吾輩はニンゲンである〜愛猫りんのニャン生とニンゲンの半生〜
はじめに
2024年9/13 13:30
13年間可愛がっていた愛猫の「りん」が亡くなった。
私が過去、人生で最も辛かった時期を共に過ごしてくれた猫だった。
毎日私が眠るまで側にいて、休日にうっかり寝すぎると、大きな声で鳴いて起こしに来た。
人生初のコロナにかかった時は片時も離れず、私の布団の中でゴロゴロと心配そうに鳴いていた。
猫はコロナは感染しないのか、と心配だったが、高熱で動けずどうにもできなかった。
後日、そんな心配は不要なほど元気にしていた。
人間が大好きで愛想が良く、来客があると足元に突進して歓迎した。
手のかからない子で、爪切り、シャンプー、投薬等、普通の猫の嫌がることを、機嫌が悪そうにしながらも抵抗せずにこなし、何かするのに苦労したという記憶はまるでない。
どこの動物病院にかかっても「ここまでいうことをきく猫は早々いない」と褒められた。自慢の猫だった。
動物病院で私は「りんちゃんのお母さん」と、呼ばれていたが、どちらかというとりんちゃんの方が「立派なお母さん」のようだったと思う。
人間の私ときたら生活も不摂生だし、だらしないので病院にかかっても「日頃の不摂生が祟っていますね」と、言われ、怒られるばかりだ。りんちゃんの真逆である。
これは、そんなだらしない人間の私がどうして猫を好きになり、飼おうとしたのか、そうして迎えた猫の「りん」の人生と、最期を迎えるまでを綴ったものである。
「猫」という生き物
動物が好きな子供だったと思う。
私が通っていた小学校には年に1度移動動物園が来ていたのだが、子供の頃はこの行事とスーパーファミコンとTRPGをすることが人生の楽しみだった。
家庭環境が崩壊していたのでそれ以外はクソだった。
勉強せずスーパーファミコンとTRPGばかりしていたから成績も悪いし、社会に牙を剥いていたため典型的な悪ガキグループに所属し、悪戯をしては学校の先生と親に叱られていた。
だが、移動動物園の日だけは「動物の扱いがうまい」ということで珍しく褒められたのも嬉しかった。
動物のなかでもとりわけ、猫という動物には魅力を感じたのは、当時愛読していた少女雑誌「りぼん」で連載していた『ねこ・ねこ・幻想曲』という漫画を読んでからだ。
お月様の魔法の力で人間に変身できる猫たちと、その飼い主たちを取り巻くファンタジー漫画である。
猫と一言でいっても、飼い猫と野良猫の生活の違いなども明確に描かれていて、なかなか奥深い。
飼い主の生死を分つストーリー展開などもあり読み手をハラハラさせた。
私はこの漫画の影響で、自分にも人間に変身した猫の友達がいればいいのに、と、無茶苦茶なことを毎日考えていた。
静かな狂気の中にいたお姉さん
同時期に、猫に纏わる不思議な体験をした。
小学5年生の初夏、学校の帰りに「ねえあなた!」と驚いたように駆け寄ってくる20代前後の女の人がいた。
当時、(お母さんより若いからお姉さんだな)と思ったので20代前後で間違いないと思う。
「急に声をかけてごめんなさい、あなたがそっくりだったものだから」
「そっくり………?」
「私の大切にしてた子にね……でもこの間亡くなってしまったの」
この時、私はこの人は自分の娘を亡くしてしまったのだと思い、「何か気の利いた言葉をかけなければならない」という強い使命感に駆られた。
「そうだったんですか、それはその………とっても悲しかったですよね」
子供なりの精一杯の気遣いの言葉だったと思う。
「うん、写真があるんだけど見てくれる?」
「はい」
どれだけ自分に似た娘だったんだろう、と期待と不安に駆られながらもお姉さんの差し出した写真を見ると、そこに写っていたのは1匹の猫だった
「えっ、猫ちゃん?」
「そう、あなた猫に似てるって言われたことない?」
「あー………うーん?言われたことはあるような、ないような」
「でしょ!本当に似てると思う、あの子が生きて帰ってきたかと思った」
涙ながらに私の手を握るお姉さん。
(どうかな??)
「なんか猫っぽい」と言われたことはあったが、写真に写った猫に似ているかと言われれば「???」だった。
「いつもこの時間に帰ってくるの?」
「そうです」
「じゃあしばらく私と会ってくれないかな」
「あー、はい………いいですよ」
勢いに負けて、思わず承諾してしまった。
令和の時代にこんなことがあったら不審に思った通行人が警察に通報する可能性もおおいにあったが、平成の世では気に留める人もいなかった。
そのおかげで、親には内緒でしばらくそのお姉さんとは学校帰りに会っていた。
近くの公園で話したり、喫茶店で奢ってもらったこともあった。
会話内容は殆どお姉さんの飼い猫との思い出話で、自分も実は猫が大好き、ということを打ち明けるととても喜んでくれた。
「お家では猫を飼わないの?」
「一緒に住んでるおばあちゃんが、猫が好きじゃないんです」
「あはは、苦手な人もいるよね」
「大人になったら飼いたいな」
「うん、飼うといいよ」
「お姉さんはまた猫を飼わないの?」
「うーん、どうかな………亡くなった子以上の子にはもう出会えないと思うよ」
「そういうものですか」
「うん、でもあなたと出会えたから、元気が出たよ」
しばらくしてお姉さんは帰り道に現れなくなった。
少し寂しかったが、なんとなく「もう気持ちが吹っ切れたんだな」という安堵感があった。
今でもこの出来事を鮮明に覚えているが、もしかしたら初夏に見た白昼夢のようなものだったのかもしれない、と思う時がある。
お姉さんの名前も、自分に似ていると言われた猫の名前も思い出せないのだから。
だが、この出来事が猫という生き物にますます関心を寄せるきっかけにもなった。
お寺を守る猫
私は3歳の時に父親、27歳の時に母親を亡くしている。
前述した通り家庭環境が崩壊していたため、母親が亡くなった時はたった1人で、お寺の本堂で通夜の寝ずの番をすることになった。
その日は12月で、暗くて寒いお寺の本堂に1人でいるのは心身共に堪えるものだな、と思っていた時、驚いたことにフワフワの毛並みの猫が飛び込んできたのだ。
お寺で飼われている猫だった。
「どうしたの?本堂は入っちゃダメなんじゃないの?」
捕まえて外に出そうとするがすばしっこく逃げてしまって捕まらない。
故人の前でこれ以上騒がしくするのも良くないと思い、諦めて椅子に座り直すと、その瞬間ぴょん!と、私の膝の上に乗ってきた。
