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憧れだけで生きてきた

醜くて空っぽな私を記録しておきます。

夢があった。

小学生の頃から私の大部分は、「声優になりたい」という夢が占めていて、好きなことをして生きる未来を想像して、ワクワクしてドキドキして、楽しかった。

高校生になって演劇部に入った。
同じ夢を持つ友人ができた。田舎の小さな大会ではあったけど、優秀演技賞をいただいて嬉しかった。

でも、本当は常に「私にはなれない」という思いがあって、何にも行動せずに夢だけ育ててここまで来てしまった。
親に「声優になりたい」と一度も告げることなく大学へ入学した。

我が家は公務員一家。
祖父母が安定した職について欲しいと暗に匂わせるたび、心が痛かった。
でもそれは言い訳で、私自身も目指した結果、なれなかった時のことを考えると怖かった。そんな恥ずかしいことできないと思う私がいた。

気がついたら、アニメを見られなくなっていた。

妹や弟がアニメを身始めると、心拍数が上がって、胸が苦しくて、その場にいられなくなり、部屋に逃げた。私が諦めて逃げ出した道に果敢に挑んで夢を叶えた人がいる。眩しくて直視できない。
夢を叶えるために大学と並行して専門学校へ通う友人を応援できない。次第にその子と距離を取るようになった。

すぐに逃げ出す、嫉妬まみれの自分が醜くて嫌いになった。

厳しい世界に飛び込む前に怖気付くようでは、あの世界ではやっていけない。私には向いていない。
大学2年の夏、ようやく認めた。

いまだにこのことを考えると涙が出るし、苦しい。アニメを見ても劣等感が付き纏い、結局部屋に逃げてしまう。
10年近く育てた想いは、簡単に消し去ることができないくらいに大きくなってしまっていたらしい。

次の夢を探そうとしたけど、どうやって見つければいいのかわからない。
多分、夢なんて必要ないんだと思う。
夢は憧れで、憧れは超えられない。

夢を叶えたと言われる人は、夢を目標にできた人で、私はそれができなかった。

私は、憧れだけで生きてきた。

生きていくためには働かなくてはいけないから、私は来年就職活動をするだろう。
どの会社にエントリーするのだろう、何をして生きていくんだろう。
好きを理由に選べば、アニメのようにまた嫌いになってしまうのではないかと思うと怖い。憧れを作るのは怖い。

この恐怖と息苦しさを消化して、きちんと前を向けるように、noteを始めた。
私にとって文を書くのは、自分の嫌な姿を直視する行為だから。この劣等感まみれの空っぽな私の中から、少しでも認められる部分を探し出せるんじゃないかと淡い期待を胸に抱いて。



文章を書くたびエネルギーを使います。そんな時私の体はチョコレートを欲するので、おそらくチョコレートを買わせていただくかと思います。