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〈旅行記〉 日光と湯波(ゆば)に浸る日

日本に世界遺産はいくつあるか、知ってるだろうか。

世界遺産といっても、文化遺産やら自然遺産やら細かく分かれている。2017年時点で、文化遺産は法隆寺や日光、白川郷、原爆ドームなど18ヶ所。自然遺産は、屋久島、白神山地、知床、小笠原諸島の4ヶ所。他に複合遺産や危機遺産という分類もあるそうだが、日本で登録されているものはない。

ということで、私ははるばる人生初の日光へと足を踏み入れた。
サクッ(雪を踏みしめる音)。
雪の日光、めっちゃさみ〜〜〜〜〜!!!!!

電車を降りた時は、まだそれほど雪も本格化しておらず、積雪も地面の色が見える程度に少なかった。一部に積もった雪を見た南米か東南アジア出身と思しき観光客が、興奮して雪を踏みに走る。積雪が珍しかったのだろう。
くくく、彼女たちはこの後さらに雪が酷くなり寒くなると知らないのだ…。
まぁ私も知らなかったけど。でも予想はしてたもんね!(強がり)

積雪に興奮もせず、ただ「寒いな…」とつまらない感想を抱くような大人になった私は、駅を出て日光東照宮に向かった。
事前に下調べをしっかりしている人々はバスの列に並んでいたが、私は事前調べなどしない自由気ままな旅人なので(多分に、スナフキンに憧れている私の願望を含んでいる)、Googleマップで検索し徒歩を選択した。30分ていどなら余裕で徒歩圏内である。
途中、男子大学生らしき集団を追い越しながら、時刻は昼。東照宮への道半ば以前にして、私の腹の虫が鳴った。
私は悲しいかな庶民なので、武士は食わねど高楊枝などという高尚な真似は到底できない。
私は食事処を探した。だが、さすがにオフシーズンだ。あまり開いてる店がない。しかし私の腹の具合は逼迫している。
こういう時に迷っていては、食いっぱぐれる。
私はピンときた「魚要」という蕎麦屋に入ることにし……満席じゃん。
時刻は12時過ぎ、人々が開いている食事処に大挙しているのだ。だが幸いにも、ちょうど一組のカップルが支払いを終えたところだった。
私は1人で広い机を占拠する。
注文したのは元祖湯葉蕎麦だ。「湯葉」と書くのが一般的だが、日光では「湯波」と書くらしい。
なんだか、温泉に浸かった時に湯船が揺れるイメージが脳裏によぎるけど、それは私に情緒がないせいだろう。うん。でもやっぱり「湯波」って、お湯が揺れてる、というイメージが浮かぶ。

ちなみに、このお店、お茶はセルフサービスだ。昔ながらのお店なので、私は他のお客さんがお茶を注ぎに行っているのを見なければ、セルフサービスだと気づかなかったに違いない。
さてさて駆けつけ一杯(お茶だけど)、お代わりを貰うかな。と思った私は、一時給湯器の前でフリーズした。

……斬新だなオイ。

なんと、このお店、普通の給湯器のお湯が出る部分に、茶葉を大量に詰め込んだ茶こしを括り付けているのである。
確かに合理的だが、お湯を止めた後もしばし茶こしに溜まったお湯ならぬお茶が出続ける。
しばし待ち、もう出なさそうだな、という段で席に戻った私の前に、タイミングよく蕎麦が運ばれてきた。
……湯葉? え、湯葉なの、これ??
首を傾げた私の前にある蕎麦には、私のイメージする湯葉が載っていない。ちなみに私のイメージする湯葉、それはふわふわとした乳白色の薄い膜が幾重にも重なって、蕎麦の上に浮いているというものである。
だが、どうやら日光での湯葉は、何重にも重ねてバームクーヘンのようにきつく巻き、数センチメートル幅に切る、というもののようだ。
いただきます。
……うん、なんかこう、湯葉なんだけど、柔らかくもしっかりとした歯ごたえがある。結構腹に溜まりやすい、すなわち直ぐにお腹が減るとか、そういう危険はなさそうだ。
山菜も入って美味い蕎麦をペロリと平らげた私は、腹を空かせて待ち続けている後続の客たちのために、潔く席を空けたのである。
美味しかった。