捕まえて外に出すチャンスだったとは思うが、涙がとめどなく溢れてしまって、膝の上の猫を撫でることしかできなかった。
さっきまでとても寒かった本堂が、猫の体温でとても暖かく感じられた。
その猫が朝までそばにいてくれたおかげで、母親の「寝ずの番」をしたのは「1人と1匹」になった。
朝になってお寺の住職さんの元へ猫を連れてゆくと、住職さんはニコニコと笑って
「見かけないと思ったら、やっぱり本堂にいたんだね」
と言った。
「本堂にはよく入ってくるんですか?」
と聞くと
「いや、普段はイタズラされたら困るものもあるから入れないようにはしているよ。でも、昨晩は1人でいる君の側にいたいと思ったんだろうね」
もしかしたら、私が猫好きと知っている住職さんが、気遣って本堂に入れてくれたのかもしれない。
しかし、この出来事は、私が将来猫を飼う決定打となった。
辛い時に人間に寄り添ってくれる猫を、とても愛おしく感じた。
りんという猫
譲渡会に取り残された猫
母が亡くなってから3年後の2011年3月11日に東日本大震災があった。
関東に住んでいた為、自宅の被害は少なかったが、被災地で飼い主を失ったペットたちが彷徨っている、という報道を見た。
実は母が亡くなった後にペットショップで猫を迎え入れたのだが、生まれつきの難病で1歳という若さで亡くなってしまった。
その時はペットショップ以外で猫を迎え入れる手段を知らなかったが、後に保護猫の譲渡会があることを知り、当時は被災地で保護された猫たちもいるということで、何かの助けになれば良いと思い参加した。
今でこそ1人暮らしだが、この頃は妹と2人で暮らしていたため、保護猫を譲り受ける家庭の条件には当てはまっていたためである。
仕事を終え、譲渡会終了間際の夕方に行ったのだが、その時にはもう殆どの猫は譲渡先が決まっていた。
元々被災地で飼われていたのであろう、スコティッシュフォールドやアメリカンショートヘアなどの血統書付きの猫もいて、そういった猫から順に決まっていったようだった。
まだ里親が決まっていない猫を見てまわっていると
「気に入った子はいました?」
と、保護猫のボランティアの人に声をかけられた。
「被災地の猫を迎えられればいいと思ったんですけど、もうどの子も飼い主さんが決まっちゃったみたいですね」
「ああ、今回は特に可愛い子が多かったからねえ」
確かに………とケージの中に入れられてても尚美しい猫たちを見つめる。
「この子はどうですか?ちょっと地味な子なんですけど………とってもいい子ですよ」
ボランティアの人が指差した『ちょっと地味』という猫は、白地に黒い模様のまあいわゆる「よくいる野良猫」だった。
耳がカットされている。
ケージに閉じ込められているのが気に入らないのか、ブスっとしていてかなり機嫌が悪そうだった。
「耳カットされてるんですね、地域猫だったんですか?」
「地域猫」というのは、「地域で管理されている野良猫」のことで、地域住民の合意の元、外で飼育されている。
耳がカットされている猫は、「避妊手術が済んでいるのでこれ以上増える心配はない」という証だ。
参加したのは世田谷区の譲渡会だったので世田谷の地域猫ということになる。
「そうです。でもすごく人懐こい子で、警戒心がないから誰にでもついていっちゃうんです。
そうすると悪い人にも付いていって虐待に遭う危険性もあるから、里親さんを探すことにしたんですよ」
「警戒心のない野良猫ちゃんがいるんですね!」
「すごく珍しいと思いますよ、きっと地元の人に沢山可愛がられてたんでしょうね」
私はブスっとした機嫌の悪そうな猫を改めて見たが一度も目を合わせてくれなかった。
本当にこの子が「人懐こい子」なんだろうか………。
気がつけば、他の猫たちは皆飼い主が決まり、この「機嫌の悪そうな猫」だけが残っていたのだ。
「この機嫌の悪そうな子の飼い主がずっと決まらなかったらどうしよう」という不安に駆られ、思わず「じゃあ、お迎えします!!」と、言ってしまった。
「えっ、本当ですか!」
ボランティアの人は嬉しそうに「凛ちゃんの飼い主さん決まったよ!」と報告して回っていた。
「りんちゃんっていうんですか?」
「そうです、ほら、漢字で……にすいの『凛』ね。ボランティア内での呼び名だから、もちろん飼い主さんが変えていただいていいんですよ」
「そうですね、でも今までそう呼ばれていたならその名前が1番良いかもしれません」
こうして『凛』はうちの猫になった。
推定3〜4歳の女の子だった。
りんちゃんが「人懐こい猫」というのは家に来てから1週間で理解することができた。
とにかく抱っこが大好きで、ずっと抱っこをしてないと、赤ちゃんのようにニャーニャーと鳴き続けた。
当時在宅ワークをしていた私は、暫く自分の部屋でりんちゃんを抱っこをしながら仕事をしていた。
横になると一緒に眠り、起きれば抱っこを要求する。
来客にも人見知りせず嬉しそうに擦り寄っていって、「まるで犬みたい」と驚かれた。
家に仕事の打ち合わせにきたスーツ姿の人の膝にも遠慮なく飛び乗り、紺色のスーツを毛だらけにしてしまった時はとにかく謝り倒すしかなかった。
来客中だけでも、と思いケージに入れようとしたが、とにかくケージが嫌いで内側から物理的に破壊しようと暴れ回った。
譲渡会で、機嫌が悪そうにしていたのは生粋のケージ嫌いからくるものだったと思う(そもそも、好きな猫はあまりいないと思うが)
保護猫を迎えた時は暫くボランティアの人に日々の様子の写真をメールで送らなくてはならないのだが、自分と一緒に寝ている写真を送ったら「凛ちゃん、見違えるほど綺麗になりましたね。きっと可愛がってもらって幸せなんでしょう」という返事が返ってきて、「りんちゃんを幸せにしてあげられているのか………」と、しみじみと思い、とても嬉しかった。
窓際の猫ちゃんへ
りんちゃんは高い場所に登って外を眺めるのが好きだったため、キャットタワーを買い、窓際に置いてあげた。
その場所はりんちゃんの定位置となり、昼間の殆どをその場所で過ごし、道ゆく人たちを眺めていた。
通行人は一様に足を止め、家の中のりんちゃんに向かってしきりに話しかけていた。
話しかけられると、必ず返事をする猫だったため「ニャーニャー」と鳴いては通行人たちを喜ばせていた。
こうしていつの間にかりんちゃんは地元ではちょっとした有名な「窓際の猫」になっていた。
ある日、家のポストに切手の貼られていない封筒が入っていた。
