いっちーにっき Vol.3 「"受"け止める"心"」
今日は実家の自部屋の整理整頓。
学生時代に先輩、同期、後輩に貰った
数々の手紙や年賀状、写真、
引退時の手作りのアルバムなど
たくさん出てきた。
主に中学〜大学一年まで
計7年間に渡り続けた吹奏楽部時代のもの。
大学時代のボランティア時代のものも有り。
一枚ずつ棚に揃えて仕舞う合間に
手紙の文章を読み返す。
様々な言葉が目に入る。
「いっちーは努力家」「礼儀正しい」
「他人の為に尽くすことができる。
そんな武器を持っている。」
今振り返り、
手紙やアルバムを貰っている時点で、
大切にして貰ってたんやな、そして、
僕を見てくれてたんやな、という
有り難みをしみじみ感じる。
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あの時代、自分自身
全然素直な人間じゃなく、
カッコつけで、弱みを見せるのは苦手。
ひとりで塞ぎ込むタイプの人間だった。
それ故、
仲間とコミュニケーションをうまく取れず、
いわゆるコミュ症だった。
笑えない程重症の。
周りの人と協力したり、協調することが苦手で
逆に迷惑かけて、
不思議、不快な気持ちにさせて、
仲間とのチームワークを全然大事にできずに
総合的に歪な雰囲気のまま終わってしまった。
そんな7年間だった。
(※中学3年間、高校3年間、大学1年間途中退部。)
僕の本音を言うと「仲良くやりたい。」
だから、「愛情を受け取って欲しい、
見てほしい、認めてほしい。」
そんなんばっかりやったな。
でも実際は、周りの方は皆僕に
たくさんの愛情をくれていた。
とてもよく見てくれていた。
存在を認めてくれていた。
もし仮にそうでなければ
手紙もアルバムも貰ってないし、
上述の嬉しい言葉も貰えてない。
僕が、周りの愛情を
しっかり素直に受け取ってこなかった。
ていうか、周りが見えてなかった。
自分目線しか無かったんや。
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それは、あかんやろ。
こちらが愛を訴えるだけじゃ
だめじゃん。
ちゃんとそこにある、
贈ってくれている周りの愛を
受け止めないと、
話にならないよ?自分。
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あの時、あの人に言われた言葉
ちゃんと思い出しなよ。
受け止める心を持つこと。
「受」け止める「心」と書いてさ、
何と読むの?
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