見出し画像

『新しい階級闘争』の感想もしくは世界の格差について 分断と混乱を起こすのではなく、悪化させ、可視化することがデジタル影響工作の効果

『新しい階級闘争: 大都市エリートから民主主義を守る』(マイケル・リンド、東洋経済新報社、2022年11月18日)を読んで思ったことなどを書いておく。
実は本書に書かれていることはWorld Inequlity Database(https://wid.world/)がWorld Inequlity Reportの内容と重複している。同組織は40カ国の各種統計数値や選挙後の調査結果などを集め、世界各国から100人以上の専門家が研究している。経済学者のピケティも参加している。

●『新しい階級闘争』とWorld Inequlity Databaseが示す世界の現在

『新しい階級闘争』とWorld Inequlity Databaseは主として現実認識が一致しているが、『新しい階級闘争』はそこから階級闘争に話を広げてゆくが、World Inequlity Databaseは統計的な予測と可能な対策を示している。これは『新しい階級闘争』が思想書でWorld Inequlity Databaseは研究プロジェクトだということが大きな理由だろう。なお、今回のメモはWorld Inequlity Databaseの「WORLD INEQUALITY REPORT 2022」、「Thomas Piketty: Rising Inequality and the Changing Structure of Political Conflict」、「WORLD INEQUALITY REPORT 2018」を参考にしている。

両者に共通しているのは下記の点だ。World Inequlity Databaseはその性格上、データをもとに仮説を検証する形をとっている。なので『新しい階級闘争』が提示した視点にも現実のデータにも合致しているものと言ってよいのだろう。

・格差は拡大し続けている。World Inequlity Databaseによると、世界の人口のうち最貧困層の半 数の保有している資産は全体のわずか2%、最も裕福な10%の人々は世界の全資産の76%を所有している。

Chancel, L., Piketty, T., Saez, E., Zucman, G. et al. World Inequality Report 2022, World Inequality Lab wir2022.wid.world

・現在の主要な政党はいずれも高学歴の富裕層を支持母体に持つものとなっている。かつて左派政党は低所得層を支持母体としていたが、もはや低所得層の声を政治の場に届けるのはポピュリストのみになった。
World Inequlity Databaseによると、1950-60年代には左翼政党( 社会主義・労働⺠主主義)を支持していたのは低学歴・低所得の有権者だった。その後、高学歴のエリートが左派に投票し、高所得・高資産のエリートは右派に投票するようになっていった。その結果、グローバリスト(高学歴・高所得者)対ネイティビスト(低学歴・低所得者)の対立軸に沿って政党システムが再編された。

・格差は政治的選択の結果である(World Inequlity Databaseの表現)。『新しい階級闘争』はさまざまな形で政治的選択であるということが説明されている。World Inequlity Databaseでは同じ発展段階の国でも格差の広がりが異なることから、それが政治的選択の結果であるとしている。ちなみに国ではアメリカ、ロシア、インドの格差が増大し、地域ではMENAがもっとも格差でヨーロッパはもっとも格差のレベルが低かった。ヨーロッパ諸国と中国ではあまり格差は広がらなかった。

・グローバリゼーションと規制緩和が格差を広げた。『新しい階級闘争』ではさまざまな事例をあげてグローバリゼーションや規制緩和が格差を広げたことを説明している。World Inequlity Databaseでは国家全対の資産、民間資産、政府資産の動きを追うことによって、グローバリゼーションや規制緩和によって、国家全体の資産のうち民間資産は増加する一方、政府資産が減少したことを確認している。政府の資産は教育、福祉などの原資となるものであり、大幅な縮小は政府支援を制限する。また、気候変動など政府として取り組むべき課題への投資も制限される。

・現状では低所得層がまとまることは困難である。『新しい階級闘争』では民主的多元主義を実現することを提案していた。World Inequlity Databaseでは、平等主義・国際主義のプラットフォームによって、あらゆる出自からなる低学歴・低所得の有権者が同じ党内で団結できる可能性を指摘している。

余談だが、World Inequlity Databaseによれば富裕層の中でもトップ1%への冨の集中が進んでおり、1%に入らない富裕層はむしろ資産が減少している。

●現在の世界はガソリンをまいた状態

歴史的にみても高水準の資産の偏りと、それが政治的選択によってもたらされたことなどから、富裕層と低所得層の分断は危険な状態まで高まっている。かつては左派や労働組合がその拠り所となっていたが、今はそうした組織は解体あるいは影響力を喪失している。バラバラに陰謀論や白人至上主義などに流れている。そして、こうした対立を加速されているのが、SNSなどのネット上のサービスである。対立と混乱はアクセスを増加させる以上、広告収入増加のための極めて有用なイベントとなる。フェイスブックペーパーでその実態が暴かれ、コロナ禍では陰謀論者などのサイトが潤った。

デジタル影響工作はこうした一触即発の状況だから効果が発揮できる。以前の記事「影響工作の終焉 プーチンがライターを貸すとアメリカが燃える」にも書いたが、ほとんどの国はガソリンをまいた状態になっており、いつ火がついてもおかしくない状態である。

ファクトチェックやリテラシーなど対策にならない対策を多くの人が語っているのを見て、いつも不思議だったが、「平和で安全な社会にロシアがデジタル影響工作を仕掛けてきて不安定になった」と考えているらしい。実際には、「社会の分断と対立は深刻になっており、いつ暴動が起きてもおかしくない。そこにつけ込まれた」というのが正しい。『新しい階級闘争』はデジタル影響工作の効果を否定していたが、この状況化では効果がある。逆にこの状況だからこそ、よく利用されていると言える。ガソリンに火をつける安全で効果的な方法なのだから、攻撃側のメリットは明らかだ。

問題は防御側で、いくらデジタル影響工作や偽情報などにフォーカスしても効果はうすい。なぜなら、問題はガソリンがまかれている状況=格差が放置されている状況なのだから、それを是正するか、徹底的に低所得層を抑圧して活動を制限するしかない。後者は以前から私が主張している現時点でもっとも効果的なデジタル影響工作対策である統合社会管理システムになる。

私は『新しい階級闘争』の言うようにデジタル影響工作がテクノクラート新自由主義者たちのナラティブで実態のないものとはまでは思わないが、多くの関係者が虚像を見ているような気はする。これまでずっと私が感じてきた違和感はそこにあった。人口はごくわずかなものの、世界の政治、経済、文化を握っている偏った人々の世界観と価値感を通して見れば確かに、私が違和感を覚える世界もまっとうに見えるような気がする。

「影響工作の終焉 プーチンがライターを貸すとアメリカが燃える」は思いつきのメモだったが、予想外に早く裏付けとなる資料が出て来た。これに共感格差を加えるとかなりいろいろ整理できそうだ。

好評発売中!
『ネット世論操作とデジタル影響工作:「見えざる手」を可視化する』(原書房)
『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社新書)
『フェイクニュース 戦略的戦争兵器』(角川新書)
『犯罪「事前」捜査』(角川新書)<政府機関が利用する民間企業製のスパイウェアについて解説。


本noteではサポートを受け付けております。よろしくお願いいたします。