宛名には「窓際の猫ちゃんへ」と書かれている。
中を開けると丁寧な字で、「家の前を通るたびに窓際の猫ちゃんに元気をもらっている」という内容が書いてあった。
手描きの可愛いイラストまで添えてある。
最後に「どうか猫ちゃんの名前を教えていただけますか?」とあり、連絡先のメールアドレスが添えてあったので、お礼の言葉と共に「猫の名前は『りん』といいます」というメールを送った。
すぐに返信は返ってきた。
とにかく動物が大好きで、犬を沢山飼っていること、犬の散歩中に毎日家の前を通ること………家庭のことなどなど、とめどもなく書いてある。
見ず知らずの人にこんな個人情報をベラベラ喋ってしまっていいのか!?と心配になったが、聞けば親くらいの年代の女性で、おばちゃんが道端で世間話をする感覚だったのかも………と思うことにした。
それからというもの、そのおばちゃんから、メールだけでなく毎日のようにポストにりんちゃんと私に宛てた手紙が届くようになった。
手紙には猫用おやつや、猫グッズなどのプレゼントもついており、メールで「お手紙は嬉しいですが、物を受け取るのは申し訳ないので、ご遠慮いただければと思います」と送った。
「ごめんなさい、物はもう贈りません」
と返信がきたが、次の日、家のドアノブに紙袋がかけられていて、中にはおばちゃんからの手紙と、大量の猫用おもちゃが入っていた。
贈ってきてるやないか
(どうしよう、このおばちゃん、いきすぎているかも………)
と、この時初めて感じ始めた。遅すぎる気づきである。
ある日の夕方、「ピンポーン」とチャイムが鳴らされた。
宅配便が届く予定だったので、何の警戒心も持たず玄関のドアを開けるとそこには……犬を何匹も連れたおばちゃんが立っていた。
「ごめんなさい、りんちゃんにどうしても一目会いたくて」
ついに自宅凸しにきてしまった。
「あのー………いえ、わかりました。りんちゃんを連れてくるので、もう家には訪ねに来ないでくれますか?これで最後にしてくださいね」
「はい………ご迷惑なのはわかっています、これきりにします」
りんちゃんに会い、嬉しそうに一通り撫でた後、おばちゃんは大人しく返っていった。
………かと思いきや、そのおばちゃんは、また別のおばちゃんを連れて家にやってきた。
「○○さん(自宅凸おばちゃんの名前)に教えてもらって……実は私もりんちゃんのファンなんです!」
「わかりました、りんちゃんを連れてくるので、もう家には2度と来ないでください。それと○○さん(自宅凸おばちゃんの名前)、もう訪ねて来ないって約束しましたよね?」
「本当にごめんさい………今度こそもう2度と来ませんので」
だが、その約束は守られず、再びニューフェイスを加え、自宅凸おばちゃんを含む計3名のおばちゃんが訪ねに来た。
「すみません!○○さん(自宅凸おばちゃんの名前)の知り合いです。私もりんちゃんのファンです!飼い主さんがすごく猫を愛している方だと教えてもらって……地域で可愛がっていた、とある野良猫の捜索にご協力お願いしたいんです」
いや、なんでやねん
「えーーっと、その野良猫ちゃんとうちにどんな関係が……」
「いえ!飼い主さんが猫を愛してる方だとお聞きしたので!」
「「「お願いします!!」」」
そりゃ猫は愛しているが、言ってることがもうメチャクチャである。
こんな騒がしい日々を送っていたが当のりんちゃんは、来客があるたびに嬉しそうに駆け回っていた。
りんちゃんを好いてくれる人がいるのは純粋に嬉しかったが、それ以上に連日の自宅凸はなかなか堪えるものがあった。
古い一軒家だったため、カメラ付きのインターホンがなかったことも仇となった。
窓ガラス連打おじいさん
怒涛のおばちゃんラッシュの他に、当時頭を悩ませていたのが窓際を激しく叩く通行人の存在だ。
昼間ならまだ良いのだが、それは朝6時から始まる。
「おーーい!!たま!!いるのかい!?」
ドンドンドンドン!!
激しく窓を叩く音と共に、外で老人の叫ぶ声が聞こえる。
「ニャーーン!!」
一目散に窓際に駆けてゆくりんちゃん。
(お前は「たま」じゃないだろ!)
というツッコミをよそに、当のりんちゃんは嬉しそうである
「おお、たまや!今日も出てきてくれたんだねえ」(ドンドン!!)
「ニャーン!」
高橋名人の16連射の如く窓ガラスを叩き続ける老人
早朝の散歩が日課の老人が「窓を叩いて呼べば出てくる」というりんちゃんの特性を気に入り、毎朝6時頃に窓ガラスを激しく叩くようになってしまった。
家の中で寝ている住人の存在はまるで無視である。
「たま」の他にも「シロ」「ブチ」などと呼ばれ、窓を激しく叩く通行人は増えてゆく。
その度にりんちゃんは嬉しそうに「ニャーーン!!」と鳴き、通行人の期待に応えていた。
いっそ窓際のキャットタワーを撤去してしまおうかと考えたが、片付けようとした瞬間、りんちゃんに激しく鳴かれてできなかった。
また、一時期は「窓を叩かないで」と張り紙もしたが効果はなく、警察に言おうかとも考えたが
「猫が顔を出すんで通行人が窓を激しく叩くんです」と、
相談したところで
「ハァ?」
という感じだろうし
「猫がを顔を出すんで知らんおばちゃんが大勢訪ねにきます」
と言っても
「ハァ?」
だろう。
そこで私は悩みに悩み抜いた結果………………
「引っ越すか」
という結論に至った。
新居でのりんちゃん
母親が亡くなった後も暫く実家に住んでいた私だが、ワンルームのマンションに引っ越した。
妹とは色々あって別々に暮らすことになったが、りんちゃんの世話は私がすることになった。
そこでは見知らぬおばちゃんが大勢訪ねてくることも、窓を激しく叩かれることもなく、穏やかな毎日を過ごすことができた。
しかしりんちゃんにとっては以前の騒がしい毎日の方が楽しかったようで、引っ越してからは、どこかぼんやりと過ごすようになっていった。
以前まではりんちゃんの居る部屋と自分の部屋を分けていたが、ワンルームなので常に一緒の部屋で過ごすようになった。
りんちゃんが常に側にいて、一緒に眠る生活は楽しかったが、私と2人だけの世界にしてしまって、果たしてりんちゃんにとって幸せだったのだろうかと今でも考える時がある。
以前のように、窓から顔を出して、通行人とおしゃべりをする。
彼女にとってそれが1番楽しい時間だったのではないかと。
話は少し逸れるが、台東区谷中にある「ねんねこ家」という、古民家カフェ兼宿泊施設をご存知だろうか?
