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SNSに書くことがわからない問題

昔から今日までずっと、SNS、主にTwitterに何を書いていいのかわからなくて、困っている。

今のTwitterアカウントは仕事用に作ったもので、「ライターの仕事したいなら、発信できた方がいいよなぁ」と思って、2年くらい前にアカウントを作った。でも、実際は全然使いこなせてない。

ザ・有益情報とまではいかずとも、誰かのためになったり、面白いことを発信できる人に憧れる。でも、それすらも苦手かつ、やろうとしないのでダメだ。

一昨日は、ゴッドタンのマジ歌ライブのグッズをリツイートするなどしていた。仕事関係ない話ばっかりだ。

でもこれ、本当に可愛い。

Twitterは、気づくと当たり障りのないことばっかりつぶやいちゃう。それも悪くないとは思うのだけど、「本当は、もっと言いたいことあるのになー」とも思う。

例えば「SNSでこれ言おう」と思ったとする。すると、わかってほしい気持ち、わからなくてもいいよって気持ち、どう伝えればいいか悩む気持ち、さらには、そこまでして伝えたいこと?って気持ちになって、結局やめてしまう。だから、Twitterにはそこそこの数の下書きが溜まっている。

その点、わたしはまだnoteの方が向いている気がする。noteはいい意味でSNSっぽさがあるけれど、Twitterみたいな文字制限はないし、読みたい人しか読まない感じがするから。見たい人しか見ないと思うと、嬉しいことも悲しいことも素直に書きやすい。

それでも「わかってほしいけど、わかってほしくない」という面倒な自分、「伝わる表現ができないから書きたくない」という怠惰な自分がついてまわって、書くのをためらう。

Twitterやnoteで書く自分は自分の一部にすぎないから、それを全部と思われたくない。それに、本当に嬉しいことや悲しいことは、できることなら秘密にしておきたい、とも思ってしまう。

ただ考えてみると、嬉しいことはまだしも、本当に悲しいことまでSNSに書いてる人は少ない気がする。誰しも、人に見せずにそっと抱えている気持ちがあるわけで。個人的な嗜好だけれど、そういうことはこっそり教えてもらったときの方が、嬉しかったりする。教えてくれなくてもいいから、大事にしてねと思う。

そんな人間だから、最近ブックオフで買った『デラックスじゃない』での、SNSに関するマツコさんの言葉が嬉しかった。

『ホントに大事なこと、自分の根源に関わることを、わざわざ人サマにさらす必要なんてないのよ。(中略)LINEはお遊びとしてやってていいけど、そればっかりに目を向けないで、LINEでは絶対に見せない自分の思いみたいなものを、1個大事に持っていてほしいんだよね。何か抱えているもの、作ってほしいんだよね。』
(『デラックスじゃない』/マツコ・デラックス)

自分や誰かの根源にあるのは、SNSに書かないような何か、だったりするかもしれない。Twitterとかインスタで誰かが見せてくれるものって、必ずしも本当じゃないし、その人の全部じゃないから、一部を全部にしない想像力を持っていたいな、と思う。

というわけで、甘えていると言われればそれまでだけど、Twitterはもうしばらくこの感じな予感がする。最近はできるだけダメな自分も見せていきたいと思っていて、書くことは続けたいから、せめてnoteの更新数は増やしたい。

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