毒教師に担任された話①
「毒親」と言う言葉がある。文字通り、子どもを毒する親。
定義が曖昧だけれど、暴言や過干渉で子どもの心を傷つける、悪影響を与える親のことらしい。どこからどこまでを毒親ととらえるかは人によるかもしれない。
それと似たようなもので、私は「毒教師」に出会った。それは私の小学3年と6年の担任だ。どちらも同じ先生。
そういう経験がある人は多いのではないだろうか。誰もが一度くらい、自分に合わない先生には担任されていると思う。それが中高なら少し影響は薄れるかもしれないけれど、小学生の私への影響は大きかった。
読んでいてあまり楽しい話ではないかもしれない。でも、私はこの話を書くことで体と心の毒素を抜かないと、自分の好きなことについて思い切り書けない気がするからここに書き残しておく。
思い出すのは一つの場面。
テーストテスト、楽しいテスト♪
なんていうアホらしい号令を斉唱させている毒教師。そしてテストは始まる。
テストはまだいいんだけど、それより地獄なのがテスト直しの時間だ。
テスト直しの時間とは、その名の通りテストで間違えた問題を解き直す時間。漢字を間違えたなら間違えた漢字を全部1つずつ、ノートに一行ずつ練習して、先生に出しに行く。チェックされて、OKが出て、その一枚のテストの間違いが全部直ったら、チェックシートにチェックがつく。
このチェックシートが曲者である。
一人一人、どのテストの直しが終わっていないかチェックするためのものなのだ。名簿の横にチェックする用の箱とそれに対応するテスト(ドリルやプリントも)が書いてあって、順番通りにスタンプラリーを埋めていくように直していく。
これが辛かった。なぜ間違いなのか説明して間違いを正していくのだが、先生の元に一列に並んで待つのだ。その児童たちの姿は今思えば囚人が並んでいる時みたいに、皆一人残らず暗い顔をしてうつむいていた。そうするしかない。怖い主君との一対一での対面を待っているのだ。それに私語があると怒られる。そうしているしかない。
私はテストが得意だったので、テスト直しは早く終わる方だった。そうすると終わった人たちでお互いに算数の問題を出したり、あとは応用問題を解かされたりした。今思えば嫌だったのは、そのテスト直しを終えても、終わりの見えない戦いだったこと、先生にいちいち嫌味を言われることである。
直しが終わったのにさらに勉強しなきゃないのも嫌だし、自分の机で、先生のところに行って間違いを正す説明をするために教科書を見ていても、15分とか行かないと名前を呼ばれる。
「○○、座ってるだけじゃ解けるようにならないよ。」とか。
まあ要するに意地の悪いばばあの門番のところに行く囚人たちという構図なのだ。
なかなかヒントも教えてくれないし、小学生には脱獄することもできない。
まさに恐怖政治であった。
あの頃のことは嫌すぎて記憶にあまりない。クラス全員、その人に担任された年のいい思い出なんて見当たらないんじゃないかと思う。
体育でも同じシステムを使っていて、鉄棒なら鉄棒の技、マット運動ならマット運動の技をチェックされる。ひとつの技ができないといつまでも先には進めない。
1つ覚えているのは、理科のテストで当てはまるものに○をつける問題だった。
○をつけるだけでよかったのに、私は当てはまらないものに✖️をつけてしまったのだ。○をつける場所は当たっていたのだけれど。
それで問題文は○をつけろとしか言っていないのに、✖️をつけてしまったと説明したのになぜか青丸(一度間違えたあと、直してもらえると青い○をもらう)をくれなかった。そうではなくてなぜ○なのか説明しなくてはいけないのかと思ってまた行ったけどだめだった。私なりに一生懸命に考えたけど、それ以外の説明はつかなくて、机に座っていたらさっきの文言を言われた記憶がある。「机に座っていても進まない」というようなことを。
それでもう一度行ってみたら、○をもらえた。確か一度目と同じ説明をしたんだけど、何が違ったのか、一度目の何がいけなかったのかわからないまま。
まったく思い返しても疲れるプロセスだ。小学校3年と6年には精神的苦痛が強すぎる。主君の言うままに行動しなくてはうまくいかない。何が正しいとかではなく、何が主君にとって正しいかが大事なのだ。
こういうことは社会に出て起こりうるのは分かっているが、教育現場で起こっていいことなのだろうか。
私が理不尽に感じたのはおかしいのだろうか。一番お利口に振舞っていた私でさえ、こんなに嫌だったのに。2年間、耐えるしかなかった日々。あの頃の私は私なりに、毒教師から身を守っていたのだ。心にじくじく来る嫌味をできるだけ追い出して。
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