MIT Technology Reviewで明かされたインドの野望「Democratizing data for a fair digital economy」

●データを民主化するとは、データの主体が属するコミュニティとデータ共有することである
2021年3月22日、MIT Technology Reviewに、「Democratizing data for a fair digital economy Rethinking capitalism means taking data into account. By sharing data, and addressing governance, the world has more opportunity」(https://www.technologyreview.com/2021/03/22/1021071/democratizing-data-for-a-fair-digital-economy/)と題するインタビュー記事が掲載された。ふつうの記事ではなく、スポンサーつきの記事広告のようなものである。MIT Technology Reviewのpodcastをテキスト起こししたものとなっている。
スポンサーとなったのはインドの財団、投資会社Omidyar Network(https://omidyar.com)であり、インタビューを受けたのはOmidyar Networkの支援を受けている同じくインドのIT for Changehttps://itforchange.net)というNGOの代表Parminder Singhである。国連でさまざまな仕事をしてきており、Internet Governance ForumGlobal Alliance for Information and Communication Technologies and Developmentでも仕事していた。インド政府のcommittee on non-personal data governance frameworkにも参加している。

内容はこれからご紹介するが、ここでの「データを民主化」の意味はデータの主体が属するコミュニティと共有するということを意味している。たとえば日本において、グーグルやツイッターは日本政府ともデータを共有しなければならなくなる。インドにおいてはインド政府とデータを共有することになる。


●背景
最初に背景の紹介がある。デジタル化が進んだ今日の世界において、データは新しいデジタル経済の主な資源である。しかしデータは平等には扱われていないため、公平なデータガバナンスを確立する必要がある。データは複製可能な資源であり、広く共有することで経済は活性化する。現在のデータ独占のような「歪んだバリューチェーン」を是正すべきである。

●インタビュー要旨
20年前のシリコンバレーは革新的で可能性に満ちていたが、現在はデータを独占し、利用者にはサービスのみを提供するスタイルになっている。
IT for Change と Omidyar Networkはグローバル・サウスの9つの国(ラテンアメリカ、アフリカ、アジア)で4つの領域(Competition policy、 taxation policy、digital infrastructures、data governance)について調査を行っている。
データはインテリジェンスになるから重要である。インテリジェンスは個人の生活、健康からコミュニティあるいは国家にまでおよびもっとも価値ある資産となっている。経済には成長と拡散が必要であり、これまでの産業資源だった石油と異なりデータはコストなしに複製、拡散できる資産なのだ。しかし現在は巨大プラットフォーム企業がデータを独占している。これを解放することができれば、全ての人々が産油できるようなことになる。
たとえばGPSを共有したことが、どれほど多くのサービスを生んだかを考えればわかる。グーグル、フェイスブック、ウーバー、Amazonといったプラットフォームはデータ採掘場となっている。彼らの力の源はデータを保有していることにある。しかし、変わるべきだ。
そのために法的な制度を整える必要がある。ある企業がある都市の住民の健康データを種州した場合、その都市は企業に対してデータの提供を要求することができるようにする。
統計的な面でもより多くのデータはより多くの成果をもたらす可能性が高い。

現在、こうしたことを実現するためのアプローチとしてEUにはデータガバナンス法とデジタルマーケット法がある。インドでも同種のアプローチがある。一連の動きにはアメリカと中国がプラットフォームを寡占し、それ以外の国は負けたと感じていること、世界全体が二極化すると考えていることがある。データを押さえられることは社会、文化、政治も2大国によってコントロールされることを意味している。これがEUとインドを動かしている。当初は経済がもっとも重要な課題だったことは認める。

国連を始めとする各種機関と協力、連携し、進めていく必要があり、これまでもそうしてきた。これまでは民間企業にまかせきりにしていたアメリカ自身ですら、なんらかのコントロールが必要と感じ始めている。公平な経済の仕組みを世界に構築するために行わなければならない。
データが市民やコミュニティに共有されることによって、民主的な意思決定が可能になる。

●雑感
プラットフォーム・ガバナンスではインドの動きが目立っているような気がしていたが、この記事でははっきりとインドの立場を表明していたのが印象的だった。
アメリカと中国に寡占されているプラットフォーム、つまりデータを「民主化」の名の下に取り戻すことなのだ。西側世界でアメリカに次ぐ存在はEU、権威主義世界で中国に次ぐ存在はインド(あるいはロシア)である。EUとインドがデータガバナンス、プラットフォーム・ガバナンスといったアプローチで動きだしているのは当然のことかもしれない。

かつてさまざまな産業では規制強化や社会的責任は参入障壁を引き上げ、後発企業を不利にするために用いられた。環境問題などはその典型である。法規制のない世界で、荒稼ぎした先行企業は稼いだ金で法規制に対応できるが、それ以外の企業はそうはできない。
プラットフォームの世界でもコンテンツ・モデレーションなど先行企業に有利な規制や社会的責任は率先して導入されてきたが、ここで述べているような「公平」あるいは「民主的」な課題は置き去りにされてきた。そして、他の記事(https://note.com/ichi_twnovel/n/nc99a13c20ae4)で紹介したように「ビッグテックによるビッグテックのためのビッグテックガバナンス(a Big Tech led body for Global Governance of Big Tech)」が実現しようとしている。

インドの「データの民主化」は先行企業に不利となる規制の試みであり、この成否は今後の世界に大きな影響を与えるであろう。ただし、以前書いたように「民主的」とは言ってもそれは……下記に過ぎないのである。そもそも権威主義国であるインドが言うことじゃない。
「よく言えば柔軟、悪く言えば行き当たりばったりの論理性のない世界で民主主義は「大義」として生き延びてきた。中国とアメリカという対立図式が続く間は、繰り返し「民主主義の危機」を政治の文脈の中で都合よく使ってゆくことになるのだろう。」

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