ここはいわゆる「猫カフェ」とは違い、2018年に私が訪ねた時には店主のクバミエさんが飼ってる猫が外と中を自由に出入りしていて、のびのびと、自由に猫たちがありのままの姿で過ごしていた。
残念ながらもう亡くなってしまったようなのだが、2018年にタクヤという猫と、サンキチという猫がいて、2匹ともかなりの高齢猫だった。(なんとタクヤは22歳だった)
にも関わらず、訪ねてきた私たちを全力で歓迎し、サンキチに至っては私の膝に擦り寄り、ゴロンと横になって帰るまで側にいてくれた。
猫カフェではほぼあり得ない、ものすごいサービス精神である。
高齢の猫というのは人間のいうことや、やることを全て見透かしているような不思議な雰囲気に溢れていて、特にサンキチとタクヤには驚くほど惹かれるものがあった。
昔の人が「13年飼った古猫は化け、50年を経ると尾が分かれ霊力を身につけて猫又になる」と言ったのは、こういった不思議な雰囲気を高齢の猫から感じ取ったからなのかもしれない。
「高齢になっても、うちの猫たちはお客様を出迎えることが1番嬉しいみたい」
とクバミエさんが言っていた。
もしかしたらりんちゃんも「出迎えるのが好きな猫」だったかもしれないな、と今更ながら考えてしまうのである。
ワンルームのマンションに引っ越してから、りんちゃんは冬になるとロフト上にある私のベッドの横で過ごし、夏になるとロフト下で過ごしていた。
ロフト下で過ごしていても「りんちゃん」と呼ぶと階段を駆け上がってきて、ぴょん!と私の膝の上に乗ったり、寝るときは一緒のベッドに横になった。
ロフトの上で友達と通話しながらゲームをしていると、一目散に上がって来てスマホへ向かってニャーニャーと鳴き、会話に参加したがった。
彼女の中に「飼い主が寝る時は側にいてあげないといけない」という絶対ルールがあるようで、ベッドに横になると私が眠るまでじっと側にいて、眠った頃にそーっと自分のベッドへ戻って行った。
ベッドで寝っ転がってゲームをしたり、本を読んでいる時にでさえ「もう寝るのか」と思うようで、必ず側にやってきた。
このルールはりんちゃんが病気でフラフラになっても最後まで守り抜き、階段を登るのも辛そうにしているにも関わらず、私が横になると1段、1段、ゆっくりと登ってきて眠るまでじっと側にいた。
この「寝かしつけ」のような行動を考えるに、彼女にとって私は娘のような存在だったのかもしれない。
腎不全との戦い
元気だけど元気じゃない闘病生活
ーー病気
そう、2020年に、りんちゃんは高齢の猫の多くがかかると言われる腎不全になった。
始まりは、引っ越してから数ヶ月で体調を崩したことにある。11歳だった。
何回も便秘になり、はじめは引越しのストレスかと思われたが、この時すでに腎不全の兆候があった。
そして2年後の2020年、夏になり、食欲のないりんちゃんを心配して病院に連れて行くと、腎不全と診断された。
ステージ3だった。
もはや腎臓の機能は3割程度しか機能していなかった。
余命は1年ほどと言われた。
この年、私は友人と共に以前からの夢であったアナログゲームの店を立ち上げたが、運悪くコロナ渦に巻き込まれ、更にりんちゃんが腎不全のステージ3………かなり進行してしまっている悪い状態と聞かされて落ち込んだ。
度重なる緊急事態宣言で、事業計画もうまくいかず、立ち上げ時に世話になった友人たちにも沢山苦労をかけたと思う。
どうしようもなく追い詰められ、家で泣いている時、驚いたりんちゃんが駆け寄ってきて、ペロペロと私のほっぺたの涙を舐めた。いつもと違う私の様子を不思議に思ったのだろう。
りんちゃんの病気のこともあって泣いてるのに、そんなことは当猫にはわからない。
その後、りんちゃんは週1で1ヶ月ほど輸液に通ったが、いっこうによくならなかった。
大きめの病院へ連れて行ったところ、24時間輸液をすることを提案されたので、1週間ほど入院させた。
奇跡的に数値が下がってきて食欲が出たとのことなので退院し、数日後には見違えるほど元気になっていた。
この後「ラプロス」という猫の腎不全に効く薬を飲ませ始めるが、驚くべきことにステージ3からステージ2になり、2022年には完治してしまったのでは?と言われるほど腎臓の数値が正常になっていた。
便秘は相変わらずだったが、「ロイヤルカナン消化器サポート 可溶性繊維」という療法食に「現代製薬 犬猫用乳酸菌 ザ・乳酸菌」というサプリ、「乳酸菌入りちゅーる」を毎日あげることですっかり改善した。
特に乳酸菌のサプリは絶大な効果があったので、是非便秘がちなワンちゃん、猫ちゃんに試してみてほしい。
「余命1年」と言われたのがまるで嘘のようであった。
「ラプロス」は効くタイプの猫と効かないタイプの猫がいるらしいが、りんちゃんにとっては奇跡の薬だった。
ただ、この「ラプロス」は獣医によっては懐疑的な人もいるので試してみたい人は、一度病院で相談することをお勧めする。
また、お値段が張る薬でもあるので財布との相談も必要だ。(病院にもよるが1錠¥100〜200を1日2回飲ませることになる)
投薬は猫の負担にもなるから休薬しても良いと病院から言われ、2022年から休薬した。
2022年春頃に1日家を空ける用事があったのでかかりつけの病院とペットホテルが併設されている場所に預けた。
しかしこの後とんでもなく体調を崩すことになる。
2020年に体調を崩した時とは比にならないほどで、飲まない、食べない、嘔吐、下痢を繰り返していた。
水も飲まずご飯を食べないので脱水しないように点滴と、強制給餌が必要なため、再び入院。
病院でも日に日に容体が悪くなるばかりで、再び「あと数日〜1週間」と余命宣告された。
それならばと家に連れ帰り、強制給餌をやめ、自由に過ごさせることにしたが、家に帰って3日目で急にご飯を食べ始め、再びみるみるうちに元気になっていった。
2020年に入院させて元気になった経験から入院は良いことだと思っていたが、それ以上にメンタル面での負担が大きかったらしく可哀想なことをしたと反省するばかりだった。
また、この後は「ペットシッターサービス」を利用するようになった。
家を空けている間シッターさんが自宅に来てくれて、短時間でお世話をしたり遊んでくれたりするサービスだ。
