見出し画像

昨年に比べ体系的整理の進んだ大西洋評議会の中国言論戦略分析レポート

中国のデジタル影響工作を論じる際、多くの専門家は個別の事象に焦点を当てる。そのことは問題ではないのだが、全体像を体系的に整理する試みはあまりない。全体像が見えなければひとつの作戦の成否も判断できないし、そもそも目的を正確に読み取ることもできない、と思うのだが、多くの専門家はそうは考えていないようだ。
大西洋評議会のレポート「CHINESE DISCOURSE POWER: CAPABILITIES AND IMPACT」(2023年8月2日、Kenton Thibaut、https://www.atlanticcouncil.org/in-depth-research-reports/report/chinese-discourse-power-capabilities-and-impact/)は数少ない全体像を描いているレポートだ。このレポートは前のバージョンが昨年9月に公開されており、今回は第2弾になる(私の見落としがなければ)。前回に比べて体系的な整理が進んだ印象がある。
なお、昨年のレポートについてはこちら(https://note.com/ichi_twnovel/n/n33ccb6027b60)で確認できる。


●DISCOURSE POWERとは?

DISCOURSE POWERとは直訳すると、「言論力」になる。このレポートでは、自国の規範と価値感を世界に通用するものにし、世界のリーダーとしての地位を確立ことである。かつては日本も同じことを目指していたような気がする。
中国はこれを実現するために、下記のアプローチを取っている。

・2つの対象領域 グローバル・サウスとデジタル

グローバル・サウスとデジタル領域に焦点を当てている。
レポート中でグローバル・サウスを「グローバル・マジョリティ」という言葉が使われているように、世界の多数ははもはや欧米ではない。
デジタル領域を中心に展開してきており、サイバー主権など中国の規範を広げようとしている。

・3つのMedia Convergence チャネル拡大、コンテンツの革新、規範

今回の報告書ではMedia Convergenceという言葉で整理している。Media Convergenceにはチャネル拡大、コンテンツの革新、規範の3つがあり、DISCOURSE POWERを構成する3つの要素という位置づけになっている。

・チャネル拡大

コミュニケーションのチャネルを増加させるために莫大な投資を進めた。2009年に国営メディアのグローバル化推進を謳い、約72.5億ドルの投資を行うと発表した。特に2014年から2015年にかけて中央宣伝部の予算は約3億7千万ドルで433%増となっている。
たとえば、新華社通信は2015年までに海外支社を2009年のおよそ2倍に増やし、100以上の国や地域と協力協定を結び、20を超える多国間組織と提携した。また、各国営メディアはSNSでのフォロワー数を増加させた。
世界展開を行う際に、現地のジャーナリストやメディア関係者を雇用し、親中的な報道を行った。そのリーチは広く、サハラ以南のアフリカ37カ国を対象にした調査では、中国メディアの接触は74%と高い割合になっていた。アフリカでは中国企業のスマホのシェアが40%以上と高いこともその要因のひとつだ。
ただし、必ずしも影響力が大きいわけではなく、投資コストに比べて効果はいまひとつという印象もある。
しかし、2022年にエール大学が発表した研究によると、世界19カ国で中国モデルは成長と安定をもたらすと認識され、アメリカよりも優れているという回答は54%になっていた。中国への評価が高いというよりも、反アメリカの立場だから中国の評価が高いということらしい。特に効果があったのはラテンアメリカとアフリカだった。

SNSにおいては中国に対する肯定的な情報を広めることと、否定的なニュースの情報の監視を行っている。これは現在、日本の複数の官庁が行っていることに似ている。
国営メディアのSNSのフォロワーが欧米メディアよりも多いことは有名だ。
新華社は、「造船出海」と「借船出海」という2つのアプローチを組み合わせている。「造船出海」とは自前のチャネルでの情報発信・拡散であり、「借船出海」は欧米のSNSなどを利用しての情報発信・拡散だ。
外交官など外務省関係者の活用も急速に拡大している。SNSを通じて中国の主張を拡散している。
Tik TokやWeChatなど中国発のSNSの世界展開にも力を入れており、Tik Tokの普及は日本でも有名だが、WeChatもアフリカではフェイスブックやYouTubeに次ぐ50%のシェアを持つにいたっている。

