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タイトルで好きな本を集めてみる

小説やらエッセイを買い集めていると、しばしば心のなかに大切にしまっておきたくなるタイトルや、秀逸だなぁと思わず感心してしまうようなタイトルの本と出会う。

背表紙に入ったタイトル、自分の好きな言葉が本棚に並んでいるのを眺めるのも悪くない。そこにあるだけで、なんだかうれしいのだ。わたしが本を手放せないのは、そうやって好きなタイトルを並べておきたいから、というのもある気がする。

家にある本棚を眺めながら、好きなタイトルをいくつか挙げてみる。

まず、圧倒的にタイトルに惹かれて買った中島らもさんの『永遠も半ばを過ぎて』。「えいえん」じゃなくて「とわも」と読むところも含めてる完ぺきすぎる。

それから、角田光代さんの『愛してるなんていうわけないだろ』。角田さんの恋愛にまつわるエッセイだいすきだし、このパンチのあるタイトルもよき。タクシーをぶっ飛ばすのに憧れる話がすきだった。

あと他作品だと『太陽と毒ぐも』もすきだ。恋人の許さないところ、相手とのすれ違いを描いた短編集で、それを、太陽の光を遮る「雲」に見立てて表現してるのが最高。

江國香織さんだったら、『いつか記憶からこぼれ落ちるとしても』と『落下する夕方』。『いつか〜』の方は、何人かの(たしか同じ学校に通っている)高校生たちの視点で描かれた小説。繊細でときにキラキラしたりトゲトゲしたり、まさにこぼれ落ちてしまいそうな思いや出来事が描かれている。大好きなシーンがあって、ファミレスのレジ横のおもちゃを見ると、今でも思い出すくらい。

みうらじゅんさんの『さよなら私』『グレイト余生』は、タイトルそのものがわたしの人生の指針のひとつでにもなっていて、大切。うじうじ悩まないように、さよなら私で「自分なくし」していきたいし、グレイト余生を突っ走りたい。

まだぜんぶ読み終えてないけれど、穂村弘さんの『世界音痴』も好き。運動音痴でも方向音痴でもなく、世界音痴。世界にうまく入っていけないような、自分だけが合ってないような感覚。そんな時点を持っているひとの話は、共感できてもできなくても面白い。そのひとなりの世界音痴な話をしてくれるひとに惹かれがち。

田辺聖子さんの『孤独な夜のココア』もだいすき。内容は、恋愛小説が書かれた作品集。本のタイトルがそのまま使われてる小説はなくて、特別、孤独だとかココアが出てくるわけでもない。だけど、読みながらどんどんこのタイトルを好きになっていった。ひとり夜にココアを飲みながら、何かを思うときのような。わたしにとって恋愛は、そうやって小さく思い出して、寂しくなったり温かくなったりするものなんだよな。だからこそ、このタイトルも作品集もずっと大切にしたいと思うのかもしれない。


他にもいっぱいあるはずだけど、自分が少なからず影響を受けてきたタイトルはこのあたり。タイトルで新しい本と出会ったり好きになったりするのも、なかなか良いものだと思う。ブックオフとかで、タイトルだけ見て思わずレジに持って行っちゃうやつ、たまにはやりたい。

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