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10日目 いももちを作り、故郷北海道を懐かしむ


本日の献立

【朝】
白米玄米、餅チーズ玉子焼き、厚揚げとわかめの味噌汁
【夜】
親子丼、茄子と胡瓜のめんつゆ炒め、にんじんしりしり、いももち、オクラと豆腐の味噌汁


朝:やっと餅を使い切る

今日もアラームで起床。
ここのところ起きたら体がバキバキで痛い。
相当おかしな寝相をしているんだろうか。
体に鞭打ちキッチンへと急ぐ。

1週間弱前に開封した小粒餅の状態が気になる。
一人暮らしをしていた頃によく買っていたスライス餅は、冷蔵保存していてもあっという間にカビが生えた。粒となるとよくわからないが、若干不安。
見たところ問題なさそうだが、今朝中に使い切ってしまいたい。
いつものように、玉子焼きに入れることにする。

餅の使い道、私は明太子と一緒にお好み焼きに入れたりと和風アレンジが好きなのだが。
夫はチーズと一緒に食べたいと以前言っていた。洋風好みなのかしら。
この辺の、好みの味に関するすり合わせも今後少しずつ進めていかねば。
今日はご要望通り、餅チーズの玉子焼きにする。


味噌汁は厚揚げ。
スーパーの安い油揚げは量が多い割に消費期限が短くて、使い切れる気がしない。
厚揚げなら同じ値段で日持ちも2〜3日程度長い印象。
何より身がぎっしりしていて、食べた感が出る。
炒め物にも使えるので、今後は飽きるまで重宝したい。


夜:いももち〜あの味を、もう一度〜

今夜のメニューは、早く使いたい野菜の大消費祭。
頂き物の胡瓜と茄子、以前カレーを作って余った人参じゃがいも玉ねぎを全て使ってしまえるよう、メニューを考えた。


  1. 親子丼:玉ねぎ消費とタンパク質確保を目的として採用。鶏もも肉は味が少しでも染みるよう、皮に小さな穴を開けておく。玉ねぎと一緒に火を通し、だし・醤油・みりんで味付けして煮る。最後に溶き卵を回し入れ、半熟になるまで加熱する

  2. 茄子と胡瓜のめんつゆ炒め:胡瓜って炒めること少ないけど、案外いける。めんつゆとみりんで炒め、鷹の爪を散らす。味濃いめにできあがったので一部保存容器に移し、白飯のお供として取っておく

  3. にんじんしりしり:千切りした人参を油で炒めて塩胡椒。めんつゆ、卵を入れさらに火を通す。工程少ないのに随分と美味しいし、人参消費できるのでありがたい

  4. いももち:北海道の郷土料理。潰したいもに片栗粉を混ぜて成形し、焼く。たれが命

  5. オクラと豆腐の味噌汁:頂き物のオクラを入れる。汁に粘り気が出て美味しい


先日かぼちゃ団子を作った時に思った。

いももちが恋しい…

北海道民のソウルフード。
名前の通り餅のように伸びーる、弾力強めのいも団子。
ほかほかの状態で、甘くねっとり濃厚なたれをつけて食べるのが美味しい。
故郷ではスーパーの惣菜コーナーによく陳列されていて、当たり前にそばにいた存在だった。
離れて会えなくなって初めて恋しくなる、いももち…これは恋……

会えないならば、作るしかない。

いつもお世話になっているクックパッドさんで作り方を学ぶ。

じゃがいもを切って茹で、水分を飛ばしたらひたすら潰す。
家にマッシャーがなくても、いもを少し小さめに切り加熱時間もちゃんと確保すればペースト状に綺麗に潰すことができる。

あとは片栗粉を入れて成形。
レシピ通りのグラム数のいもで調理すれば、だいたい標準サイズで3個、レシピ画像のように小さめなら4個くらい作れそう。
揚げ焼きにするのであれば、油の量をケチってはいけない。めちゃくちゃフライパンにこびりつく。

このレシピの優れているところは、たれの再現度が高い点だと思う。
醤油、砂糖、みりん、水、片栗粉。
醤油ベースに砂糖・みりんで適度に濃い道民大好きな甘さが生まれる。
そして片栗粉。「多くない? こんなに入れて大丈夫かな?」と思うが、杞憂。
幼い頃から慣れ親しんだ粘り気のあるあのたれがちゃんとできあがる…!!
いももちの美味しさはたれも込みのもの。
地元スーパーの味がそのまま食卓に並び、大変な幸せである。


頑張る源は“恐れ”なのかもしれない

私は料理が好きではない。
そんなに栄養ある食事を摂りたいとも思わない。
バランスの良い食事は心の健康にも大事、とはよく言うけれど、心の健康が不安定な時の方が自分は生き生きしている、創造的になれる、とさえ思う。

料理が嫌いだけど、せっかくキッチンに立たねばならないならちゃんと時間と手間をかけて好きなものを作りたい。
そういうマインドで日々闘っていることは常々書いている。
でも、その奥にもっと根本的な理由がある気がしている。

「手抜き料理・楽々レシピの類いで、失敗せず作れる自信が圧倒的にない」

これに尽きるのかもしれない。
「どうせなら良いもの作ろう!」という比較的ポジティブな考え方よりも、失敗して時間を無駄にすること、お腹を空かせて帰ってくる夫を困惑させることへの恐れが根幹にあるのではなかろうか。

生まれて四半世紀、いつだって自分を動かしてきたのは負の原動力。
人を不機嫌にさせたり怒らせたり、不快にさせたりするのがどうしても怖い。
その一心で、時に自分を極限まですり減らし、学業も仕事もやってきたのだと思う。

こういう物事の捉え方が果たして永久に持続可能なのか、答えは言うまでもないが。
「こういう生き方しかできない」と諦めてしまう自分もいる。
そして限界がきて倒れ、そこで初めて歩み方を見直す。いつも同じ行動パターン。

次の四半世紀は何か少しでも変革できるだろうか。
変えるにはまず、身近なところから。頭ではわかっているつもり。
心に留めるくらいしかできないが、忘れずにいようと思う。

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