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過剰な気遣い

誰かと一緒にいるときに、なんとなく遠慮してしまう、一歩ひいてしまうことがある。少し過剰な気遣いをしている自分に気づく。

何かしてもらったときに、「ありがとう」でいいのに「ごめん」と言って慌てふためく。相手の好意を「いいよ」と譲る、「悪いから」と遠慮して断る。(そのくせ、向こうが再び提案してくれると受け入れたり頼ったりする。)自分の行動で相手はこう思ってるんじゃないかと深読みしすぎる。

これらは過剰な気遣いでもあるし、過剰な恐縮だ。

これはまだ深い関係になってない人と接するときに多いけど、自分のことをわかってくれてるなと安心できる人に対してさえも起こりうる。こうして書きながら、自分のこういうところは本当にヤダなぁと思う。相手の顔色をうかがっちゃうところ。自分への自信のなさが、結果自分を下手に持っていく意識に繋がってる気がする。

でも、それはもはや相手のためじゃなく、人との関係で傷つくのが怖い自分を守るのため。自分を守ろうと過剰な恐縮でガードしてる時点で、自分が相手との距離を遠ざけてるし、そういう意味で相手を尊重できてないとも言えそう。

自分に自信がなかろうが自己肯定感とやらが低かろうが、人と向き合うときにそれを持ち出す必要はないはずだ。上から目線になるでもへり下るでもなく、対等に向き合うことでしか生まれない何かがきっとある。それは心地よい時間だったり、信頼関係だったり。

最近の取材で質問がしどろもどろになったときに、ふとこの過剰な恐縮が発動していることを思ったのだった。相手の顔色をうかがうような恐縮ではないにしても、それで相手が心地よく心を開いてくれるだろうか。どんな取材でも、対人間として堂々と向き合いたい。

あと編集者さんが同席するか、自分が編集者として同席するふたり以上の取材でも、この無駄な気遣いがむくむくと湧いてくる。「ここで自分が発言したら邪魔になるんじゃないか……?」と思えてくる。そんな自意識に目を向けて遠慮するよりも、いい取材にしていく心意気と責任感のほうがよっぽど大事だよね。

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