自分が留守にしている間見知らぬ人が来るのが心配、という方はクローゼットに大事なものをしまい、外付けの鍵をかけるといいだろう。
回復してからは元気に過ごしていたが、2023年夏頃に血尿が出るようになった。
病院に連れて行ったが腎臓の数値は正常で、原因はストレスか尿管に石があるかどちらかと言われた。
ジルケーンという動物用のメンタルサプリを勧められて飲ませたところ、2週間ほどで完治した。
それからはとても元気で、若い時のように家中走り回ったり、高いところに上り下りなどもするようになった。
そのままずっと元気に見えたが、2024年3月の健康診断で腎臓のひとつが水腎症により破壊されていることが発覚。
おそらく2023年に血尿が出た時石が詰まってこうなったのではないかと言われたが真偽は定かではない。
17歳だった。
りんちゃんの病気のことをつらつらと書いてしまったが、地元の病院には本当にお世話になった。
シャンプーやホテル、保護猫カフェまでついてるなんでも対応できる素晴らしい病院だった。
看護師さんにも沢山可愛がってもらい、何故か院内の写真コンテストにいつの間にかエントリーされていて、いつの間にか入賞していた。
その写真は、健康診断に行った時撮られた写真で、とんでもなく機嫌が悪くブサイクだったため、院内による組織票だったと思う(違ったらすみません)
挙げ句の果てにはその写真でキーホルダーまで作ってもらった。
このブサイクキーホルダーは今でも宝物である。
りんちゃんの最期
2024年9月6日
りんちゃんはフラフラとした足取りでロフトの階段を1段、1段登り、夜寝ようとした私の側に横たわった。
歳のせいで既に足腰がかなり弱っていて、関節炎を患っているのを知っていたので「無理しなくていいんだよ」と声をかけ、ロフト下にあるベッドまで連れて行った。
翌日、ご飯をあまり食べていなかったのですぐに病院に連れてゆき、輸液をしてもらった。
直後はご飯を食べ、暫く元気だったが、9月9日にはグッタリとしていて慌てて病院に連れて行くと、血中尿素窒素(BUN)が測定不能なほどに高くなっていた。
腎不全の末期状態である。
1ヶ月前に健康診断をしたが、その時はステージ2〜3の間くらいで少し悪くはなっていたがまだ薬で抑えられる範囲だった。
急に悪くなったということは、慢性腎不全から急性のものに移行したという医者の見解だった。
それからは危篤状態が続いた。
以降は、危篤状態から亡くなるまでの様子を記録としてつけていたものである。
残念ながら最後は穏やかな看取りとは言い難く、ショッキングな描写もあるので苦手な方は読まないことをお勧めする。
亡くなるまでの5日間
9月9日
水やご飯は一切受け付けず、寝たきり状態になった。
夜中にガタン!という大きな音がしたので慌てて見にいくと這いずって必死にトイレに行こうとしていた。
「トイレでしなくてもいいんだよ」
と、床に敷いたペットシートの上に連れていっても、シートの上では頑としておしっこをしなかった。
どんなに身体が辛くても、絶対にトイレで用を足す、というのは猫の特性だ。
それならばと思い、抱き上げてトイレの猫砂の上に連れていったが、それでも出そうとしない。
もしかしてトイレじゃないのかも………と思い、ベッドに横たえると、フラフラと起き上がり再び這いずり、トイレに行こうとした。
自分の力でトイレに行かないと気が済まないのかも。
そう気づいた私はよろけるりんちゃんを時折支えながらトイレまで導いた。
その時はじめて自分の力でトイレまで辿り着いたと認識したのか、おしっこをすることができた。
そこには「最後まで人間の手を煩わせたくない」という確固たる意思が見えた。
しかし、流石に今後は辛いだろうと思い猫用ベッドにペットシートを敷いたがその上に居ることはプライドが許さないのか、這いずって別の場所に行こうとした。
これを何度も繰り返し、仕方なくペットシートは完全に撤去することにした。
まるで「病人扱いするな」と言っているようであった。
それからは数時間おきに部屋中を這いずって眠る場所を変えていた。
痩せて骨と皮だけになった体がフローリングに当たり、痛そうだったので移動を手伝おうとすると「ニャー」と小さく抗議の声を上げた。
マットを買っておけばよかったと思った。
9月10日
輸液をすれば少しは楽になるかもしれないと病院に連れて行った。
前日まで「できる限り輸液をしましょう」と言っていたお医者さんが、りんちゃんの様子を見て「ああ………」と小さく言った。
その後は粛々と輸液をし、痛み止めや貧血の注射を打って診察は終わった。
いつもりんちゃんを可愛がってくれている看護婦さんは辛そうな顔をしていた。
「お大事に」
帰りにそれだけ、一言言われ、「できる限り輸液をしましょう」という言葉はもうなかった。
私はこの時、この日で病院は終わりにしよう、と思った。
好きではない病院に連れてゆき、これ以上りんちゃんの体に負担をかける必要はない。
気持ち悪くて嫌がっているのに、無理やりご飯を食べさせるのもこの日で終わりにした。
9月11日
PM21:00〜
仮眠を取ろうとロフトに上がり、ベッドに横たわってしばらくした後ガタン!と大きな音がした。
驚いて飛び起き、ロフト下を見ると眠っていたはずのりんちゃんが這いずるようにしての階段の側まで移動していた。
私が寝ようとしたから「寝かしつけ」をしようと階段を上がろうとしたのだろう。
胸が引き裂かれそうになりながらも
「もういいんだよ」
と声をかけ、布団をロフト下に持ってゆき、横で眠ることにした。
するとりんちゃんは安心したように眠り、それから殆ど動かなくなった。
PM22:00〜
仮眠から目覚めると床がビショビショになっていることに気づいた。
おしっこにしては臭いもなく、水のようなものがりんちゃんの周りに大量に広がっていた。
輸液で補っていた水分が全て出ていってしまったのかもしれない。
もう殆ど動かなくなってしまったし、這いずって移動することもないだろうと思い、猫用ベッドの上にペットシートを敷いて小さな体を横たえた。
だが、暫くして意識を取り戻したかのように顔を上げるとペットシートの上で身をよじるような仕草を何度もした。
