「Against Platform Determinism」 反プラットフォーム決定論

2021年1月14日、ニューヨークにあるシンクタンクDate&SocietyはAgainst Platform Determinismというワークショップを開催した(https://points.datasociety.net/against-platform-determinism-899acdf88a3d)。その開催要旨から「Against Platform Determinism」をご紹介したい。

プラットフォームの影響が政治、経済、文化に広くおよんでいることは議論の余地がない。しかし、かといってそれを過剰に考えるのもよくない。民主主義の後退を始めとする社会変化の原因の多くをプラットフォームとすることは行き過ぎだ。これはかつての(もしかすると今もそうかもしれない)技術決定論を彷彿させる。こういった立場からのワークショップである。

プラットフォームの影響を過大にとらえる研究者の多くは、ウーバー、グーグル、フェイスブックといった成功例を元にイメージを膨らませている。ケンブリッジ・アナリティカのように人々の心を操り、アラブの春を引き起こし、民主主義後退の根本原因になったと考えるようになる。
プラットフォーム決定論に陥る原因はさまざまだ。まず、我々の頭には「技術は社会を変える主要な要因である」という考えがしみついている。予測捜査システムや監視資本主義あるいはコンテンツ・モデレーションについて語る時、その威力が誇張さえていることも原因だろう。
だが、実際にはプラットフォームになろうとして失敗している事例もある。必ず成功するわけではない。また、政府や市民団体など関係諸機関がプラットフォームの影響を調整することもある。

「Against Platform Determinism」はプラットフォームの力を正しく確認するためのアプローチである。ワークショップでは、プラットフォームが人、社会、制度、経済をどのように変容させるかというアプローチではなく、人、社会、制度、経済はプラットフォーム化を促進するのを考える。プラットフォームは社会のさまざまな側面と相互作用を繰り返して広がっている。そのメカニズムを幅広い分野を網羅する学際的アプローチによって明らかにする。

残念ながら「Against Platform Determinism」に関する情報は限られていて、ワークショップの内容も公開されていないようだ。しかし、指摘はもっともでSNSを始めとするプラットフォームの影響は過剰に評価されているように感じる。以前、紹介したフランシス・フクヤマの「How to Save Democracy From Technology」(https://note.com/ichi_twnovel/n/ncaebdec2eb79?magazine_key=m6c3f2276706c)でもSNSの影響をかなり大きくとらえていたように思う。また、『アフター・デジタル2』にも似たような印象を受けた。良い意味でも悪い意味でも、単純化するとわかりやすくなる。だから技術決定論は支持され、同じようにプラットフォーム決定論を唱える研究者も多いのかもしれない。


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