・コンテンツの革新

コンテンツの革新とは、革新的なコンテンツの開発ではなく、革新的なコンテンツの提供方法を指す。具体的には、「precise communication(精准传播)」と「Political native advertising」と呼ばれるものだ。
「precise communication(精准传播)」は言葉通りだと、正確なコミュニケーションだが、実態はマイクロ・ターゲティングである。中国は蓄積した莫大なビッグデータを基にもっとも効果的な主張をもっとも刺さるターゲットに送ろうとしている。これまで中国が行ってきた莫大な投資とわずかなリターンという影響工作の反省から生まれている。2021年には新華社の社長は社説で、「無差別なプロパガンダから個々人向けの表現へと拡大する」と描いている。
「Political native advertising」とは欧米の有力誌の広告あるいは別刷りなどで、中国発とわからない形で情報を掲載させる手法を指す。たとえば中国国営メディアが作るチャイナ・オブザーバー(チャイナ・ウォッチ)は20カ国、40以上の報道機関に毎月掲載されている。グローバル・サウスはもちろんワシントンポストといった欧米の有力紙にも載っている。
また、チャイナ・デイリーはアジア・ニュース・ネットワークを設立し、無償のコンテンツやジャーナリストとの交流の機会を提供している。
コンテンツのシェアリングも効果的で、新華社が南アフリカのニュース機関にコンテンツを提供するようになってから、南アフリカではコロナに関する中国発のナラティブが優勢になった。
経済的影響力をてこに編集内容に影響を与えていることも観測されており、エチオピアやソロモン諸島、ジンバブエ、南アフリカなどで効果が出ていることがわかっている。

・規範

規範とは技術の標準化、デジタル・ガバナンスを指す。メディアとは少し離れた話のように聞こえるが、ネットの世界においては、技術の標準化はすでにきわめて政治的な内容を包含したものになっているのだ。技術の標準化とデジタル・ガバナンスは切っても切り離せない関係にある。
たとえば「自由で開かれた空間」を前提にした場合と、「一元化されたルールと管理」を前提にした場合では必要とされる技術要件が大きく異なってくる。通信技術である以上、国ごとあるいは地域、団体ごとに異なっていては相互の通信に支障をきたす。
おおざっぱで語弊のある言い方をすると、グローバル・ノースの多くは「自由で開かれた空間」を支持し、グローバル・サウスの多くは「一元化されたルールと管理」を支持する。この対立は2012年国連の専門機関である国際電気通信連合(ITU)において、国際電気通信規則(ITR)改正を巡って対立し、数で勝るグローバル・サウスの支持するITRが採択された。欧米および日本など55カ国はこれを不服として批准していない。
中国が提唱する標準は中東やアジアで採用されており、一帯一路加盟国などを中心に広がっている。外交、技術標準、ガバナンスを相互に関連させ、フィードバックループを作って中国の技術標準を受け入れることはガバナンスも受け入れることになり、ガバナンスは安全保障など外交につながってくる。中国の技術標準を受け入れた国でSNS規制に関する法律が制定されているのは偶然ではなく、必然なのだ。
ガバナンスはメディアや情報空間にも大きな影響を与え、変容させる。
中国の技術標準やガバナンスを受け入れた国から中国に莫大な量のデータが送られることになり、そのデータを中国は武器化している。

●感想

前回の報告書に比べて、体系的な整理が進んでいて読みながら全体像がイメージしやすかった。
また、これまで中国のデジタル影響工作はコストの割りには効果がいまひとつだったのが、急速に改善されつつあることもわかってきた。
その改善が個々の手法ではなく、組織的、統合的なアプローチであることが危険だ。もともとデジタル影響工作はそれ単体で効果をあげるようなものではなく、全体計画の一部でしかない。今回の報告書のように技術標準やガバナンス、あるいはマイクロ・ターゲティングとデータ収集の関係なども踏まえて考えないと、なにをしているのかわからない。大変参考になった。

特に技術標準やガバナンスの話は、先日一橋大学グローバル・ガバナンス研究センターのIssue Briefingに寄稿したスマートシティに関する論文に非常に似ていて、自分のアプローチが明後日の方向にいっていないことを確認できてほっとした。

関連記事
中国型スマートシティの地政学的挑戦(一橋大学グローバル・ガバナンス研究センターのIssue Briefing)

大西洋評議会による中国の言論パワーの分析

『中国の情報戦略: 世界化する監視社会体制』は網羅的な中国の影響工作解説書

好評発売中!
ネット世論操作とデジタル影響工作:「見えざる手」を可視化する
『ウクライナ侵攻と情報戦』(扶桑社新書)
『フェイクニュース 戦略的戦争兵器』(角川新書)
『犯罪「事前」捜査』(角川新書)<政府機関が利用する民間企業製のスパイウェアについて解説。

本noteではサポートを受け付けております。よろしくお願いいたします。