どうしてもペットシートの上にいたくないらしい。
再び私はペットシートを撤去して、りんちゃんを猫用ベッドの上に直接横たえてあげると、満足したようだった。
それからは横たわったまま半目を開け、意識がないような状態が続いたが、時折ハッと顔を上げて私の姿を捜した。
名前を呼ぶと安心したように瞬きをして、同時に手を握るとギュッと力を入れて握り返してきた。
どこにそんな力が残っているのか、握り返す手はとても力強かった。
9月12日
AM5:00〜
朝方、お風呂から出た時「ニャー!ニャー!!」という大きな鳴き声がしたので慌ててりんちゃんの側へ行くと、なんと私の膝の上によじ登ろうと手足をバタバタさせた。
私の姿が見えないことが不安だったのかもしれない。
腎不全は抱き上げると身体が辛いと聞いていたので撫でるだけにして、猫用ベッドごとロフト上の私のベッドの横へと運んだ。
もう這いずり回ってロフトから落ちる心配もないだろう。
いつものように私も自分のベッドで横になると、りんちゃんはさっきまでの興奮が嘘のように穏やかに眠った。
おそらく、ここがりんちゃんにとって1番安心できる場所だろう。
PM14:00〜
あらかじめKindleで購入していた「猫の介護ハンドブック 〜気持ちに寄り添う緩和ケア・ターミナルケア・看取り」という本に書かれていたとおり、段ボールで小さな棺を作った。
いざ亡くなったら冷静に行動できないかもしれないから、落ちついている今のうちにやってしまおうという気持ちだ。
先代の猫が亡くなった時はこういう本は少なかったので何をしたらいいかわからなかったが、今は猫のターミナルケアについての本は捜せばいくらでもあるのでありがたい。
ついでに、以前買った「まんがで読む はじめての猫のターミナルケア・看取り」という本も読み返した。
この本は病気になってしまった猫のケア方法や、最期の立ち会いかたが漫画で描かれているからわかりやすい。
主人公が一人暮らしの青年で、自分と同じ境遇というのもあり、気持ち的にも共感しやすかった。
動物病院から紹介されたいくつかの霊園の場所も調べたが、なんだかどれもしっくりこなかったのでとりあえず保留にすることにした。
PM15:00〜
りんちゃんの名前を呼ぶと、「ニャー」と小さく返事をした。
意識がはっきりしているようだったのでスポイトでお水をあげるとゴクゴクと飲んだ。
だが、それから暫くして、完全に目が閉じられなくなったようだった。
最後に少し元気な様子を見せてくれたのかもしれない
PM17:00〜
突然りんちゃんが咳き込み、口呼吸をするようになった。
最期が近いのかもしれない。
ロフトの下に小さな身体を運び、窓を覆っていたロールスクリーンのカーテンを全開にして外の様子を見せた。
隣のマンションは老朽化が進んでいたため、最近建て替えたばかりで、まだ入居者を受け入れていなかった。
以前はマンションの外で子供たちが元気に遊ぶ様子を眺めるのが好きだったりんちゃん。
誰もいない広場を見つめる様子に、少し残念だと思った。
夕日が徐々に沈んでゆき、りんちゃんの白い毛並みをオレンジ色に染めていた。
PM20:00〜
微動だにしなくなってしまったりんちゃん。
動かなくても、声だけは聞こえているはずだと本で読んだので名前を呼んだりしていると、急に足をバタバタさせて私の腕を何回も蹴り上げた。
腎不全の発作かもしれないが、私には「聞こえてるよ」と合図しているようにも見えた。
9月13日
AM12:30〜
何度も苦しそうに咳き込んでいる。
床ずれにならないように寝返りをうたせているがその度に咳き込むので下手に動かさない方がいいのかもしれない。
正解がわからない。
目は閉じられなくなっているが、顔を覗き込むと視線を合わせて瞬きした。
AM8:00〜
相変わらず苦しそうにしているが、お腹に耳を当てるとドクドクと鼓動が聞こえる。まだ生きている。
流石に私も仮眠を取った方が良いと思ったので、りんちゃんを猫ベットに横たえたまま、ロフトの上に連れてゆき、その横で眠った。
AM9:00〜
「ニャー!」という声が聞こえる。
驚いて飛び起きると、私の方を見てりんちゃんが「ニャー!」とはっきり鳴いていた。
側に寄り、顔を覗き込むと、突然激しく咳き込み出した。
そのまま苦しそうに叫びながら大きな血の塊を何度も吐いた。
腎不全の最期は血を吐く、というのは聞いたことがなかったため、慌てて検索したが、どうやら尿毒素のせいで消化器系に炎症が起こると吐血することもあるようだった。
AM11:00
2時間も血を吐き続けている………私は必死でりんちゃんの元や口の中を拭き、汚れたペットシートを定期的に交換するしかやることがなかった。りんちゃんも、私も血でドロドロだった。
りんちゃんはこんなに良い子なのに、何故これ程まで苦しまなければならないのだろうと思うと涙が止まらなかった。
AM13:25〜
突然激しく何度も痙攣し、再びゴボゴボと血の塊を吐き続けた。
「よく頑張ったね、えらいよ」と声をかけながら血で汚れたりんちゃんの顔を拭う。
抱っこが好きだったりんちゃん。
最期は抱き上げたいと思ったけど、この状態では口から溢れる血が逆流して余計苦しいだけだろう。
せめてもと思い頭を撫でながら口元を拭うと、徐々に呼吸がゆっくりになってゆき、動かなくなった。
AM13:30〜
「りんちゃん」と声をかけ、顔を覗き込むと瞳孔が開き、生気がなくなっていた。
虹の橋を渡ったのだと理解した。
悲しみよりも、「やっと楽になれたんだ」という安堵感の方が大きかった。
想像を絶する4時間半、よく耐え抜いたと思う。
最後まで本当に良い子だった。
あらかじめ作っておいたダンボールの棺に亡骸を入れようと思い、動かなくなった体を拭いていると「トントントン……」という、りんちゃんがロフトを駆け上ってくる音が聞こえた気がした。
思わずそちらを確認してしまう、もう動かないのに。
暫くはこの幻聴を聞くことになるんだろうな、と思う。
でも、もしかしたら、この音を聞いたらきっとすぐ傍まで「来ている」のかもしれない。
りんちゃん、13年間ありがとう。
