する場面がない釜。
ある日、インド米がなくなり、その釜を使う日がついにやってきた。

日本人に生まれたのに、まるで初めて米を炊くかのように緊張した面持ちで
米を研ぐ。この辺りは、インド米と同じである。
慎重に水量を計測し、引き続き緊張した面持ちで水を注ぐ。
お釜をセットし、スイッチを押す。

インド米は7-8分でできあがるが、こちらは50分くらいかかる。
スイッチを押した後も不安になり、何度も炊飯器の様子を伺う。
洗濯物を畳んだり、掃除をしていても落ち着かない。
全自動の意味とは、またそんな哲学的な問いが阿呆の頭によぎる。

やきもきしたまま、50分経過し、軽快な音楽が流れる。
どうやら米が炊けたようだ。

釜を開けると、さっきまでは融通が利かず固い存在だった米が丸くなり、
なんならスタンディングオベーションしている。
まさに全米が湧いた状態である。おすぎもびっくり。

そんな米の興奮を受け止めつつ、ぱくりと一口。
ちょうど良く炊き上がった米、噛むとじわりと広がる甘さ。
うまいっと思わず、阿呆の口からこぼれる。あまりのおいしさにもう一口。

さっきまでは、マサラライフの我が家で存在をひそめていた炊飯器とコシヒカリが今では輝いてみえる。電話帳の1番上から下まで一人ずつ電話をかけて、
お米のおいしさを説きたいくらいの感動である。

次の日に食べてもうまい米。
職場でも、友人にも米のおいしさの感動を伝える私。
なんなら、今でも感動している。

ありがとう、米、そして釜。

そんな感動に浸る私の視界に入ったもの。

味噌。

次は君の番だ!

マイマサラライフは続く。

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