休みの日、まるで地獄のようだ

罰が欲しい。痛みが欲しい。慢性的にネガティブ。そして、ひどく退屈。

それが私が休みのたびに感じているものです。

休みが始まってずいぶん日々を過ごしましたが、毎日が過ぎていく毎に上のような感情が増してきています。誰かと遊ぶ一瞬一瞬は確かに楽しいです。ただ、家に帰った途端に空虚な感情に飲まれてしまうのです。

最近では上手く眠ることもできなくなっていました。寝ようと思ってベットに入っても、なんとなく寝付けずにさみしさにも似た感情が涌いてきてしまうのに堪え忍ぶしかありません。私は抱き枕をもっているので大体の場合は抱き枕の少しくびれている部分を抱きしめながら、必死に眠りに落ちられるように願い続けます。

眠れー、眠れー、私。体強くないんだから寝ないと明日死んだ顔になるぞー。そんな風に思っていると、だんだんネガティブな事を考え出します。「あ、これ失敗してる」とか、「あんな事言わなければよかった」とかとか。夜にそんな感情が湧いてしまうと対処のしようがありません。なぜならやることが全くありませんからね。

寝たい→眠れない→ネガティブな事を考える→やることがない→寝よう→眠れない(エンドレスループ)

このループを断ち切る何かが欲しいと思っていたら、知人がくれたお守りのおかげで急に眠れるようになったので何か憑かれていただけかも知れません。


閑話休題
ネガティブな感情に日々飲まれている私ですが、過去を振り返ってみても所謂「夏休み」や「冬休み」がすごく楽しかったと言う経験をあまりしてないことに気がつきました。

小学校に通っていた時も、夏休みが来るとなんとなく退屈で、つまらない思いを抱えていました。もちろん、家族で出かけるなんていうイベントはあったので多少は楽しい日々も混ざってはいるのですが、他の時間はただただ退屈で「ひまー、ひまー!」と永遠叫んでいた覚えがあります。私にとって、休みは家にいなければいけない、ただ退屈なだけのものでした。

そういえば、私は昔から友達や遊んでくれる人が少なかったので家にいる他ないと言う面もありました。友達の多い人は毎日遊び回るのでしょうね。当時から友達が多いことをうらやましいとは思っていませんでしたが、退屈しないことはいいなと思っていました。今思えば、昔から退屈には苦手意識があったようです。

今はその状態がずいぶん悪化したようです。憂うつな気分も、退屈さも昔よりずっと強く根深いみたいです。

ここ最近の考えは「罰が欲しい。痛みが欲しい。慢性的にネガティブ。そして、ひどく退屈。」
これにつきます。脱出しようとあがいてはみているのですが、なかなかループから抜け出しきれません。困った私は人に相談をしてみることにしました。

すごく鬱だと相談を持ちかけると、「自分を削って人にあげればいい」と返ってきました。

その言葉で、私は自分の性質と信念を思い出しました。忘れてるなんてどれだけ落ち込んでいたのでしょう。

私の信念はあることわざで言い表すことができます。スペインのことわざで「 La mejor venganza es ser feliz.」と言うものがあります。意味は「幸福に暮らすことが最高の復讐である」です。

そして、私の性質は「人が幸せそうだと元気になるし、これからの活力になる」事です。

先ほどの言葉と共にこの二つを思い出したことで、今の私に足りないものを突きつけられました。
ある意味でその人の言葉の通り、誰かのために行動する何かが足りなかったのです。それに気がついたので、誰かの世話を焼きたくなっています。

しかし、私には大きな問題があります。それは、世話できる人が少ないのです。それはもう少ないのです。
仲のいい人がいないということはありませんし、そこそこいます。しかし、世話を焼いて良さそうな人があまりいません。これは困りました。折角気付くとができたというのに、もやもやしてしまいます。

とりあえず、イメージトレーニングでもしておきましょう。誰かを助けるイメージを持てるだけでもずいぶん違うかも知れませんからね。さて、私はどんな風に人を助けられるのでしょう。

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