表現することのしんどさ
あっという間に6月も後半。
来週には7月になるだなんてとても信じられない。。。
noteを書いていないかったこの期間、私は戯曲を1本執筆していた。
とても辛い辛い作業だった。
☆
3月の履修登録時、私は大きな挑戦をする決意をした。
それはこの1年間、戯曲を書くということ。
表現をしてみるということ。
自分自身と向き合うこと。
私は文章を書くのが好きではない。
理由は2つある。
1つは、文章の評価=私自信の評価 と感じるからである。
これは性格としか言いようがないのかもしれないが、私は人に評価されることを極端に恐れている。
高く評価されるのはとても嬉しいが、反対に自分の何かを指摘されるのがとても怖い。
例えそれが私の成長を願ってくれているが故のことであったとしても、自分を否定されている気がして、この世の終わりのように感じてしまう。
だから、ずっと平凡な自分が嫌いで「才能」を欲してきた。
でも、そろそろ気づき始めている。
才能がある人は私の何倍も努力しているということを。
私に足りないのは「才能」ではなくて「努力」であるということを。
この話はまた追々。
☆
もう1つは、自分と向き合うことが辛いからだ。
文章を書くということは、自分の中の考えやひらめきを言葉で紡ぐということで、まず、自分の中にあるそれらに向き合う作業から始める。
そして、その度に痛感するのだ。
私はとても空っぽな人間であるということを。
考えもひらめきもほぼ0に等しい。
そしてその微々たるモノの全ては誰かの受け売りである。
なんかかっこいい。これなら褒めてもらえる。これなら。と思ったものを使い回すことしかできない。私自身の思考の結晶はどこにも見当たらない。
文章を書くたびにこれからは!と思うが、いつまで立っても私は成長しないらしい。誰かの真似っこしかできない。
だから、戯曲を書くのはとても苦しかった。
アイディアも何も無い中、どうにかこうにか物語を紡いだ。
自分と向き合い続けた執筆期間は、何度も落ち込み、何度も逃げ出しそうになった。そうして書き上がった作品も、決して納得できるものではなく、内容も構成も薄くて作品と呼べるのかすら怪しい。
さらにはそれを先生や履修者に評価される。
そう考えただけで、胃が痛くなり心拍数が上がる。
何も期待していないけど、傷つくのは怖い。
結局、戯曲を書くというのは荒治療で、自分を追い詰める行為だったのかもしれない。
それでも一度やると決めたのだから、私は空っぽな自分に向き合いながら表現していこうと思う。
あー、ここまで書くのもしんどかった。
でも、noteを始めると決めたのもまた私なのだ。