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オモコロ杯に応募、夢の話

・久しぶりに日記調の文章を書きたい。

・しばらくnoteを書いてなかった上、珍しく濃密な日々を送っていて、色々と語源化したいものが積み重なりすぎてカチカチになっている。
・土に水をかけたり、上からまた土が被ったり、日光に当たって乾燥して、また…を繰り返して地質自体固くなっているようなイメージ。耕運機が欲しい。

・では、れっちご

オモコロ杯

・オモコロ杯に応募していました。

記事投稿時、ハッシュタグを一切つけなかったり、周囲の人間に制作していることすら漏らさなかったり、オモコロ関連者をフォローしないようと、持ち前の天邪鬼さが出ていた。

今となればいらぬ行動であったけど、結論としては無事応募できてよかった。大変楽しかった。

「やりたいこと全部1人でやろう!」という心持ちでテーマを決めた。記事であること以上、読み手に伝わりやすい絞ったテーマが正解であったのだろうが、オモコロさんに甘えさせてもらって枷を作るのを辞めた。

・結果として、ライティング、イラスト、物撮り、画像編集、漫画制作、キャラクターデザイン、料理…と「何をやりたいのか」と言われるような幅を持たせてしまった。しかし私の感想としては「自由にやりたかったのです!」 と返事をしたいぐらい、限られた時間内でたくさんのことに手を出せた。

・こちらが「小道具」として、写真数枚分しか登場することのなかった16Pの漫画。ここまでしなくても全然良かったのだが、100%まで突き詰めたい気持ちが勝った。
制作時間120時間と周りに言っていたが、初めて漫画という漫画を作成したので150時間ぐらいな気がする。本職と記事と並行して描いたので、まあ1ヶ月にしてはよくやった気がする。

・企画段階で前提として4人の差分だったり、キャラデザイメージはあったのだけれども、漫画としてベースが固まっていないと「薄っぺらい」というか、説得力が出てこない。デザイン業界では「ペルソナ像」を建てる時など、架空の(いそうな)人物を頭で作り出だすこともあるが、漫画キャラクターはその逆で「凡」であってはいけないので、魅力を作る作業は面白みがあった。

・キャラの相関図や性格まで頭で出来上がってるので、もっと喋りたいけど長くなるのでまたいつか…

・物撮りも楽しかった。
・3脚を注文し、家の隅で眠っていた撮影ボックスを組み立てた。最終的には壊れかけの3脚の機嫌を伺いつつ、撮影ボックスの光源を取り外し、光の補強として使用するなど、バタバタだった。

・撮り損ねがないように、また構成も考えていたので絵コンテを書いていたが、ライティング(光の方)が難しすぎてそもそもバリエーションを持てなかった。撮影場所と光源をどれだけ操作できるかという、環境面があまりにも大きすぎる。
リタッチも大手の広告代理店の作業を思い出すぐらいの分量で、時間が迫る中アドレナリンが止まらなかった。

・といったように反省点もありつつ、自分の中ではやり切った感を感じながらオモコロ杯の終幕に至った。
受賞者の素晴らしさも話したいが、ひとまず自分の中の区切りとして文章に残したいと思う。

補正としての夢

・そういえば結果発表の日までに、「結果発表で好成績である夢」を合計5回観た。前日なんかは中途覚醒しながら一晩にに3回結果発表の夢を見た。こんなことあるものなのか。

・それほどオモコロ杯で頭がいっぱいでしたと言ってしまうのは照れくさいけど、夢の在り方について考える機会とはなった。

・夢というのは、一概には「寝ている間に脳内を整頓する作業」と言われているがどうだろうか。

(夢 - Wikipedia…)
・ウィキをざっと見たが、私の持論に近いものがなかったので引用はせずに持論だけ書かせてもらいたいと思う。

・個人的に夢の内容は、題字のように脳の整頓をしながら「補正」としての役割もあるように思う。
学生時代に片思いした相手が夢に出てきたことはないだろうか、空を飛ぶ夢を見たことはないだろうか。

・夢占いを一時期よく調べていた時期がある。占いは話半分に聞いているので、あまり信じる方ではないかもしれないが、「その夢を見る理由」みたいなものを知りたかった。

・綺麗な川辺を泳ぐ夢を見たら「水の源である川の夢は、パワー、運気が上昇している象徴」などと書かれた記事を見たが、「川のイメージ、認識なんて人それぞれなんだからルール的にはできないでしょうに」と思っていた。

・ただ、この章の冒頭で書いたように「結果落選した賞に当選する夢を幾度か見る」というのは「自信がないからそれを"補う"ために、良い結果である夢を見せる」だとか、脳内で、ないしは夢の中で調節をしているのではないかと最近よく思うようになった。

寝ることだけが幸せ

・例えばストレス値が高く大変な日々、「寝ることだけが幸せだった」と思う人はいないだろうか。もちろん寝ている時は思考を放棄できたり、脳疲労が改善されたりと脳にとってプラスであるので、そう言う人がいるのはよくわかる。

・ただ注目したいのが、その「ストレス値が高い時に見る夢」というのはどういうものであるかということ。人それぞれ睡眠の質は異なってくるので、夢も見ない人も多くいると思うが、その時に夢を見るとしたら「ストレスをならすための悪夢」「幸福感が残る楽しい夢」のどちらかじゃないかと私は踏んでいる。

・「ストレスをならすための悪夢」はまだわかる。辛い日々はよく眠れないという人の話を聞くから。なぜストレス値が高い時に「幸福感が残る楽しい夢」を見るかというと、辛い日中を「補う」ために、脳が楽しい夢を見せてあげるからだと思う。

・そう考えたときに、夢は「脳の整理整頓」を超えた、日中のコンディションにも影響があるようなもっと繊細な役割があるように思う。

・私は専門家でもないし、最近思っていることを書いているだけなので注意してほしいが、夢って案外もっと面白いものだと思いませんか。

・理想は夢も見ないような深い睡眠であってほしいのですが。

・皆様、暑さも厳しい日々ですが、ご無理せずよう。

ukaukiwa
2022/06/29

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