『日韓関係史』(木宮正史、岩波新書、2021年11月25日)歴史戦がわからないので、本を読むことにした。

『日韓関係史』(木宮正史、岩波新書、2021年11月25日)歴史戦がわからないので、本を読むことにした。

最近、「歴史戦」という言葉を目にすることが多くなった。正直、よく意味がわからない。単なるファクトチェックではなさそうだし、歴史の捏造に基づくプロパガンダとも違うようだ。めんどうな気がするし、それほど興味があったわけでもないので放置していたが、よく考えると私がふだん調べていることとずいぶん近いんじゃないかと思うようになったのでとりあえず暇を見つけて本を読むことにした。最初の1冊が木宮正史先生の『日韓関係史』だ。

●私がもっともわからない点
その1
 「日本は韓国を侵略したことがあるが、韓国は日本を侵略したことはない」ということだけでも、ふつうに考えて日本の方が立場は弱いと思うのだけど、「実は侵略なんかしたことない」ことになっているんだろうか?

その2 地政学上のアクターにとって対立は「解決」するものではなく、「よりよく管理」するものじゃないのかと思う。今のところ、地政学上のアクターの代表格は国家で、国家間の対立や意見の不一致は、短期的に消えることもあり、それを解決と言うのかもしれないが、恒常的にあらゆる側面のあらゆる問題は常に再定義され、再度問題となる危険をはらんでおり、それをうまく管理することが重要。だから日本と韓国の関係にあるさまざまな問題も「解決」することはなく、管理できるだけのはず。

なので、新しく問題が提起された場合、それが過去の問題の再提起であっても、「それはすでに解決済み」では終わらない。それは新しい問題なのだ。新しい時代の文脈で対処しなければ管理できない。解決を目指すのは意味がない。なぜならそれはまた姿を変えて現れる可能性がある。

●本書の紹介
日本と韓国の関係は戦後かつてないくらい悪化しているらしい。両国の関係を1945年以前、1945年から1970年、1970年から1990年、1990年から2010年、そして2010年から現在にいたるまでの5つに分けて分析している。なお、現在朝鮮半島には2つの国があるが、ここでは便宜上韓国という表記で統一し、北朝鮮を指す場合のみ北朝鮮と記載する。

第二次世界大戦終結までの1945年以前に、「植民地支配」、「徴用工」、「慰安婦」などの問題が生まれ、両国の関係にずっと残ったままである。両国の安全保障と経済面で両国の関係が近づく時期もあったが、安全保障と経済がうまくゆくと、昔の問題が蘇ってくる。

著者は日本と韓国の間には非対称な関係があったと指摘している。非対称というのは、端的に言うと日本が韓国に一方的に影響力を行使していたことを指し、韓国を併合し、支配していた時期も当然含まれる。そのため、日本近代史における教育で韓国の比重は大きくないが、韓国においては非常に大きい。なぜなら日本の多大な影響下にあったためである。この影響力の非対称性によって韓国は近代史における両国の関係を日本人よりも学んでいるということにもつながり、知識と問題意識の非対称性にもつながっている。

近代における最初の非対称性は、当時の安全保障政策の一環として韓国を併合したことで確立し、「植民地支配」、「徴用工」、「慰安婦」などの問題もここから発生した。ありていに言うと植民地化した。欧米列強の脅威、ロシア、中国を近隣に持つ両国は共通の安全保障上の問題を抱えていたものの、島国であり、直接それらと接していない日本に比べると韓国ではより深刻だった。日本は韓国よりも一歩進んで産業を振興し、軍備の強化を勧めており、韓国がロシアや中国の影響下に置かれるのを避けるため併合したのだった。

この期間、日本から韓国に多数が移住し、最盛期には人口の3%を占めるまでになった。また、そのほとんどは韓国社会において上層に位置した。
統治機関として設置された朝鮮総督府は工業化を積極的に進め、経済を発展させた。韓国は日本にとって国際分業上の拠点のひとつであり、大陸侵略の兵站基地と位置づけられた。
韓国国内の企業も成長したが、その多くは「親日派」と呼ばれる日本にすり寄った人々であり、韓国国内では裏切りものとして扱われ、分断を生んだ。

そして、1945年以降、変遷しながらも両国は隣国として存在した。この間、韓国は経済成長し、1990年代に入ると非対称であった関係は、対称なものとなった。つまり、日本と互角に競争できる状態となった。その一方で、両国ともに非対称だった頃の見方を変えられていない。日本は韓国を格下に見て、韓国は日本に寛容を求めるといった感じだ。対称となったことで、対外の対立もより深刻なものとなり、それが今回の事態を招く一因になっている。

本書ではこのへんの経緯が歴史的事実を踏まえてくわしく分析されている。また、随所で日本と韓国の感覚の違いが紹介されているのも興味深い。たとえば、「正義」について日本人は「約束や決め事を守る」ことと考えるのに対して、韓国では「弱者や被害者も含めた関係者が納得、合意する」ことだという

紹介したいことはたくさんあるが、あまり紹介すると本書を読む楽しいが減ってしまうので、ここまでにしておきたい。

●気になった点
これが最初の1冊なので、他の本を読むと同じ歴史的事実についても異なる解釈が紹介されているような気もするし、もしかしたら歴史的事実そのものが異なるかもしれない。

私の疑問にもこの本に回答があった。もちろん、他の本には他の回答があるだろうけど。

その1 「日本は韓国を侵略したことがあるが、韓国は日本を侵略したことはない」について、悪いことをしたと考えていない人が日本にはたくさんいて、そういう人は立場が弱いとは考えないのだろうということはよくわかった。

その2 地政学上のアクターにとって対立は「解決」するものではなく、「よりよく管理」するものじゃないのかという点については、その通りのようだった。安全保障など他の話題で協力関係が必要な時、あるいは協力が可能かつ双方にメリットがある時などは問題はよりよく「管理」されており、顕在化しなかった。また、双方の首脳の問題への関与の仕方によってもよりよく「管理」されていた。

だからこの問題が問題として顕在化し、深刻化しているのは、そうしたい人が影響力を持っているからであって、両国の国民がそれを望んでいるわけでないような気がした。もちろん、これも他の本を読むと変わるかもしれないけど。


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