腹も膨れて元気いっぱいになった私は、サクサクとなだらかな斜面を登った。雪に慣れていない南国出身ゆえに、我ながらなんとなく足取りが危うい。だが、近くですってんころりんと転げる人々を尻目に、私は無事日光東照宮表参道まで辿り着いたのである。

表参道の手前には、神橋という世界遺産の赤い橋がある。雪が積もった神橋は神秘的で見事だ。私は写真を撮った。他の観光客たちも、こぞって写真を撮る。でも寒い。写真を撮るためにポケットから出した手指が凍えそうだ。
脳裏を「凍傷→壊死」という文字が過るが、深く考えないことにする。
神橋の美しい決定的瞬間を捉えようとしているのか、長時間そこに立っているらしいおじいちゃんを横目に見ながら、私は表参道に足を踏み入れた。外国人家族の両親が、観光マップを睨みながらああでもないこうでもないと言い合っているその近くで、子供たちが詰まらなさそうに雪を蹴っている。
確かに全部漢字だし、日本人なら「表参道」という言葉で「なるほど、ここを歩けば寺に辿り着くんだな」ということが推察できるが、日本文化に造詣の深い人物でない限り、「悟れ」と言うのは無理難題だ。
しかし、旅の中で道に迷うのもまた醍醐味である。とか言いつつ、私はさっさと階段を上った。
意外と平気でひょいひょいと上れるものなのね、なんて思ったが、よく考えたら私が前回行ったのは千葉が鋸山にある「日本寺」である。あそこの階段えげつねえんだよな……。何せ、私は表参道から上ったのだ。上りは肺がはちきれそう、下りは足がガクガクになった。
この時の思い出はまた別の機会に譲るとして、私は雪のお陰で人がそれほど多くない日光東照宮の恩恵にあずかったのである。

日光東照宮は非常に色鮮やかな建物だから、雪の白さと相まって美しさが際立つ。超寒いけど。
白銀の世界に佇む、青と赤と白と金の歴史的建造物。これほど情緒に溢れる景色があろうか。いや、ない(反語)。
元気な観光客たちで賑わってはいるが、本堂に入るため延々と列に並ぶ、なんてことにはならなかった。
本堂の中にも様々な技巧が凝らしてあって、見入ってしまう。靴を脱いだら更に寒さが増すけど。足がかじかむ。しばれた両手に息を吹きかけて……も寒い(松山○春)。

そして幸運なことに、五重塔の見学に出くわした私は、五重塔の中央にあるメインの柱が、地面から数センチ浮いているという事実に驚愕した。耐震構造らしいです。先人の知恵はすごい。亀の甲より年の功というが、時代的には「年の功」というより「仙人の功」という方が正しい気がする。

そして更に感動したのは、「鳴竜」と呼ばれる細工である。本堂の天井に大きな竜が描いてあり、その口の下で大きく音を鳴らすと、高い鈴の音のような響きが堂中に響き渡るというものだ。
どうやら、鈴のような「竜の声」を聞くと幸福を呼ぶらしい。その声と同じ音を閉じ込めた鈴、というものが売られていた。
商売上手だね。実際に良いことがあったという経験談も東照宮には寄せられているだ、どうせプラセボ効果さ。
私はそんなものには騙されないのである。
ちなみに私、近々厄年である。そんな迷信は信じてはいないが、厄年というのは基本的に体力が衰える年であるし、何かしら病にかかったりし易くなる年代だ。気をつけるに越したことはない。
だが、だからといってむやみやたらに「お守り」とか「お祈り」とかを信じるのはどうなんだろう。
そんなことを嘯きつつ建物から出た私の右手にはしっかりと、鳴竜の鈴が握られていたのであった。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……平穏無事、無病息災、どうぞ幸せな毎日を送れますように……!

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