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新しい世界を見たいより見せたい

いつかの伯山カレンというテレビ番組内。どんな恋人が理想かみたいなトークテーマで、神田伯山さんが滝沢カレンさんに「今の相手1人(=自分)としか付き合ったことない男性は、(恋人や結婚相手として)どう思いますか?」という趣旨の質問をする場面があった。

そこで滝川カレンさんが言った言葉、「こっちが新しい世界を見たいのに、なんで私が新しい世界見せなきゃいけないんだって思っちゃう」みたいな答えが、すごく好きだった。

これまで、カレンさんの言葉選びや発想はときにうらやましいほどに独特で、わたしにはできない言葉の使い方をされるイメージだったけど、この言葉は明快でまっすぐで、スンと伝わってきた。

「こっちが新しい世界を見たいのに、なんでわたしが新しい世界を見せなきゃいけないの?」

そんな言葉を、自分も言ってみたいと思った。明快ながらも、なんだか映画やドラマに出てきそうなセリフで、これがすぐ出てくるなんてすごい。

わたしはかつて、この言葉を言ったことがない。さらに残念なことに、せっかくこの言葉を知ったのに、これから言う機会もない気がする。

それは、わたしが恋人に新しい世界を見せてもらうことを求めない、というか諦めているからだ。新しい世界は、自分ひとりでも、違う誰かとでも見つけられるんじゃないかと思ってしまう。

もちろん、恋人が行ったことのない美味しい飲食店に連れて行ってくれたり、知らずにいた面白い映画を教えてくれたりしたら嬉しい。でも今のわたしは、新しくもない日常を一緒にやっていけることがよっぽど大事という気持ちが大きくて、そこに、それでも新しい世界を見たいと願う好奇心が小さく同居している感じなのだ。

良くも悪くも恋人には期待していなくて、だからこそ誰かに頼らずとも、自分で新しい世界を見せられる人間でいたいなーという気持ちがある。

結局のところ、「なんで私が新しい世界を見せなきゃいけないの?」という言葉に惹かれるのは、そのセリフを言えるような、恋人や誰かに新しい世界を見せられる自分になりたいからだったりする。


初めて行く場所や初めて食べるものがくれるワクワク感もいい。でも、わたしはそれと同じかそれ以上に、文章や映画、ドラマ、テレビ番組、音楽、お笑い、ラジオなどにワクワクをもらい、さらには生きる力をもらってきた。わたしにとっての「新しい世界」は、カルチャーやエンタメなんだと改めて思う。

今まではその恩恵を受けてばかりだったけど、これからは少しずつでも、取材や文章を書くことで、自分が見たかったもの、誰かが見たかったものを届けたい。身近な人にとどまらず見知らぬ誰かにも新しい世界を見せたいなんて、いつの間に欲張りになったんだろう。

こんな話にカレンさんの言葉を引用してしまってすみませんという気持ち……。ほぼ恋愛関係ない話になった。ただ、伯山カレンでの楽しそうなカレンさんがわたしはとても好きだ。毎回たくさん笑って、新しい世界を見せてもらっている。

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