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コロナ禍のいまだから読むべき医療人類学の古典『病気と治療の文化人類学』

『病気と治療の文化人類学』(ちくま学芸文庫、2022年11月14日)
コロナ禍当初から「以前のパンデミックは自然災害、今回のパンデミックは政治的イベント」と言い続けてきたので、医療人類学の古典的名著である本書を読まないわけにはいかなかった。40年前に刊行された本書は最近文庫で刊行された。今読んでも充分刺激的だ。

●本書の内容

40年経って文庫化を知ったのは、「疾病地政学」を書いた後だった。なのですぐに本書を読もうと思った。序文を読んだ段階で読みたいことが書いてあった。
未開社会(原文ママ)と我々の社会を比較する時の立場には2つあり、普遍的、客観的基準で「病気」や「治療」を比較する「エティック」と呼ばれるアプローチ。もうひとつはそれぞれの社会の基準に従うイーミックと呼ばれるアプローチである。後者の場合、我々の社会で「病気」とされるものでも、異なる社会ではそうではないことがある。
たとえば、アフリカおよびアジアの一部ではマラリア原虫がいても症状が軽く、日常生活に不自由はないため「病気」とはみなされていない。未開の社会では「薬」と称するもの(我々の社会で薬とは認められない)や治療のための儀式を行うことがあり、「薬」は治療、治療儀式は儀式と区別するが、これも彼らの社会ではどちらも治療なのでとらえ方が異なる。
我々の社会で医療と言った場合には含まれない文化や社会とのかかわりを含めた医療の姿が描き出されている。

本書は下記のような5章からなっている。

第一章 病気の位置づけ

病気とはなにか、病気の意味とはなにかについて解説されている。たとえば病気の原因には病原論と病因論がある。病原論は直接的に病気を引き起こすウイルスなどを指し、病因論は過去の行動など間接的なものを指す。
治療においてもちいられる薬も病人が内服するものから、病人以外のシャーマンや呪医が飲食するものなど広義である。
「なぜ、病気になったのか?」、「どのように病気になったのか?」というと問いに対して、解ない社会の医療では後者の回答は用意されているが、前者の回答は用意されていない。これに対して未開社会では病気が文化の一部として豊かに意味づけされており、「なぜ」への回答が用意されている。

第二章 病気と信仰

一般的な宗教から妖術、呪術、シャーマンなどと病気とのかかわり、社会構造や説明体系に関しても解説されている。信仰にとって奇跡の治癒が重要な役割を果たしていたこと、共感や信頼が深い時ほど治療の効果ががあることも記されている。

第三章 病気と社会

コレラ、結核、ハンセン氏病などをとりあげ、病気と社会とのかかわりを、差別や忌避を軸に解説している。

第四章 伝統的社会における医療体系

江戸時代の痘瘡治療、奄美のユタ、四国谷の木ムラなどを例にとって、それぞれの医療体系を紹介している。いずれも社会、文化的に意味づけされたものであり、「なぜ」に答えられるようになっている。

第五章 病気と治療の文化人類学

医療人類学そのもの範疇、文化的疾病と病理学的疾病およびその重複している疾病のことや、今後の課題などについて解説されている。

医療人類学の概要を知りたい方は一章、二章、五章をとりあえず読むとなんとなくわかるだろう。ただ、本領は個別のケースにあると思うので、全部読むことをおすすめする。

●感想

病気の概念は社会によって異なる。それは現代の社会においてもそうだと思う。コロナ禍はそれを証明した。各国で異なる検査体制、異なる対策を講じた。ワクチンを入手しやすかった先進国においてはワクチン接種が優先された。しかし、皮肉なことにワクチンが不足していた台湾は模範的なコロナ対応をした国となった。再現性の危機は医療の領域にもおよんでいるので、医学的な知見の有効性にも疑問符がつく。

病気が社会的、文化的側面を持つものであるなら(コロナ禍でそうだとわかったような気がする)、「なぜ、病気になったのか?」に答えられないということは問題だと思う。私はこの分野にはくわしくないのだが、病気および治療の文化的、社会的な意味を見直すというか、付与しないといけないような気がした。

余談だが、先日レビューした因果推論の「なぜ」とはまた違う「なぜ」だと思った。こちらはこちらで考えないといけない。

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