もうベッドで一緒に寝たり、休日に寝過ぎて叩き起こしに来られたり、そもそもの睡眠を邪魔され続けたりすることはないのだろう。それが寂しくはあるけれど。
「伴侶動物」「コンパニオンアニマル」とはよく言ったものだ。
猫は、りんちゃんは、間違いなく人生のパートナーだった。
りんちゃんの葬儀
9月13日
動物病院から紹介された動物霊園はどれも立派で、葬儀はまるで人間のものと変わらないようなプランが組まれていた。
中には通夜プランもあり
「立派な棺の周りをめっちゃ花とか蝋燭とか線香で飾りつけてくれて一緒に一晩過ごすやつ」
や
「遺体をシャンプーやトリミングしてめっちゃ綺麗にしてくれるやつ」
まであった。
シャンプー、通夜、葬儀、棺、供養をフルでつけたら軽く10万は超えるだろう。
私は過去2回喪主(ペット入れたら3回)になっているが、葬儀屋は人であれ、ペットであれ、あれこれオプションをつけてとにかく費用を釣り上げてくる業者もある。
動物病院が紹介してくれたから悪徳業者ということはないだろうが、これだけ沢山コースがあるとどこまでやっていいかわからん状態になった。
りんちゃんは13年一緒に過ごした大事な家族だが、お金をかけて豪華な葬儀をするというのはなんだか違う気がした。
(教会でミサ形式のやつはないかな〜)
実は母親は、祖母の宗派の関係で仏教葬になったが、敬虔なクリスチャンだった。
私も、りんちゃんの葬儀に参列予定の妹も、幼稚園から高校までミッション系の学校に通っていて、子供の頃からミサや礼拝は日常に組み込まれているものだった。
かといって私も妹もキリスト教信者という訳ではなく、信じている神といえば「その時の推し」くらいなのだが、単純な慣れという部分で教会での葬儀はかなり気持ちが楽だった。
聖書のことばを読み、聖歌歌い、神父さんのお話を聞き、お花をあげて終わり。
あまり悲しい雰囲気はなく、全ての葬儀がこうであって欲しいと思っていた。
ネットで調べると「西東京教会」というところが日本で初のペット葬儀をしている教会のようだった。
提携している「ペットPaPa」という葬儀業者も、色んなサイトの口コミを見たが、驚くほど評判が良かった。
私はすぐに「ペットPaPa」さんに電話をし、葬儀の取り決めをしたが、とても丁寧に対応していただいた。
最後に
「カトリック信者なんですか?」
と聞かれたが
「いえ、そういう訳ではないのですが、実は親が信者で……」という話をした。
わざわざ教会での葬儀を希望するのは珍しいと思ったのだろう。
翌日の夜、葬儀をしてもらえるとのことだったので、妹にも連絡をした。
「教会でやってもらえるんよ」
と言ったら、予想通り「慣れてるしその方がいいわ」と喜んでいた。
その後、連日ろくに寝ていなかったので爆睡していると20:00頃に電話がなった。
「西東京教会」の牧師さんからだった。
その時、(あ、牧師さんってことはプロテスタントか)とぼんやりとした頭で思った。
カトリックとプロテスタントの違いは難しいのだが、同じキリスト教でも宗派が分かれていて呼び名が違う。
仏教は13宗56派と言われるが、キリスト教はたったの3宗派のみである。
大きな違いといえばカトリック(神父)は生涯独身でいなくてはならないが、プロテスタント(牧師)は家庭を持つことができる。
ちなみに親はかつてカトリックとプロテスタントのミックス宗派に属していた。
ミックス宗派ってなんやねんという感じだが、正直私もよくわからない。
聖歌(カトリック)、と讃美歌(プロテスタント)の本を2冊を持ち歩き、両方歌っていた記憶がぼんやりとあった。
牧師さんからはりんちゃんのことをあれこれと聞いてもらった。
当日のお祈りにエピソードを組み込んでくれるということだった。
眠くてはっきりしない頭で色々喋ってしまったが、牧師さんに話を聞いてもらえるという行為が私にとって非常に安心できるものだった。こういった問いかけは、飼い主のメンタルケアという部分もあるのだろうなと思った。
9月14日
12:00〜
久々にたっぷり寝て昼ごろに起きた。
起きて真っ先に段ボールで作った棺の中を覗きに行く。
スヤスヤと、まるで眠っているようなりんちゃんの身体がそこにあった。
(うっ……どうしよう、すでにちょっと匂ってきてるな)
棺の中には、前日、数年間溜めた香菜屋でもらった保冷剤を敷き詰め、風邪を引いた時に使っているアイスノンまで入れていたがこの日は9月にもかかわらず34度あり、クーラーを効かせた部屋でもなお無力だった。
調べるとペットの遺体保管用のドライアイスを翌日届けてくれるサービスの存在を知り、あんなに冷静に準備してたのに何故これを注文しなかったのかと後悔した。
この猛暑で、保冷剤でいけると思った私の考えが甘かったということだ。
葬儀は19:00からだ。まだ7時間もある………
私はコンビニへ走り、ロックアイスを3袋購入して、袋ごと全て棺にぶち込んだ。
ゴツゴツしたロックアイス袋の上に寝かされたりんちゃんの体はなんだかちょっと痛そうだった。
「すまん、りんちゃん………もう少しの辛抱だよ」
と、手を合わせる。
りんちゃんが危篤状態になってから何度も繰り返し読んだ、「ポッケの旅支度」という漫画では飼い主のイシデ電さんは亡くなった猫、ポッケの遺体を冷蔵庫で保管していた。
しかし、私の家の小さな冷蔵庫にはどう見ても猫の身体が入るスペースはなかった。
(一応ペットの霊安室サービスもあるみたいだな)
疑問に思ったらすぐネットで調べる現代人、ペット霊安室が連日満室という表記を見て
(やっぱ夏場だしな……)
と納得するのであった。
18:00
ロックアイス3袋の効果は絶大で、この頃にはりんちゃんの身体の匂いがかなり軽減されていた。
教会まで棺を運ばなければならないのでタクシーの配車を頼もうと、ウーバータクシーのアプリを開く。
「プレミアムってやつしかないけどプレミアムって何?」
同乗する妹に聞くと
「さあ、なんかすごい車が来るんじゃない」
と答えた。
どうやら3連休の初日で、普通の車は全て出払っているらしい。
時間もないのでプレミアムで配車を頼むと「黒のアルファードが向かっています」と表示された。
「黒塗りの高級車が来るらしいぞ」
疲れからか、衝突してしまうかもしれない
