変わり続ける自分を書き残す
過去の自分が書いた文章を読んで前向きになれる日もあれば、「これだから書き残すのは嫌なんだよなあ」とネガティブに思う日もある。
なかでも、いまの自分はこう考えているとか、こう思っているという内容を書いた文章については特にそう。今日、ほんの数日前に書いた文章を読み返したときに受けた印象はネガティブ寄りだった。
「この書き方だと本当に言いたかったこととズレがあるな」と後悔したり、拙い文章に気恥ずかしくなったり、いまの自分とは異なる思いや考え方に触れて、自分の変化に戸惑ったり……。ときに、そういったモヤモヤを感じてしまうのだ。
それに、よく言えば柔軟でいろいろな影響を受けやすいわたしは、考え方や大事にしているものがそのときどきで違っている。数年前まではこう思ってたけど今は違う、なんてこともザラにある。
だからここに書く文章というのは、自分のいまを切り取っただけにすぎなくて、それなのに自分の文章が冷凍保存されるみたくずっと残ってしまうのは、少し怖い。
過去からいままで自分という同じ人間を生きてきたはずなのに、過去とは全然違うことを思ったり感じたりするって不思議だ。創業以来、ずっと継ぎ足し続けられている秘伝のタレみたい。誕生からずっと存在し続けているのは確かなのだけど、「初めの頃」の部分はどこまでも薄まり溶け込んでいる。
わたしにとって自分はそれくらい曖昧なもので、「本当の自分」や「変わらない自分」はどこを探しても見つからなそうだ。
ライターの古賀史健さんが、いつかのnoteで「(つくり置きをしない)日々のnoteが、自分を定点観測する場所になっている」ということを書いていた。
それは“いまの自分”を定点観測できるという文脈だったけれど、“過去からいままでの自分”についても似たようなことが言える気がする。
日々なにかを書き残しておくと、過去からいままでの自分を定点観測のように眺められる。「ずいぶん変わったなあ」とか「ここはあまり変わらないな」とか。そうやって自分の変化を見つめられるのは、いまの自分を書き残すメリットと言えるかもしれない。
未来の自分から見たら、きっといまの自分もずいぶん薄まっているんだろうな。それでまた、「この頃は、こんなこと考えてたのかあ」なんてちょっと他人事みたいに思うんだろうな。
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