見出し画像

「人生損してる」に怒ってた誰かと、人生得してるって思わせてくれるもの

「この本を読んでいないなんて、人生の半分を損している。」

手書きの文字で読者の感想がいくつも書き並べられた本の帯に見つけた1文。昔、「人生損してる」っていう表現に憤慨してたひとのことを思い出した。

それを知らないとか食べられないとか、やったことないってだけで、人生損してるわけないじゃん。お前に何がわかるんだって感じ。

そんな風にそのひとは怒っていた。

思い返せば、そんな話をしたのは、そのひとだけじゃなかった気もする。「人生損してる」だなんて言われたくない人は、意外とたくさんいるに違いない。

よくよく考えてみれば、誰かに人生損してるよって言えるほどのことって、この世界にあるんだろうか。さらに言えば、ひとの人生に第三者が損得とか言うのもどうかと思えてきた。損か得かなら、誰しも損はしたくないはずで、それを勝手に「損してる」なんて言われたら、それはムッとしちゃうよなあ。「人生損してる」って何かを薦めるような場面で使われることが多いけど、実は逆効果なのかもしれない。

「〇〇を食べられないなんて、人生損してる」
「〇〇を見てないなんて、人生損してる」

こうしてじっと言葉と向き合ってみると、やっぱり言い過ぎな気もする。これはきっと人生損してるって言えるくらいに、心からその良さを信じているからこそ出てくる言葉なんだよな。その言葉が思いを飛び越えて、さらに増強してくるのだ。

そこで、じゃあ自分はどうだろう、と思う。「人生損してるよ」と誰かに堂々と言えるものがあるだろうか。何であればそう言い切れるだろうか。考えてみたけれど、なにも浮かばなかった。

それをしなくても全く損はしない、でも、することでちょっと人生得した気分になれること。それでもよければ、わたしは「映画館で映画を観ること」をすすめたい。

映画館は、自分を日常から切り離してとっておきの場所へと連れていってくれる。そこでしか味わえない感覚がたしかにあって、映画館だと、不思議と作品が2割増くらいよくみえる。映画館という空間ならではの没入感で、作品を観る自分の感度が上がるのだと思う。

家でスマホやパソコンを通して映画を観るときは、そうはいかない。拭いきれない現実感が作品世界にのめり込むことを阻むから、どうしても感度が違ってくる。

それに映画館で映画を観たあとは、現実世界で感じたり考えたりしてるごちゃごちゃが、一旦リセットされる感覚があって、それもまたいい。

いつだったか銀杏BOYZの峯田さんが、曲作りかレコーディングのときに行き詰まるとパチンコ屋さんに行くと話していた。パチンコを打ちに行くというよりは、あのうるさい音を浴びることで洗い流されて、頭を空っぽにできるらしい。

わたしにとっての映画館は、峯田さんにとってのパチンコ屋さんに近い。映画館で観る映画は、自分の身に張りついていたざわざわ、モヤモヤ、ごちゃごちゃしたものを、ぜんぶ洗い流してくれる。

映画作品を動画配信サービスで観られるようになったことで「配信で観ればいいか」と思った時期もあったけれど、配信で観るのと映画館で観るのとでは、体験そのものが違ってくる。

照明が落ちて真っ暗になって、最初のシーンが映るときのワクワク感。上映中のスクリーンのチカチカ。笑えるシーンや暗転したときのすすり泣きで感じる、お客さんの存在感。

そいうものも含めて、映画は舞台とかライブと同じ「生もの」なのだ。

上映期間に観た作品は、リアルタイムで感想を聞いたり話し合ったりできるという魅力もある。実際、わたしは昨日『スパイの妻』を観たのだけど、いまさら感想を語り合えないし、誰かの感想が飛び込んできて何かを思うこともできないので少し寂しかった。

やっぱり、気になる作品は映画館で観るのがいちばん。映画館に行くだけで、少しばかり現実から離れてリセットして、また日常を生きていく力をもらえていることを思えば、わたしは絶対に人生得してる。


スキやコメント、SNSでのシェアうれしいです。ありがとうございます。いただいたサポートは、本、映画、演劇、寄席など自分の好きなものに注ぎ込みます!