その日、生まれて初めてアルファードに乗ったが、後部座席が広かったため棺がピッタリ収まった上、私と妹2人もかなり快適に座ることができた。
しかも執事みたいな運転手さんが最初から最後まで棺を運んでくれた。
(「パラサイト 半地下の家族」で見たやつや)
こんなセレブみたいな体験をさせてくれたりんちゃんに感謝するしかない。
アルファード最高
19:00
教会に着くと昨日電話で話した「西東京教会」の優しそうな牧師さんが出迎えてくれた。
礼拝堂の祭壇置いてあった可愛い籠に、りんちゃんの体をそっと横たえる。
その後、牧師さんが昨日の私の話を聞いて作ってくれたオリジナルの式辞を渡された。
表紙には「りんちゃんお別れの会」と書いてあった。
パイプオルガンの前奏の後に、聖書の一節を読み上げ、その後に牧師さんが「りんちゃんについて」というお祈りを読み上げてくれた。
「東日本大震災で家族と離れてしまった猫ちゃんの譲渡会に行きました。
血統の良い猫ちゃんはどんどん引き取り手が決まっていました。
そんな中被災猫ではなかったりんちゃんは最後まで残っていました……(中略)
まるで犬みたいと言われるほど人に懐く子で、人にまとわりつき、エアコン掃除の人にもついて邪魔をするほどでした(中略)
9月13日13時30分頃自宅で息を引き取りました。
吐血をしたりして苦しそうな最後でしたが、しかし今は神様のもとに受け止められていることを信じます。」
私が昨晩話した話を事細かに記録し、祈りの言葉にしてくれていた。
飼い主にとってこれほど嬉しいサービスはないだろう。
最後に讃美歌を歌った頃には、教会の前に火葬車が到着していた。
火葬車というのは、ペット用の火葬炉を搭載した専用の車で、「ポッケの旅支度」に描かれていたので存在は知っていたが実際に目にするのは初めてだった。
ペットの葬儀は特にしない、という家庭でも自宅まで火葬車を依頼すればすぐに火葬ができるシステムだ。
火葬炉の前でりんちゃんの体の周りに花を飾っていると、「もうこれで見納めなんだな」という思いが込み上げてきた。
可愛い小さな瓶をいただいたので、ハサミで白い毛の部分と、黒い毛の部分を取って収めた。
「お別れです」
という言葉の後に、小さな体がゆっくりと火葬炉に収められてゆく。
手を合わせながら小さく啜り泣いた。
50分ほど火葬した後、出てきたりんちゃんの骨は驚くほど前足と後ろ足が発達していた。
「これは立派ですね!」
と、牧師さんが感嘆の声を上げる。
以前、動物病院で「手足の骨がしっかりしているから長生きするはず」と言われたのを思い出した。
思い返せば、りんちゃんがまだ若い頃、全速力で逃げ回ってる時に捕まえられたことは一度もなかった。
「尻尾の骨がかわいいですよ」と言われて差し出された小さな骨は、星の形をしていた。
「ほんとだ、星の砂みたいですね」
先代の猫を火葬した時、お骨上げは流れ作業的だった記憶があるので、猫の尻尾の骨の形がこんな形をしているなんて知らなかった。
先ほどの瓶同様、骨を収めるカプセルもいただいたので、可愛い尻尾の骨と、小さな爪の骨を中に収めて他は骨壷に入れてもらった。
骨壷を包む布やリボン、貝殻のチャームなど全て可愛いのだが、「ペットPaPa」さんが全て手作りで作っているらしい。
骨壷の布の包み方もお団子頭みたい、と喜んでいたのだが、後にパウダー加工する等で中の骨だけを取り出すとしたら、2度と同じ包み方はできないなと思った。
費用は全部合わせて¥58000だった。
この金額が相場より高いのか、安いのかわからないが、きちんとペットの葬儀をしてもらうとこのくらいの値段感ということが伝われば幸いだ。
最後に
骨壷を家に持ち帰り、棚に飾った後、改めて部屋の中を見回すとなんだかとても広く感じられた。
生き物の存在が1つないというだけでこんなに違うものなのかと思う。
本来ならば夜はりんちゃんに薬を飲ませなければならない。
錠剤を口に突っ込んだり、ちゅーるに様々な粉薬を混ぜてあげたり、飲み水に混ぜている結石に効く漢方のお茶を作り置きしたりしていた。
ご飯やお水を毎日どれくらい飲んだか分量をチェックして、少しでも異変があると病院へ相談していた。
あとは、うんちをすればたまに便秘でケツにくっつけたままトイレから飛び出すことがあるので、毎回きちんと出ているか肛門をいちいち見せてもらっていた。
ありえないほど毛が抜けるので毎日こまめに掃除をして………等りんちゃんの為にやっていたことを挙げたらキリがなかった。
それが全部やらなくていいのか、と思うとあまりにもやることがなさすぎる!
生活にメリハリが出ず、だらしなさに磨きがかからないか心配だが、それもまた徐々に慣れてゆくのだろう。
「りんちゃんって生まれ変わったら何になると思う?」
と、突然妹に聞かれ
「なんだろな、現世で徳を積んだだろうから、むっちゃ金持ちで家庭円満な家の人間の子供かも。HIKA○INの2人目の子供かもしれない」
私は輪廻転生だとかそういったものはよくわからないが、冗談ぽくそう答えた時、ふと、子供の頃に出会った「猫を亡くしたお姉さん」のことを思い出した。
飼い猫を失い、意気喪失していた時、ランドセル姿の子供の私を見て何故か「飼い猫の生まれ変わり」と思ってしまったのかもしれない。
そうして何度か話すうちに「やっぱり違うかも」と正気を取り戻して、吹っ切れたんだろうな、と。
「亡くなった子以上の子にはもう出会えないと思うよ」
そう、最後に言っていたお姉さん。
私が亡くした猫の生まれ変わりではないと気付いたから、亡くなった子以上の子には出会えないって確信できたんだ。
(そして、心のどこかでそうなることを望んでいたんだろう)
何十年も昔に体験した、不思議な出来事の謎が溶けていく。
猫って本当に不思議な生き物だ。
普通に生活していたら気づけない、様々なことを教えてくれる。
私はきっとこれからも、猫という生き物を愛し続けるだろう。
世界一可愛くて、優しい猫だったりんちゃん
沢山の素晴らしい思い出をありがとう
彼女と過ごしたキラキラした毎日を、生涯忘れはしない
2024.9.15 ぽっぽ
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